落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第105話 パリの日々

2015-02-05 10:37:16 | 現代小説
「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第105話 パリの日々



 サンドリーヌとの、少し奇妙な共同生活がはじまった。
週に2回。大学でヌードデッサンが開かれる日は、画学生のような顔をして
サンドリーヌと一緒に、いつもの階段教室へ顔を出した。
サンドリーヌの裸体を真剣な目つきで、古い楽譜にせっせとを書き込む
黒人青年とも、いつの間にか、すっかり顔なじみになった。


 ヌードデッサンのない日は、モンマルトルのカフェに似顔絵を描きに行く。
定位置になった奥のテーブルで、今日もせっせと客の顏を描く。
口コミが広まって来るにつれて、日本人観光客が店の中で順番を待つようになる。
「先日パリに来た友人から噂を聞いた」とか、「フェイスブックに載っていました!」
などと次ぎから次に似顔絵師の前へ、似顔絵希望者が集まって来る。
中には、「あなたに会いたくてわざわざ予定を変え、アフリカから急遽パリに
やってきました」などという、OL嬢のグループまで現れる。



 「どうなっているんだろうね、最近の日本人のヨーロッパブームは。
猫も杓子も、喜び勇んでパリに集まって来る。
パリ以外の観光地を、まるで知らないような感さえある」
手を休めた似顔絵師がこのままでは俺の手が、腱鞘炎になりそうだと真顔でこぼす。
「当たり前じゃないの。パリは世界中で一番、外国人がやって来る街なのよ」
と、サンドリーヌがクスリと鼻で笑う。


 「パリへやって来る外国人で一番多いのがアメリカ人の、130万人。
 次に80万人のイギリス人。3位がイタリア人で70万人。
 4位が日本人で、60万人。
 そのあとにスペイン人、中国人と続いて、最近は韓国人も増えてきた。
 観光地の一番人気はノートルダム寺院で、 年間およそ1000万人が訪れる。
 2番目がモンマルトル・サクレクール寺院で、 年間800万人。
 そのうちの大半が、似顔絵師の居るテルトル広場まで足を運んできます
 どう?、日本人だけを数えても、充分に採算が取れる数字でしょ」


 「なるほど。一理あるね。
 続々とやってくる日本人観光客に目を付けた君のママが、いち早く、
 カフェに日本画を飾り始めたんだな。
 ママの先見性もすごいが、俺のクロッキーを商売化した君の、
 プロデュースセンスにも脱帽だな」


 「あたしがお金を貯めこむのには、理由が有るの。
 前回の留学で、日本の古い文化をいろいろと学んだけれど、課題も残りました。
 和風の代表格、京都と金沢の友禅染めが、残念ながら未体験のままなの」


 「へぇぇ。友禅染めなんかに興味が有るのか、君は」


 「うん。あなたの登場は、あたしにとって絶好の好機。
 渡航費用を溜めるビジネスチャンスが訪れたことに、おおいに感謝しています」


 そう言った後サンドリーヌが今日もまた、いつものように似顔絵師の腕をとる。
パリジェンヌは、セーヌ川沿いの散歩が大好きだ。
中洲に作られた歩道、「白鳥の小径」はとくにサンドリーヌが好む散歩道だ。



 「白鳥の小径」は、エッフェル塔の目の前にあるイエナ橋のひとつ西側、
ビル・アケム橋と、さらにその先にあるグルネル橋をつなぐように横たわっている、
長さ1kmほどの、人口の中州だ。
人ごみであふれかえる観光スポットから、少しだけ離れている。
エッフェル塔から歩いて行ける距離にあり、休憩がてらちょっと遠目にパリを
眺めたい時に、おすすめのスポットだ。


 小径ですれ違うのは、犬を散歩中のおじいちゃん。マラソン中のマダム。
ゆったりと歩く地元の人たちくらいなものだ。
小径の中にあるものは、手入れの行き届いた並木と芝生、ベンチ、屑かごくらいなものだ。
セーヌ川の流れの中心にいながら、家の近所に帰って来たような、
そんな不思議なリラックス感が漂っている。


 「君が一年契約と言ったのは、そういう意味なのか?」


 「いまの勢いが一年間つづけば、あたしが日本へ行く費用は充分溜まります。
 いつまでも派手に荒稼ぎを続けていると、そのうちパリ当局からも目をつけられます。
 ブームはやがて飽きられるもの。
 そうなるまえに、素直に撤退するのも作戦のうち。
 ということで、あなたと一緒に暮らせるのは、1年後までのことになります。
 どう。見た目にチャーミングすぎるパリジェンヌは、
 外見とは裏腹に、けっこう計算高いでしょ!」



 うふふとサンドリーヌが、鼻に小じわを寄せて笑う。
小路の一番のおすすめは、終点近くにそびえている「パリの自由の女神像」だ。
自由の女神を送られたお礼にアメリカから寄贈された、高さが4分の一の女神像が、
遠いアメリカに視線を向けて、セーヌの河畔に静かにそびえている。


 「あたしは1年後に、必ず、夢をかなえるためにもう一度日本へ行きます・・・
日本でまた、あなたと再会できるといいですねぇ~」
うふふともう一度、サンドリーヌが大胆に似顔絵師へ肩を寄せてくる。


  
第106話につづく

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