落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第103話 最高のパートナー?

2015-02-03 10:44:25 | 現代小説


「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第103話 最高のパートナー?



 プロの裸体モデルの仕事は、とにかくすごい。
日本での場合、ほとんど20歳前後の若い女性が登場する。
だがパリでは若い人ばかりでなく、ときには中年や70歳を越えた女性も
モデルとして、画家たちの前に登場する。


 年齢に関係なく、大変難しいポーズを時間通り守り抜く。
間に5分の休憩を入れながら、30分間のポーズを2回。15分間を3回。
5分間を4回。合計9種類のポーズをきっちりとこなす。


 モデルとしてのプロ意識が、張りつめた身体の隅々から滲み出してくる。
プロとしての気迫が、教室に居る画学生たちを圧倒する。
画家の卵たちもモデルの迫力に負けまいと、鉛筆やコンテを持つ手に力がこもる。
やがて広い階段教室の中で、だれ一人として私語を発する者がいなくなる。


 似顔絵師の正面でポーズを決めるサンドりーヌは、意地悪だ。
似顔絵師が視線をそらしてうつむくたびに、小悪魔ぶりが顔をのぞかせる。
隠れた部分が微妙に見えてくる。
「ほら。目をそらさずに、あたしをよく見てごらん」と言わんばかりに、
挑発的に、少しずつ微妙に身体が動く。
似顔絵師が耐えかねて、ふたたび床に目線を外す。
その瞬間、駄目とばかりにサンドリーヌから鋭い視線が飛んでくる。
(まいったなぁ。こうなったら君の裸体と、真剣勝負だ、覚悟しろよ・・・)
覚悟を決めた似顔絵師が深く息を吸い込み、呼吸を整える。
汗ばんだ手が、ふたたび鉛筆を握りしめる。



 1時間が経った頃。隣でデッサンする黒人青年の様子が気になってきた。
モーツァルトのピアノソナタ集の楽譜の上に、ドローイングインクで裸体を描いている。
声をかけると、「新しいスケッチブックが買えないので・・・」と黒人青年が
白い歯を見せてはにかんで見せた。
生活費を稼ぐため、楽譜店でアルバイトをしているという。
店主が売れ残りの楽譜をときどきくれると、恥ずかしそうに打ち明けた。
だが似顔絵師は、自分もその古い楽譜が無性に欲しくなった。


 真剣勝負の3時間は、あっというまに終わりを告げた。
サンドりーヌがバスローブを羽織り、小さくほほ笑んで立ち去るとき、
教室から拍手が巻き起こった。
3時間。ポーズをとりつづけたことへの、ねぎらいの拍手だ。
去り際にサンドりーヌが、「ありがとう」とまた、軽くほほ笑んで見せた。
似顔絵師も自分の両手が痛くなるまで、拍手を送り続けた。



 そのサンドりーヌが、大学の門から、100mほど離れたところで待っていた。
「さすがに、門の前と言うわけにはいかないでしょう」と笑顔を見せる。
「凄かったねぇ、君・・・」という似顔絵師の褒め言葉を、サンドリーヌは、
「どうってことないわ。仕事ですもの」と、サラリと受け流す。
「そんなことよりも、出来具合はどうかしら?」と似顔絵師の腕から、
スケッチブックを強引に奪い取る。


 「モデルさんが最高だったからねぇ」と付け足すと、「当然です」と
涼しい答えが返って来る。
背中を街路の壁に押し付けたまま、サンドりーヌがスケッチブックに目を落とす。
ページをめくるたびに、サンドリーヌの眼がすこしずつ真剣な色に変っていく。
似顔絵師は3時間の間に、20枚近いデッサンを描いた。
鉛筆の色を指先で伸ばし、裸体の質感を強調して書きあげたものもあれば、
特徴だけを捉えて、すばやく書きあげたクロッキー風のものもある。


 「なるほどね」とつぶやいて、サンドりーヌがスケッチブックを突き返す。
「あたしと組んで、商売しょうか?」と、似顔絵師の眼を覗き込む。


 「商売する?。・・・君の裸婦画でも描いて売るのかい?」 



 「裸が描きたいと言うのなら、よろこんでいつでも脱いであげます。
 でもそれだけじゃ、商売にはならないわ。
 あんたは、一気に書き上げるクロッキーに、特別の才能が有る。
 日本人から来た観光客たちを相手に、似顔絵を描くの。
 それも、あたしが働いているカフェ専属で」


 「似顔絵なら路上でも書けるだろう。
 だいいちカフェのあるモンマルトルの丘には、凄腕の画家たちがいっぱいいる。
 とてもじゃないが歯がたたないし、相手にもならない。
 無理だ。だいいち、俺は似顔絵なんか書いたことが無い」


 「裸婦画も、似顔絵も、基本的には同じです。
 特徴を捉えることに似顔絵の本質が有るの。その点、あなたは完璧だわ。
 それに日本人観光客は小金持ちが多いし、金払いが良いの。
 ママが日本人相手のカフェを作りあげたのも、その点を狙ったからなのよ。
 あなたはカフェの奥の席に座り、黙って黙々と日本人観光客の似顔絵を描くの。
 描き上がった頃に、私が、言葉巧みに客たちに売りつけるわ。
 どう。とってもナイスなアイデアでしょ」

 「うまくいくかなぁ・・・そんな思い付きみたいな作戦で?」


 「あなたの持っているクロッキーの技術と、あたしのセールストークが結合すれば、
 鬼に金棒、完璧なビジネスとして成功します」


 「なんだか、夢にみたいな話だな」と似顔絵師が戸惑う。
サンドりーヌが「そんなことあらへん。うちら、最高のパートナになれそうや」
と嬉しそうに腕を取り、ぴったりと艶めかしく身体を寄せてきた・・・



 ※クロッキー(仏: croquis)とは、速写(速写画)のこと。
 対象を素早く描画することを言う。
 または、そのようにして描かれた絵そのものを指す。
 スケッチ(写生)とも言うが、特に短時間(10分程度)で描かれたものを
 クロッキーと称する。 主に動物や人体など動きのあるものを
 素早く捉える訓練として行われる。


  
第104話につづく

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