落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第112話 女が2人、呑みに行く

2015-02-13 11:06:08 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
第110話につづく
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おちょぼ 第112話 女が2人、呑みに行く



 「飲みに行こうよ」
8時を過ぎた頃。陽子が、テレビを見ている佳つ乃(かつの)に声をかける。
おちょぼのサラは、隣の部屋だ。
陽子の一人娘の真理と隣の部屋で騒いでいるうちに疲れ果てて、いつの間にか、
2人で仲良くベッドに横たわっている


 「近所の居酒屋に行きましょう。
 歩いて行ける距離ですが、たまに呑みたいときの私の『隠れ家』です」


 「面白そうどすなぁ。けど、ウチ等が居ない間に娘はんが起きたらどないします?
 ひとりでは、寂しがるんやないどすか」


 「父親が居ないというだけで、娘には充分、寂しい想いをさせています。
 けど、いまさらそれを言ってもはじまりません。
 女は泣いて強く育ちます。あなたも女の生き方を、そんな風に感じているでしょう?」



 「ずいぶん乱暴な言い分どすが、たしかに、一理ありますなぁ」


 よろこんでお供しますと、佳つ乃(かつの)が立ち上がる。
表は、上州特有の冷たい北風が吹いている。
12月末のこの時期。
群馬県の真ん中に、屏風のようにそそり立っている赤城山に、まだ雪の気配は見られない。
しかし西にそびえる活火山の浅間山や、北に連なっている谷川岳の連峰は、
すでに真っ白の雪が、山肌の一面を覆っている。
北から吹き降ろす12月の風には、谷川連峰の冷たい雪の気配が含まれている。


 「表は寒いからこれを羽織って。綿入れの半纏(はんてん)」
陽子が、お揃い柄の、ふっくらとした半纏(はんてん)を差し出す。
「ここでは体裁よりも、暖かさのほうが最優先。
今風のヒートテックやモダンな防寒着もいいけれど、田舎はやっぱり、
昔から伝わっている、こうした綿入れ半纏が一番重宝します。
騙されたと思って、着てちょうだい。
着やすいし、脱ぐのも簡単。こいつをヒョイと羽織って、飲みに行くのが私の流儀」
どう暖かいでしょと陽子が、佳つ乃(かつの)の顔を覗き込む。


 足を踏み出した瞬間、佳つ乃(かつの)が、あまりもの寒さに思わず凍り付く。
群馬の風の冷たさは、底冷えする京都の寒さと、まったく異質のものになる。
雪の冷たさを存分に含んだ強い北風は、足を一歩表に踏み出した瞬間から、
情け容赦なく、露出した肌から温かみを奪っていく。



 「うわ~、しんどい。これが噂に聞く、上州の空っ風どすかぁ?」


 「うふふ。まだまだよ、こんなのは序の口。
 5~6メートル程度の風なんか、空っ風のうちに入りません。
 10メートルを超えて、瞬間風速で、30メートルを記録することもよく有ります。
 虎落笛(もがりぶえ)という言葉を知っている?
 電線が激しく揺れて、まるで笛のように鳴る現象のことを言います。
 空っ風が吹き荒れる真冬になると、小学生たちは風に背中を向けて通学路を歩きます。
 だから上州に生まれた女たちは、昔から、冬を越すたびに忍耐強くなるの」


 「底冷えの京都も寒いどすが、群馬もそれに負けてはおりませんねぇ・・・
 ホントに暮らしていけるのかしら、ウチ、こんな寒いトコで」


 思わずすくめた佳つ乃(かつの)の首へ、陽子がぐるぐると毛糸のマフラーを巻きつける。
「序の口で驚いているようでは、赤城おろしが吹き荒れる真冬を生きていけません。
いまからでも遅くありません。底冷えのする祇園のほうが住み心地が良いと思うのなら、
群馬への移住を諦めたらどうですか」と、ニットの帽子を頭にかぶせる。


 「そんなことはあらへんなぁ。日本全国どこでも、住めば都どす」
静かに燃えあがる目が、帽子とマフラーの小さな隙間から、陽子の横顔を鋭く睨む。



 「あなたがプロだという事は、コンパニオンたちへのアドバイスでよくわかりました。
 私の目から見ても、あなたは弟にはもったい女性です。
 いいんですか。これまでの名声と祇園での優雅な暮らしを捨ててもしまっても。
 こんな群馬の片田舎で、弟と詰まらない生活を送ることが、本当に、
 あなたのこれからの夢なのですか?」


 陽子から、鋭い視線が返って来る。
しかし佳つ乃(かつの)はきわめて穏やかに、陽子の視線を受け止める。


 「暖かいどすなぁ、この綿入れの半纏(はんてん)は。
 これほど暖かさが有れば、ウチは、群馬で充分に暮らしていけると思います。
 けど。ウチのことを、大作さんの家族は受け入れてくれるでしょうか・・・」


 「実家が駄目なら、あたしのところへ来ればいい。
 舞を舞う機会を失っても、あんたにはプロの資質がある。
 女が内面から美しくなるためにいったい何が必要なのか、あんたはそのすべてを
 ちゃんと理解している。
 忙しさにかまけて、仕事の原点を忘れかけていた私にあんたは鉄槌を下した。
 美しくて、品のいい女は、一皮むいたら鉄槌の女だ。
 髪を綺麗に整えて、衣装を着飾っただけでは、女性は光らない。
 あんたは自分を、内面から磨き抜いてきたお人や。
 美しさを身につけるためには、内面から磨こうとする姿勢がなによりも大切なことです。
 あんたはそのことを、短い時間で的確にコンパニオンたちにアドバイスした。
 あの瞬間わたしは、一発で、あなたのファンになりました。うふふ」


第113話につづく

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