葬儀屋日記 byノブアキ

つれづれなる葬儀屋さんの日記です

葬儀代なく・・・の解決策

2009年12月22日 | 葬儀特集の感想
葬儀代が無いから、山に埋めた
葬儀代が無いから、自宅で放置した

こういった事件がマスコミ紙面をかざっていますが、これはまず
「死体遺棄」とい犯罪だという事を、まず理解してください

刑法第190条は、「死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、3年以下の懲役に処する。」とやってはいけない事なんですね。

お金が無いから・・というのは気持ちも理屈もわかりますが
お金が無い事はすべてを許してもらえる免罪符にはならないということです。

さぁ、ここからが本論で批判しっぱなしってのは性には合わないので
ちゃんと解決策まで考えてみたいと思います


結局お金がないわけですから、葬儀は火葬だけで致し方ないとします
総額で全国どこでも30万円ぐらいなモノです。(埋葬、お坊さんの費用)などは
必要最低限ではないので外して試算しています。

遺骨は、家でずっと持っていてもいいと思います。

それで、30万円の捻出の仕方ですが
1、親族に借りる、援助してもらう
2、公的機関の生活福祉金などで借りる
3、民間(銀行、クレジット)で貸してもらう
5、お香典でまかなう
親戚が沢山いたら理由をはなしてお香典返しはカンベンしてもらえば可能なはず

あとは、頑張って返していくだけです
結局これは精神論なんですね。

生活保護に掛かっていて、援助者もいないのであれあ
生活保護の人は火葬だけは補助金の範囲内でやってくれますから
福祉課に前もって相談をしておくのが良いでしょう

自分を育ててくれた、親が亡くなったときに
放置や、遺棄ではあまりにも可哀想だし

解決ができない問題というのは基本的には無いのですから
目の前の問題から逃げない。それが生きてるって事じゃないかと
僕は思います



葬儀代なく、母親の遺体を山に捨てた…

2009年12月20日 | 葬儀特集の感想

「葬儀代なく、母親の遺体を山に捨てた…」遺棄容疑で長男逮捕 宮城の女性死亡
2009.12.14 00:21


このニュースのトピックス:伝統芸能
 宮城県登米市の山林で、近くに住む無職、佐藤みきさん(84)がブルーシートに包まれた状態で死亡しているのが見つかった事件で、宮城県警佐沼署は13日、死体遺棄の疑いで、長男で無職の佐藤義行容疑者(56)を逮捕した。義行容疑者は「母は11月に亡くなったが、葬儀代がなく、処分に困って山に捨てた」と容疑を認めているという。

 同署の調べによると、義行容疑者は11月中旬から今月13日までのあいだに、同市中田町石森の山林に佐藤さんの遺体を埋めた疑いが持たれている。

 同署によると、義行容疑者は佐藤さんと2人暮らし。11日夜に近所の住民から「最近、親子の姿が見えない」と連絡があり、同署や消防が捜索していたところ、13日になって遺体を発見。現場付近で義行容疑者も見つかり、同署で事情を聴いていた。

 義行容疑者は「朝に母を呼び起こそうとしたら、死んでいた。自分は手をかけていない」などと話しているという。佐藤さんは足と目が悪く、義行容疑者が介護していた。

 遺体に目立った外傷はなく、同署は司法解剖を行って詳しい死因などを調べる方針。
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という記事について一言
この事件の本質は葬儀代が無かった事ではなくて、非常識な判断をしていた
ということが問題なわけです。

こっそりと、自分の母親を山に埋めるのは大変だったと思います。
でも、福祉の人に相談する事も親戚の人間に相談する事も放棄して
山に埋めてしまうというのは正常な判断ではありません。

福祉で一時的にお金を借りる事も出来たはずだし
こういった事件は、金銭の問題として見出しをつけられてしまうのは
まずいんじゃないかと思います。

分からない事は、人に聞く。人に相談するといった、コミュケーションの
能力が全体で落ちているとしたら、世の中は成り立たなくなっていきます。


もしかしたら、親の年金を貰い続けるために、こうして埋めてしまったのでは
ないかという下衆の勘繰りもありえますが、もしそうであったとしても
人が死に、弔うといった基本的な事を放棄しても平気な人達というのが
イマは多く存在するのかもしれません。

最低限人としたら、身内を弔うといったことを忘れてはいけない

そんなつまらない、当たり前のことを言わなきゃいけないのは
とても辛く、寂しい事なのかもしれません。

自由とやり放題の違い

2009年12月12日 | 葬儀特集の感想
今の時代は、厳しいことやキツイこというと吊るし上げを食います。
差しさわりの無い事や、責任の無い批判ぐらいで納めておかないと割を食ってしまうので、ほとんどの人は「本当の事」を言わないように気をつけているように
見えます。

欲に引かれるのは仕方が無い・・・
人間だから自分の身が大事なのは仕方が無い・・

そういった諦めが世の中の空気に漂っています
それは、それで仕方の無い事かもしれません。それはそれで逃れられない重力みたいなものかも知れませんが、当たり前のことはつまらないものです

葬儀屋をやっていると、普段見えないその人たちの素の顔に出会います


どういう風に生きてどういう風に亡くなるのか
それは本当は別々の出来事ではありません。

仕方の無い事だらけが人生かもしれませんが
その人間の弱いところに、反抗したり、やせ我慢をしたり、洒落で乗り切ったり

悪い意味の当たり前の事を「しない」という
人間の行為や思いって言うのが、人間らしいすばらしさじゃないかと
思うのです。

今までずいぶん自由を謳歌し、それがすばらいい事だという
世の中でしたが、自由じゃない良さと言うのに気がつく人は気がつき始めました

悪い意味での当たり前にどうやって「反逆」していくのか
その流れが出来て行くのは、もう3~5年先の話しになりますが
ちょっと楽しみです


そんな与太話をしてみたい夜でした。さて明日も告別式です
寝ましょう