落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第111話 プロの着付け

2015-02-12 11:34:56 | 現代小説
「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
第110話につづく
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おちょぼ 第111話 プロの着付け




 実家から陽子の美容室まで、車で15分余り。
ちらりと腕時計を覗いた陽子が飛び込みの着付けが、すでに終わっている
時間だろうと確認する。
ひんぱんに美容室を使ってくれるコンパニオンたちは、陽子から見れば上客たちだ。


 コンパニオンとは、宴席で接客係をする女性たちのことを指す。
彼女たちは料亭やホテル、旅館の宴会へ出張して、接客を行う。
主な仕事の内容は「お酌」と「話相手になる」ことだが、時には一緒に
カラオケを歌うこともある。


 長引く不況のため、コンパニオンの数は年々、減少している。
最大の原因は、企業がおこなう職場旅行や宴会の数が、減り続けているためだ。
経費削減の指示のもと企業が、恒例だった社員たちの慰安旅行や忘年会や
新年会などに、経費をまったく出さなくなったからだ。



 駐車場には、送迎用に使うコンパニオン会社のワンボックスカーが
誰も乗せないまま、まだ静かにアイドリングをしている。
(あら、車がまだ置いて有りますねぇ。もしかしたら着付けが長引いているのかしら?)
不安を覚えた陽子が、急ぎ足で美容室へ駆け込んでいく。
案の定。陽子を見つけた主任の恵美が、慌てて奥の部屋から飛び出してきた。



 「大変です、先生!」


 「どうしたの?。遅れていますねぇ、何か問題でも発生しましたか?」


 「いいえ、特にこれといった問題はないのですが・・・
 それにしても何者なんですか、あの2人。
 途方もないスピードで着付けを済ませた後、いま最後の特別な仕上げをしています」


 「最後の特別な仕上げ?。何なの、聞いたことないわよ、
 着付けで、最後の特別な仕上げなんて」



 いいから、とにかく奥へ来てくださいと、恵美が陽子の腕をぐいと引っ張る。
引っ張られるまま陽子が、着付けがほどこされている奥の部屋へ急ぐ。
着付けの場として使われる10畳の部屋は、衣装部屋としても活用されている。
部屋の真ん中に、申し分なく着付けが終了したコンパニオンたちが並んで立っている。
何処を見ても、特に問題はなさそうだ。
髪の仕上がりも、着付けの完成度も、陽子の眼には申し分なく見える。


 「あきまへんなぁ。みなさん、
 着物を着た立ち振る舞いが、あまりにもぎこちなさ過ぎどす」


 響いてくるのは、電話で何度も聞いた佳つ乃(かつの)の声だ。
(あら、何が始まっているのでしょう?)陽子がドアに掴まり、さらに部屋の中を覗き込む。
コンパニオンの3人が、佳つ乃(かつの)の前に横一列に整列している。


 「着物姿を、美しく見せるポイントは、3つどす。
 足元。腹筋。頭部。この3つに神経をいきわたらせることで、着物姿が
 各段に美しく見えるんどす」

 「ホントですか、先生。たった3つのポイントに注意するだけで、
 誰でも綺麗な、着物姿になれるのですか!」



 「嘘はいいまへん。毎日、着物を着ているウチが言うんどす。
 ポイントの1つ目は、足元どす。
 つま先をやや内側に向けて、意識して内股で歩くんどす。
 歩幅は10センチ程度どすなぁ。裾が跳ねない程度に歩くことが肝心どす。
 今風に、かかとから、のしのしと歩いてはいけまへん。
 足は、つま先からすり足気味で運びます。
 歩くとき、褄(つま)を持つことも、美しく見せる秘訣どすなぁ」


 「あっ。芸者さんたちがときおり見せる、あの着物をつまむ動作のことですね!」


 「そうどす。褄を取るのは、着物ならではの美しいポーズどす。
 いわば、見せ場のひとつどす。優雅につまんで、殿方たちを悩殺してください。
 2つ目のポイントは、腹筋を使うことどすなぁ。
 帯にお腹を置く姿勢の方をときどき見かけますが、おおきな間違いどす。
 帯は、お腹を乗せる為のものではおへん。
 腹筋をしっかりと使い、その力で上体をしゃんと保ちます。
 そのとき、同時に、ヒップを意識して中心に引き寄せ、上に立たせます。
 着物になると、ヒップラインが意外と目立つんどす。
 着物の布地が想像以上に身体に密着するため、お尻のラインと太ももの形が、
 はっきりと表に出るんどすなぁ」


 「下着などを着けていると、着物にラインが出るのはそのためのものなのですね。
 着物のときはやっぱり、下着を着けないほうが正解かしら・・・」


 「薄手のものならラインは出ません。着ていても大丈夫どすなぁ。
 3つ目のポイントは、頭部どすなぁ。
 昔から『首が長いことは、美人の条件』と言われておます。
 和服の襟足からスラリと伸びた長い首は、艶やかで、見ていて大変に美しいもんどす。
 生まれつきお首が短いなんて、おっしゃらないで下さい。
 首の骨、「頚椎」の数は、どなたも同じ数しかあらしません。
 肝心なことは、首の筋肉を鍛えることどす。
 美しいうなじいうのは、この鍛えられた筋肉で支えられているんどす。
 言い換えれば、首のラインの美しさを保つのは、丁寧に鍛えられた首の筋肉どす。
 うなじの筋肉を意識してしっかりと使い、頭の重みを支えてください。
 この3つを心がけるだけでどなたさまも、今日から立派な着物美人になれますなぁ。
 はい、これで着付けと、着物姿が格段に引き立つポーズの完成どす。
 どなたさまも気張られて、本日のお仕事に励んでくださいな。うふふ・・」


第112話につづく

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