葬儀屋日記 byノブアキ

つれづれなる葬儀屋さんの日記です

弔辞の構造

2010年01月31日 | 葬儀特集の感想

心を打つ弔いの手紙、それが弔辞と言うものです

弔辞には実は決まった構造があり、その形をしっかり守られたものが美しい弔辞となるのです。今回は有名な赤塚不二夫先生に送られた、タモリさんの弔辞を見ながら「弔辞の構造」と言うものを分析していきましょう。

弔辞 8月の2日にあなたの訃報(ふほう)に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。

        導入

弔辞・・と言う言葉を発し、この言葉が弔辞であることを皆に知らせます

・死亡を聞いて残念・無念だと言う気持ちの表明

最初に行うのは、死亡の報を聞いてとても残念に思ったと言う、哀惜の言葉を述べます

 われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第一世代と言っていいでしょう。あなたの今までになかった作品やその特異なキャラクター。私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。

 何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して、九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーで、ライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきりと覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに私はあがることすらできませんでした。

 終わって私のところにやってきたあなたは「君はおもしろい。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるから、それに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションに居ろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断をこの人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

        故人との出会い、そしてその時に思った自分の心情描写

弔辞を読む人間と、送られる故人の最初のころの話をまとめる。この作業をすることによって、故人と自分との関係が非常にパーソナルなものになります。


弔辞の構造2

2010年01月31日 | 葬儀特集の感想
それから長いつきあいが始まりました。しばらくは毎日、新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと、ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。

 赤塚先生はほんとうに優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると、相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところを見たことがありません。

 その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。

 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せる、あの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。

 あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも、目からはボロボロと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんのひたいをピシャリとたたいては「この野郎、逝きやがった」とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を無化していったのです。

 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を絶ちはなたれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事にひとことで言い表してます。すなわち、「これでいいのだ」と。

・付き合いの中での故人のエピソード

弔辞はあくまでも、亡くなった方のためのものです。記憶の中のその人の思い出を自分なりの表現で書きましょう。

 いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月。伊豆での正月。そして海外へのあの珍道中。どれもが本当に、こんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが、京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

        最後の思い出

二人にとって最後にあった思い出で締めます

 あなたはいまこの会場のどこか片隅で、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、ひじをつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら、弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死もひとつのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは、夢想だにしませんでした。

        故人が今どう思っているだろうかと、思いを馳せて行きます<

 私はあなたに生前お世話になりながら、ひと言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを他人を通じて知りました。しかしいまお礼を言わさしていただきます。 赤塚先生本当にお世話になりました。ありがとうございました

 私もあなたの数多くの作品のひとつです。

 合掌

別れの言葉、締め

感謝、祈念などでしっかりと言葉を締めます。

 

 

 

いかがでしたでしょうか?タモリさんのこの弔辞は勧進帳(白紙)で読まれたことで有名ですが。やはり話しの天才、一流のエンターテイナーこれだけしっかり構造を守っていることが驚くべき事です。一般の皆さんはとてもコレだけ綺麗に作ることは難しいですが、構造を真似していくことは出来ます。

 


弔辞の構造3

2010年01月31日 | 葬儀特集の感想

それでは、弔辞の構造および一般的な決まり文句をまとめて見ましょう

 

弔辞の構造は基本的に以下の通り

 

弔辞の構造

        導入

弔辞・・と言う言葉を発し、この言葉が弔辞であることを皆に知らせます

・死亡を聞いて残念・無念だと言う気持ちの表明

最初に行うのは、死亡の報を聞いてとても残念に思ったと言う、哀惜の言葉を述べます

        故人との出会い、そしてその時に思った自分の心情描写

弔辞を読む人間と、送られる故人の最初のころの話をまとめる。この作業をすることによって、故人と自分との関係が非常にパーソナルなものになります。<o:p></o:p>

・付き合いの中での故人のエピソード

弔辞はあくまでも、亡くなった方のためのものです。記憶の中のその人の思い出を自分なりの表現で書きましょう

        最後の思い出

二人にとって最後にあった思い出で締めます。

        故人が今どう思っているだろうかと、思いを馳せて行きます

・別れの言葉、締め

感謝、祈念などでしっかりと言葉を締めます。

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弔辞の構造4

2010年01月31日 | 葬儀特集の感想

 

決まり文句をまとめた物

弔辞の例文

        導入

「弔辞・・・」

弔辞と言う言葉を発して、弔辞を始めます

        死亡を聞いて残念・無念だと言う気持ちの表明

「高橋君、君の訃報を耳にして本当に信じられません。高橋君とは、今年の2月に会社の同期会をやろう、そして快く承諾してくれた矢先なのに、急にこんなことになるとは今でもこうして君の見送りをしているのがまるでウソのようです。」

        故人との出会い、そしてその時に思った自分の心情描写

「君がウチの課に配属されて、それ以来仕事仲間として、友人としてかけがえの無い存在でした。若い頃の君は熱血漢で、筋の通らない事には断固として戦う男気ある人でした。生来あまり争うことが苦手な私にとっては、同期で年下でしたが密かに尊敬をしていました。いまでもその気持ちに変わりはありません」

弔辞を読む人間と、送られる故人の最初のころの話をまとめる。この作業をすることによって、故人と自分との関係が非常にパーソナルなものになります。

        付き合いの中での故人のエピソード

「お互い若手の頃に、私が取引で大きな失敗をしてしまった時に、いやな顔一つせず一緒に手伝ってくれたのを覚えています。やさしい、仲間思いの人間でした。「この仕事が取り返せれば、きっとなんとなかる」そんな君の言葉にとても励まされたのを覚えています」<

弔辞はあくまでも、亡くなった方のためのものです。記憶の中のその人の思い出を自分なりの表現で書きましょう。

        最後の思い出

二人にとって最後にあった思い出で締めます

君と最後に会ったのは、去年のOB会でしたね。お互い年をとったなと笑い合っていたのが、まるで昨日の事のようです。

        故人が今どう思っているだろうかと、思いを馳せて行きます

高橋君、君は今静かに目を閉じ僕らにいつものように、「大丈夫、なんとかなるさ」といつものように笑いかけていてくれるんだろう、遠からず僕らもそちらに行きます。それまでしばしの別れです。