落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第104話 似顔絵師の誕生

2015-02-04 10:55:12 | 現代小説
「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。


おちょぼ 第104話 似顔絵師の誕生





 サンドリーヌは週に2回、大学で、学生たちのためにヌードモデルを務める。
週末だけ母が経営しているモンマルトルのカフェで、アルバイトをする。
空いた日だけ、本業の仕事をする
パソコンの前に座り、依頼されたデザインの仕事にひたすら没頭する。
それがサンドリーヌの、いままでの日課だ。


 ヌードモデルでもらう報酬は、時給1370円。
母が経営しているカフェのアルバイト代が、時給にして1000円前後。
本業のグラフィックデザインの仕事で、一ヶ月あたり10万円を稼ぎ出す。
これらのすべてを合算すれば、贅沢は出来ないものの普通に暮らすパリジェンヌには、
充分な額になるという。



 「モンマルトルの丘で営業している似顔絵描きの相場は、1枚50ユーロ前後。
 日本円にして7500円くらいです。
 記念になるとはいえ、決して安い金額ではありません。
 路上で描く未公認の似顔絵師たちの相場は、30~50ユーロといろいろです。
 でもね。1日に2枚か3枚を描いているのでは、ろくな稼ぎになりません。
 クロッキーなら10分も有れば、似顔絵が1枚が書けるでしょ。
 その速さが、膨大な利益を生むのよ。
 1枚20ユーロ(約3000円)のクロッキーを、20枚も売りあげると、
 一日当たり、6万円の売り上げになります。
 あんたの取り分は、70%の42000円。残りの30%は私の取り分。
 どう。取り分も多いし、けして悪くないビジネスでしょう?」


 サンドリーヌの計画の内容は、良く分かった。
だが、簡単にその気になれない戸惑いが、似顔絵師にある。
確かにパリという街は世界中から、観光客たちが押し寄せてくる街だ。
だからといって、似顔絵描きが、それほどの商売になるとは考えにくい。
しかしサンドリーヌは、どこまでも強気だ。
「いいからすべてをあたしに任せなさい。あなたは何も考えなくてもいいの。
客の顔を見て、次から次へとせっせとクロッキーを描いてちょうだい!
それですべてが、万事うまく進みます!」と、渋っている似顔絵師の尻を猛然と叩く。


 結局。翌日からサンドリーヌと一緒に、カフェに出勤する羽目になった。
あてがわれた席に腰を下ろし、これはと思う観光客の似顔絵を描く。
描き上がった頃を見計らってサンドリーヌが、標的になった観光客に声をかける。
観光客が驚いた顔で奥の席に座っている、似顔絵師を振り返る。
日本人の似顔絵師という事が、日本から来た観光客の警戒心を解かせる。
その瞬間が勝負だ。書きあげたばかりの似顔絵を、おもむろに掲げて見せる。
これだけで日本から来たほとんどの観光客が、似顔絵に興味を示す。


 もともと。似顔絵描きが、たくさん居ることで知られているモンマルトルの丘だ。
テルトル広場まで足を運んできた人たちは、そのことをじゅうぶんに熟知している。
中には冷やかし半分気分の客もいるが、妥当な金額ならば、此処までやって来た記念に
一枚くらいは書いてもらいたいと、最初から考えている。
1枚7500円の似顔絵には躊躇を見せるが、相場の半値以下の3000円と聞けば、
簡単に、観光客の財布の紐が緩む。



 初日だけで20枚以上の似顔絵が、飛ぶように売れた。
最初から6万円という目標額を、簡単にクリアしたことになる。
「いったい何が起きているんだ」と、描いている似顔絵師がおおいに戸惑った。
それほど好評に、彼の似顔絵は次々に売れた。
その日の、カフェからの帰り道。
上機嫌で坂道を下っていくサンドリーヌに、似顔絵師が背後から声をかけた。


 「それにしても凄いねぇ、君という女の子は。
 あれほど俺の絵が売れるなんて、実に恐れ入った営業トークの持ち主だ。
 どんな風にして口説いて、あれほどたくさんの観光客たちに、
 俺の似顔絵を買わせる気にさせたんだ?」


 「呆れた・・・あんたって本物のぼんくらね。
 まだ自分の持っている本当の実力に、気がついていないのね。
 あたしはただ、日本からやって来たクロッキーの上手な似顔絵作家が居ますと、
 お客さんに紹介しただけです。
 説得力が有るのは、あなたが描いた似顔絵の方。
 相手の特徴とらえ、短時間に的確に描きあげるあなたのクロッキーは、一級品です。
 絵を見ただけで観光客たちは、一目でそれが自分とはっきり分かるもの。
 それだけで観光客たちは、喜んで似顔絵を買う気分になるわ。
 あたしはただ、そのための環境作りをしただけのこと。
 観光客たちをその気にさせたのは、あなたが持っている天才的なクロッキーの技術力です。
 あなた。パリで絶対に、売れっ子の似顔絵師のひとりになれます。
 ただし。クロッキー限定の似顔絵師に、ね!。うふふ」


 ペロリと赤い舌を出したサンドリーヌが、くるりと似顔絵師に背を向け、
アパルトマンへ続く階段を、トントンと軽快なテンポで降りていく・・・


  
第105話につづく

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