落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第112話 女が2人、呑みに行く

2015-02-13 11:06:08 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
第110話につづく
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おちょぼ 第112話 女が2人、呑みに行く



 「飲みに行こうよ」
8時を過ぎた頃。陽子が、テレビを見ている佳つ乃(かつの)に声をかける。
おちょぼのサラは、隣の部屋だ。
陽子の一人娘の真理と隣の部屋で騒いでいるうちに疲れ果てて、いつの間にか、
2人で仲良くベッドに横たわっている


 「近所の居酒屋に行きましょう。
 歩いて行ける距離ですが、たまに呑みたいときの私の『隠れ家』です」


 「面白そうどすなぁ。けど、ウチ等が居ない間に娘はんが起きたらどないします?
 ひとりでは、寂しがるんやないどすか」


 「父親が居ないというだけで、娘には充分、寂しい想いをさせています。
 けど、いまさらそれを言ってもはじまりません。
 女は泣いて強く育ちます。あなたも女の生き方を、そんな風に感じているでしょう?」



 「ずいぶん乱暴な言い分どすが、たしかに、一理ありますなぁ」


 よろこんでお供しますと、佳つ乃(かつの)が立ち上がる。
表は、上州特有の冷たい北風が吹いている。
12月末のこの時期。
群馬県の真ん中に、屏風のようにそそり立っている赤城山に、まだ雪の気配は見られない。
しかし西にそびえる活火山の浅間山や、北に連なっている谷川岳の連峰は、
すでに真っ白の雪が、山肌の一面を覆っている。
北から吹き降ろす12月の風には、谷川連峰の冷たい雪の気配が含まれている。


 「表は寒いからこれを羽織って。綿入れの半纏(はんてん)」
陽子が、お揃い柄の、ふっくらとした半纏(はんてん)を差し出す。
「ここでは体裁よりも、暖かさのほうが最優先。
今風のヒートテックやモダンな防寒着もいいけれど、田舎はやっぱり、
昔から伝わっている、こうした綿入れ半纏が一番重宝します。
騙されたと思って、着てちょうだい。
着やすいし、脱ぐのも簡単。こいつをヒョイと羽織って、飲みに行くのが私の流儀」
どう暖かいでしょと陽子が、佳つ乃(かつの)の顔を覗き込む。


 足を踏み出した瞬間、佳つ乃(かつの)が、あまりもの寒さに思わず凍り付く。
群馬の風の冷たさは、底冷えする京都の寒さと、まったく異質のものになる。
雪の冷たさを存分に含んだ強い北風は、足を一歩表に踏み出した瞬間から、
情け容赦なく、露出した肌から温かみを奪っていく。



 「うわ~、しんどい。これが噂に聞く、上州の空っ風どすかぁ?」


 「うふふ。まだまだよ、こんなのは序の口。
 5~6メートル程度の風なんか、空っ風のうちに入りません。
 10メートルを超えて、瞬間風速で、30メートルを記録することもよく有ります。
 虎落笛(もがりぶえ)という言葉を知っている?
 電線が激しく揺れて、まるで笛のように鳴る現象のことを言います。
 空っ風が吹き荒れる真冬になると、小学生たちは風に背中を向けて通学路を歩きます。
 だから上州に生まれた女たちは、昔から、冬を越すたびに忍耐強くなるの」


 「底冷えの京都も寒いどすが、群馬もそれに負けてはおりませんねぇ・・・
 ホントに暮らしていけるのかしら、ウチ、こんな寒いトコで」


 思わずすくめた佳つ乃(かつの)の首へ、陽子がぐるぐると毛糸のマフラーを巻きつける。
「序の口で驚いているようでは、赤城おろしが吹き荒れる真冬を生きていけません。
いまからでも遅くありません。底冷えのする祇園のほうが住み心地が良いと思うのなら、
群馬への移住を諦めたらどうですか」と、ニットの帽子を頭にかぶせる。


 「そんなことはあらへんなぁ。日本全国どこでも、住めば都どす」
静かに燃えあがる目が、帽子とマフラーの小さな隙間から、陽子の横顔を鋭く睨む。



 「あなたがプロだという事は、コンパニオンたちへのアドバイスでよくわかりました。
 私の目から見ても、あなたは弟にはもったい女性です。
 いいんですか。これまでの名声と祇園での優雅な暮らしを捨ててもしまっても。
 こんな群馬の片田舎で、弟と詰まらない生活を送ることが、本当に、
 あなたのこれからの夢なのですか?」


 陽子から、鋭い視線が返って来る。
しかし佳つ乃(かつの)はきわめて穏やかに、陽子の視線を受け止める。


 「暖かいどすなぁ、この綿入れの半纏(はんてん)は。
 これほど暖かさが有れば、ウチは、群馬で充分に暮らしていけると思います。
 けど。ウチのことを、大作さんの家族は受け入れてくれるでしょうか・・・」


 「実家が駄目なら、あたしのところへ来ればいい。
 舞を舞う機会を失っても、あんたにはプロの資質がある。
 女が内面から美しくなるためにいったい何が必要なのか、あんたはそのすべてを
 ちゃんと理解している。
 忙しさにかまけて、仕事の原点を忘れかけていた私にあんたは鉄槌を下した。
 美しくて、品のいい女は、一皮むいたら鉄槌の女だ。
 髪を綺麗に整えて、衣装を着飾っただけでは、女性は光らない。
 あんたは自分を、内面から磨き抜いてきたお人や。
 美しさを身につけるためには、内面から磨こうとする姿勢がなによりも大切なことです。
 あんたはそのことを、短い時間で的確にコンパニオンたちにアドバイスした。
 あの瞬間わたしは、一発で、あなたのファンになりました。うふふ」


第113話につづく

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おちょぼ 第111話 プロの着付け

2015-02-12 11:34:56 | 現代小説
「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
第110話につづく
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おちょぼ 第111話 プロの着付け




 実家から陽子の美容室まで、車で15分余り。
ちらりと腕時計を覗いた陽子が飛び込みの着付けが、すでに終わっている
時間だろうと確認する。
ひんぱんに美容室を使ってくれるコンパニオンたちは、陽子から見れば上客たちだ。


 コンパニオンとは、宴席で接客係をする女性たちのことを指す。
彼女たちは料亭やホテル、旅館の宴会へ出張して、接客を行う。
主な仕事の内容は「お酌」と「話相手になる」ことだが、時には一緒に
カラオケを歌うこともある。


 長引く不況のため、コンパニオンの数は年々、減少している。
最大の原因は、企業がおこなう職場旅行や宴会の数が、減り続けているためだ。
経費削減の指示のもと企業が、恒例だった社員たちの慰安旅行や忘年会や
新年会などに、経費をまったく出さなくなったからだ。



 駐車場には、送迎用に使うコンパニオン会社のワンボックスカーが
誰も乗せないまま、まだ静かにアイドリングをしている。
(あら、車がまだ置いて有りますねぇ。もしかしたら着付けが長引いているのかしら?)
不安を覚えた陽子が、急ぎ足で美容室へ駆け込んでいく。
案の定。陽子を見つけた主任の恵美が、慌てて奥の部屋から飛び出してきた。



 「大変です、先生!」


 「どうしたの?。遅れていますねぇ、何か問題でも発生しましたか?」


 「いいえ、特にこれといった問題はないのですが・・・
 それにしても何者なんですか、あの2人。
 途方もないスピードで着付けを済ませた後、いま最後の特別な仕上げをしています」


 「最後の特別な仕上げ?。何なの、聞いたことないわよ、
 着付けで、最後の特別な仕上げなんて」



 いいから、とにかく奥へ来てくださいと、恵美が陽子の腕をぐいと引っ張る。
引っ張られるまま陽子が、着付けがほどこされている奥の部屋へ急ぐ。
着付けの場として使われる10畳の部屋は、衣装部屋としても活用されている。
部屋の真ん中に、申し分なく着付けが終了したコンパニオンたちが並んで立っている。
何処を見ても、特に問題はなさそうだ。
髪の仕上がりも、着付けの完成度も、陽子の眼には申し分なく見える。


 「あきまへんなぁ。みなさん、
 着物を着た立ち振る舞いが、あまりにもぎこちなさ過ぎどす」


 響いてくるのは、電話で何度も聞いた佳つ乃(かつの)の声だ。
(あら、何が始まっているのでしょう?)陽子がドアに掴まり、さらに部屋の中を覗き込む。
コンパニオンの3人が、佳つ乃(かつの)の前に横一列に整列している。


 「着物姿を、美しく見せるポイントは、3つどす。
 足元。腹筋。頭部。この3つに神経をいきわたらせることで、着物姿が
 各段に美しく見えるんどす」

 「ホントですか、先生。たった3つのポイントに注意するだけで、
 誰でも綺麗な、着物姿になれるのですか!」



 「嘘はいいまへん。毎日、着物を着ているウチが言うんどす。
 ポイントの1つ目は、足元どす。
 つま先をやや内側に向けて、意識して内股で歩くんどす。
 歩幅は10センチ程度どすなぁ。裾が跳ねない程度に歩くことが肝心どす。
 今風に、かかとから、のしのしと歩いてはいけまへん。
 足は、つま先からすり足気味で運びます。
 歩くとき、褄(つま)を持つことも、美しく見せる秘訣どすなぁ」


 「あっ。芸者さんたちがときおり見せる、あの着物をつまむ動作のことですね!」


 「そうどす。褄を取るのは、着物ならではの美しいポーズどす。
 いわば、見せ場のひとつどす。優雅につまんで、殿方たちを悩殺してください。
 2つ目のポイントは、腹筋を使うことどすなぁ。
 帯にお腹を置く姿勢の方をときどき見かけますが、おおきな間違いどす。
 帯は、お腹を乗せる為のものではおへん。
 腹筋をしっかりと使い、その力で上体をしゃんと保ちます。
 そのとき、同時に、ヒップを意識して中心に引き寄せ、上に立たせます。
 着物になると、ヒップラインが意外と目立つんどす。
 着物の布地が想像以上に身体に密着するため、お尻のラインと太ももの形が、
 はっきりと表に出るんどすなぁ」


 「下着などを着けていると、着物にラインが出るのはそのためのものなのですね。
 着物のときはやっぱり、下着を着けないほうが正解かしら・・・」


 「薄手のものならラインは出ません。着ていても大丈夫どすなぁ。
 3つ目のポイントは、頭部どすなぁ。
 昔から『首が長いことは、美人の条件』と言われておます。
 和服の襟足からスラリと伸びた長い首は、艶やかで、見ていて大変に美しいもんどす。
 生まれつきお首が短いなんて、おっしゃらないで下さい。
 首の骨、「頚椎」の数は、どなたも同じ数しかあらしません。
 肝心なことは、首の筋肉を鍛えることどす。
 美しいうなじいうのは、この鍛えられた筋肉で支えられているんどす。
 言い換えれば、首のラインの美しさを保つのは、丁寧に鍛えられた首の筋肉どす。
 うなじの筋肉を意識してしっかりと使い、頭の重みを支えてください。
 この3つを心がけるだけでどなたさまも、今日から立派な着物美人になれますなぁ。
 はい、これで着付けと、着物姿が格段に引き立つポーズの完成どす。
 どなたさまも気張られて、本日のお仕事に励んでくださいな。うふふ・・」


第112話につづく

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おちょぼ 第110話 難産で生まれた子

2015-02-11 11:53:54 | 現代小説
「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
第110話につづく
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おちょぼ 第110話 難産で生まれた子




 実家の台所で、父の退院祝いの料理をハイペースで作り終えた陽子が
挨拶もそこそこに、いそいそと帰りの身支度をはじめる。
その様子を見ていた徳治が、「はてな」と首をひねる。
「嬉しそうだな、お前。冗談かと思っていたが、ホントに出来たのか新しい男が」
と、父の徳治が陽子の背後に立つ。


 「子連れ女の再婚となると、なにかと大変だぞ。
 ひとり娘と、新しくできた男の間に入って苦労するのは、お前だ。
 承知しているんだろうな、そのくらいのことは」



 「あら・・・まだ男が出来たとも、再婚するとも言っていません、わたしは。
 うふ。私の心配をしてくれるなんて、どういう風の吹き回しかしらねぇ。
 さては突然の入院騒ぎで、頑固一徹だったお父さんも、
 ついに、弱気の風に吹かれたのかな?」


 「何とでも言え。親が、娘の将来を心配をしてどこが悪い。
 男と付き合うのは、一向に構わない。
 だがその先でお前さんがまた、憂き目にあうのが心配なだけだ。
 お前。仕事運は良いが、男運はまったくの落ち目の三度笠だからな・・・」



 「そう言うのを下げマンと言って、さげすんだ目で見るんでしょ、世間では。
 いまさら、白馬の王子を待つ純真な乙女という立場じゃあるまいし、
 30を過ぎた女は、冷めた目で現実だけを見つめます。
 真理(ひとり娘)が居れば、わたしは充分です。
 うふふ。いまは、余計な心配をしてくれなくても大丈夫。
 お父さん。とりあえず、退院おめでとう。
 あまり母さんを心配させないでね。もう、若くなんかないんだから」



 「おう。そのくらいのことは分かっている。じゃ新しい男によろしくな」
と父の徳治が陽子の背中に着いて、玄関まで見送りに出る。
「ここでいいわよ。表はもう、寒いから」と陽子が玄関先から振り返る。


 「ねぇ。真由美さん(父の愛人)にも、これ以上、迷惑かけちゃ駄目よ。
 少しは娘の立場にもなって頂戴。
 実家で母さんの愚痴を聞いた後、美容室で、真由美さんの愚痴を聞くのよ。
 髪を結いながら、お母さんの愚痴と愛人の愚痴を聞くのが、
 わたしの仕事になるとは思ってもみませんでした。
 それから、退院できたからと言って、油断してあまり呑み過ぎないでね。
 一度倒れたことでお父さんはすでに、前科一犯ですから」



 「馬鹿やろう。医者も2合(2号)までは、大丈夫と言っていた。
 分かったよ。お前が言う通り、とうぶんの間は我慢するさ、好きな酒も女も。
 娘と、こんな会話をしているようじゃ、俺もそろそろ年貢の納め時が来たかな。
 寂しいが、俺の逝く時が近づいてきたようだ」


 「逝くなんて縁起でもない。逝くのなら、大作の嫁の顔を見てからにしてね」


 「大作の嫁を見てから?。
 なんだ初めてきく話だな。という事は、あいつに、女が出来たということか?」


 「私と母さんはもう、それらしい女性の写真を見せてもらいました。
 あ・・・いけない。母さんは承知しているけど、父さんにはまだ内緒の話です。
 あとで、それとなく大作に探りを入れて下さい。
 それ以上のことは、とりあえず、わたしの口からは言えません」


 
 「難産で生まれた子は、やっぱり、どこか強情だな。
 おまけに口のききかたまで、いつの間にか、すっかり母さんに似てきたなぁ」


 「あら。難産で生まれた子なの?。わたしは」



 「予定日を1週間ほど超過したため、管理入院をすることになった。
 その日の深夜に破水したが、生まれるまで、お前は78時間もかかった。
 母さんはまる3日間、必死の想いで頑張り抜いたが、これ以上は妊婦の力だけでは
 難しいということで、最後は吸引分娩で生まれてきた。
 病院は誘発剤を使わない方針だったもんで、あと数日生まれてくるのが遅ければ
 お前さんは、帝王切開でこの世に出てくるはずだった」


 「へぇぇ・・・初めて聞きましたぁ、難産だったんだ、あたしって子は。
 ということはお父さんも、3日3晩寝ずに付き合っていたという事になりますねぇ」


 
 「おう。いちおう愛し合っている間柄だったからな。俺たちは。
 そのかわり、次に生まれた弟の大作は、あっけないほどの安産だった。
 分娩室に入って1時間も経たないうちに、おぎゃぁと元気に生まれたからな、
 あいつときたら」


 「そうか。そのせいで大作は生まれた時からちょっぴりと根性なしなのか。
 うっふっふ。あとで母さんに確認してみよう」



 「よせ。ここだけの話にしておけ。俺が喋ったことは母さんには内緒だぞ」
と徳治が、大げさに片目をつぶる。
「分かっています。わたしは、そういう父さんと母さんの子供だもの」
じゃ、もう帰るわねと、姉の陽子が玄関のガラス戸を閉める。



第111話につづく

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おちょぼ 第109話 早く会いたい

2015-02-10 11:59:36 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
 
おちょぼ 第109話 早く会いたい




 弟子に指示を終えた陽子が、ふたたび佳つ乃(かつの)の番号を呼び出す。
今度も2度目のコールで、「はい」とさわやかな声が帰って来る。
「いま。どちらですか」と聞けば、「ロマンスカーに乗り込むところどす。
何か、急な御用どすか」と先に問いかけてきた。


 美容室で、急に着付けの手伝いが必要になったと手短に伝える。
「お安い御用どす。よろこんでお手伝いさせてもらいます」と佳つ乃(かつの)から、
あっさりと快諾の声が返って来る。
やれやれと胸を撫でおろし、ほっとして通話を切った瞬間、何故かドキドキしている
自分が居ることに、陽子がようやくのことで気が付く。
さわやかに受け答えを続ける弟の恋人に、すでに好意を抱き始めている自分に気が付く。


 (なんでやろ。弟の恋人と電話で数回話しただけというのに、変な風に
 私の胸がドキドキしています・・・)



 佳つ乃(かつの)の顔は、概に画像で見ている。
祇園甲部の売れっ子芸妓という事も、弟の告白からすでに承知をしている。
だが電話の向こうから聞こえてきた佳つ乃(かつの)の京都なまりの声は、
陽子の思惑をはるかに超えて、涼やかで爽やかだった。
祇園の美人芸妓、佳つ乃(かつの)に、早く会いたいという気持ちが、
陽子の身体の奥から、ふつふつとこみ上げてくる。


 (なんなのでしょう。久しぶりと言えるこの、こみあげてくるようなトキメキは。
 美しい人だということは、写真を見た瞬間から分かっています。
 四万温泉に向かうと言っていたけど、それにしては遠回りをし過ぎです。
 おちょぼまで連れて、わざわざ此処まで来るのには、どういう意味が有るのでしょう。
 大作に逢いたいだけなのだろうか。
 それとも交際していますと、親に挨拶でもするつもりかしら・・・
 でもそれはまだ、いまの段階では有りえない。
 母には知られてしまったが、弟はまだ、父に紹介する腹つもりはなさそうだ・・・
 それにしても、はんなりとした京都弁が、いまだに私の耳の奥に残ったままです。
 たかが弟の恋人に会うだけだというのに、私のほうが変な気持ちで、
 なんだか胸が、ドキドキと高鳴っていますねぇ・・・)



 庭から砂利を踏むタイヤの音が、聞こえてきた。
庭の周囲には、季節の草花が飢えられている。
草花は咲くが、農家の広大な庭に雑草は生えてこない。
長い年月にわたり、おおくの人の足が、庭を固く踏み固めてきた結果だ。
庭に生える雑草は、土に種を落とすことで、年を追うごとに繁殖をひろげていく。
タネを落とす前に根から抜いてしまえば、雑草は生えなくなる。
固く踏み固められた土の上に父の徳治は、雨で水たまりができないようにと、
あえて薄く、砂利をまいている。



 パタンとドアが閉まり、車から人の降りる気配が聞こえてきた。
コホンという咳払いも、車を降りる時の父のいつもの癖だ。
(帰って来た!)テーブルから立ち上がりかけた陽子が、あわてて弟の
スマホを手に取る。
佳つ乃(かつの)の着信記録を呼び出し、そのまま削除をしてしまう。
(他意はないけれど、恋人が群馬に来たことは、とりあえずあなたには内緒です。
うふふ、悪いわね大作。佳つ乃(かつの)さんは、私がひと晩預かります)


 何くわぬ顔で陽子が、玄関へ出迎えに出る。
大きな荷物を抱えた似顔絵師が、汗びっしょりで玄関の中へなだれ込む。
父の徳治は2週間ぶりになる我が家を、庭の真ん中からしげしげと見まわしている。
その顔に、「俺が居ない間に、何か変わったことはなかったか」と書いてある。
父の背後で「何も有りませんよ」と小さくつぶやくのも、母のいつもの口癖だ。


 「おう。来ていたのか。いいのか、美容院のほうは放っておいても」



 「よく言うわ。明日退院するから、盛大にお祝いしてくれと自分で言ってたくせに。
 恵美ちゃんも一人前になったし、お店の事は心配ありません。
 あ。でも残念ながら、今日の夕飯は一緒に食べられません。
 突然ですが、大切な人から、是非にとお誘いの電話がかかって来たの。
 お父さんの元気な顔は見ました。
 もう今日は、私が居なくても、大丈夫でしょう?」

 
 「残念だな。急な電話じゃしょうがねぇ。
 で、どういうことなんだ。新しい男でも出来たのか、お前に?」


 「はい。運命的な出会いになるかもしれませんねぇ、うふふ。
 詳細はのちほど、仔細に報告いたします。
 というわけで家族水入らずの夕食は、またの機会という事になってしまいました。
 夕食の準備が終わったら、私は、お店に戻りますのでよろしく」



 上機嫌のお前さんを見るのも久しぶりだ、と父の徳治が笑う。
「あんた、大丈夫かい。悪い病気じゃないだろうねぇ、また、いつものさ?」
庭から戻って来た母が、陽子の尻をポンと叩いて居間へ消えていく。
「ホントかよ、ネエちゃん。恋人が出来たってのは」と、似顔絵師が、
嬉しそうな姉の顔を覗き込む。


 「明日になれば分かります。その時までのお・た・の・し・み。うふふ」
ニコッと笑った姉が、「さあ。とっとと、夕食の支度を片づけて我が家へ帰ろう~♪」
と、笑顔を見せたまま、弾んだ足取りで台所へ消えていく。


第110話につづく

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おちょぼ 第108話 飛び込みの着付け

2015-02-08 11:23:39 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第108話 飛び込みの着付け



 
 「降りる駅を変更してください」と、言い切る陽子の声に、
「はぁ~?」と小首を傾げているような、佳つ乃(かつの)の返事が返って来た。



 「ロマンスカーで来ると、群馬へ入った最初の駅が太田(おおた)です。
 太田駅で、東部線が2つに分岐します。
 乗り換えをせずそのまま太田をスルーして、途中の藪塚温泉駅で停まるのが、
 あなたがこれから乗る予定の、赤城駅行きです。
 乗り換えのために、太田駅で降りてください。
 隣のホームから、ローカルの伊勢崎線に乗り換えてください。
 たった2両の、典型的なローカル列車です。
 太田駅から3つ目の駅。世良田(せらだ)という駅で降りてください。
 世良田は、無人の駅です。
 7世紀のはじめ、利根川の氾濫のため、荒れ放題だった土地が開墾されました。
 8世紀中ごろまでに、広大な水田地帯として完成しました。
 新田の荘の中心部として、長く栄えた土地です。
 太平記の時代に、新田義貞を産んだことでも知られています。
 駅に降りると目の前に、肥沃な穀倉地帯がひろがっている様子が見られます。
 「この世にこれほど素晴らしい良い水田はない」と言われた風景です。
 この世の「世」と、素晴らしく良いの「良」、水田の「田」をとり、
 「世良田」と命名された駅です」


 「うふふ。素敵な風景が、降りる前からくっきりと目に見えるようどすなぁ。
 けど、なんでわざわざ路線を変更しはるんどすか。
 ウチらが藪塚温泉へ向ったんでは、なんか不具合があるんどすか?」


 「大ありです。
 弟の大切な恋人が、わざわざこちらまで足を運んで来てくれたというのに、
 藪塚などと言うひなびた温泉へ泊まらせたのでは、義理が立ちません。
 わたしが万事計らいます。
 どうぞ安心して、世良田駅までお越しください」


 「承知いたしました。
 けど実家が取り込み中ということでは、あの人とお会いすんのは
 無理のようどすなぁ・・・」



 「ご心配なく。今日という訳にはいきませんが、それもなんとかいたします。
 それから駅への迎えには、私のところの恵美ちゃんと言う子を出します。
 そのまま店舗兼住宅になっている、私の家でくつろいでください。
 実家の用事が片付き次第、わたしも急いで戻ります。
 あ。世良田は無人駅ですので、降りる乗客はほとんどいません。
 美人2人が降りてくると伝えておきますので、出迎えに問題はないでしょう。
 はるばるのご来県、弟にかわり、こころから歓迎いたします。
 うふふ。こちらこそ、あなたとお会いするのがいまからとても楽しみです。
 では、のちほど、また。」


 通話を終えた陽子が、続けて恵美の携帯を呼び出す。
「はい」と答える恵美の快活な声が、いきなり陽子の耳へ飛び込んでくる。


 「いまから1時間半後に太田駅へ着くロマンスで、お客様がお見えになります。
 伊勢崎線に乗り換えて、世良田の駅で降りてくださいと指示をしました。
 時間を確認して、迎えに行ってください。
 降りてくるのは31歳の美女と、15~6歳の少女です。
 下校時の高校生くらいしか降りてこない駅だから、一目で分かると思います」


 「分かりました。
 飛び込みの着付けが入ったのですが、先生の都合はいかがですか?」


 「飛び込みの着付け?。あなたたちだけでは手に負えないの?」


 「セットは任されましたが、着付けは先生にお願いしたいと希望しています。
 コンパニオン会社の3人が、伊香保温泉に呼ばれたそうです。
 2時間後にお見えになり、夕方までに伊香保の宴会場へ着きたいそうです。
 あたし、まだ、着付けにはあまり自信がありません・・・」


 着付けに関しては、陽子が一手に引き受けている。
リーダー格の恵美は着付けもそれなりには手伝うが、まだまだ手元に不安が残る。
一度に3人の着付けとなると、さすがに自信が持てないようだ。


 「それなら大丈夫。時間的にも京都からやって来る2人が間に合うでしょう。
 着付けをお願いしますと、わたしのほうから頼んでおきます。
 実家の仕事が片付き次第わたしも戻るけど、たぶん、その2人が居れば
 なんの問題もないでしょう」


 「先生。お見えになるお客様と言うのは、着付けが仕事のお方なのですか?」



 「毎日、着物を着ています。素人の着付けなんか、まったくの朝飯前よ。
 なるほどね、そういう特技の持つ主でもあるわけか・・・
 農家の嫁として苦労するよりも、あたしの片腕として頑張ってもらったほうが、
 どうやら、存在感が有りそうだわね・・・」
 
 「先生。嫁とか、片腕とか、いったい何のお話ですか?」


 「あ、あんたはいいのよ、余計なことは知らなくても。
 じゃ、2人の美人の出迎えと、3人の着付けの件。
 両方ともあなたに全部お任せします。
 うふふ。何やら面白いことになって来そうですねぇ、この先が・・・」


 「先生!・・・」


 「あ、気にしないでね。いまのも私の勝手な独り言です。
 じゃお願いね、恵美ちゃん。
 あとのことはすべて、あなたにお任せしますから。うふふ」

 

第109話につづく

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