落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第108話 飛び込みの着付け

2015-02-08 11:23:39 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第108話 飛び込みの着付け



 
 「降りる駅を変更してください」と、言い切る陽子の声に、
「はぁ~?」と小首を傾げているような、佳つ乃(かつの)の返事が返って来た。



 「ロマンスカーで来ると、群馬へ入った最初の駅が太田(おおた)です。
 太田駅で、東部線が2つに分岐します。
 乗り換えをせずそのまま太田をスルーして、途中の藪塚温泉駅で停まるのが、
 あなたがこれから乗る予定の、赤城駅行きです。
 乗り換えのために、太田駅で降りてください。
 隣のホームから、ローカルの伊勢崎線に乗り換えてください。
 たった2両の、典型的なローカル列車です。
 太田駅から3つ目の駅。世良田(せらだ)という駅で降りてください。
 世良田は、無人の駅です。
 7世紀のはじめ、利根川の氾濫のため、荒れ放題だった土地が開墾されました。
 8世紀中ごろまでに、広大な水田地帯として完成しました。
 新田の荘の中心部として、長く栄えた土地です。
 太平記の時代に、新田義貞を産んだことでも知られています。
 駅に降りると目の前に、肥沃な穀倉地帯がひろがっている様子が見られます。
 「この世にこれほど素晴らしい良い水田はない」と言われた風景です。
 この世の「世」と、素晴らしく良いの「良」、水田の「田」をとり、
 「世良田」と命名された駅です」


 「うふふ。素敵な風景が、降りる前からくっきりと目に見えるようどすなぁ。
 けど、なんでわざわざ路線を変更しはるんどすか。
 ウチらが藪塚温泉へ向ったんでは、なんか不具合があるんどすか?」


 「大ありです。
 弟の大切な恋人が、わざわざこちらまで足を運んで来てくれたというのに、
 藪塚などと言うひなびた温泉へ泊まらせたのでは、義理が立ちません。
 わたしが万事計らいます。
 どうぞ安心して、世良田駅までお越しください」


 「承知いたしました。
 けど実家が取り込み中ということでは、あの人とお会いすんのは
 無理のようどすなぁ・・・」



 「ご心配なく。今日という訳にはいきませんが、それもなんとかいたします。
 それから駅への迎えには、私のところの恵美ちゃんと言う子を出します。
 そのまま店舗兼住宅になっている、私の家でくつろいでください。
 実家の用事が片付き次第、わたしも急いで戻ります。
 あ。世良田は無人駅ですので、降りる乗客はほとんどいません。
 美人2人が降りてくると伝えておきますので、出迎えに問題はないでしょう。
 はるばるのご来県、弟にかわり、こころから歓迎いたします。
 うふふ。こちらこそ、あなたとお会いするのがいまからとても楽しみです。
 では、のちほど、また。」


 通話を終えた陽子が、続けて恵美の携帯を呼び出す。
「はい」と答える恵美の快活な声が、いきなり陽子の耳へ飛び込んでくる。


 「いまから1時間半後に太田駅へ着くロマンスで、お客様がお見えになります。
 伊勢崎線に乗り換えて、世良田の駅で降りてくださいと指示をしました。
 時間を確認して、迎えに行ってください。
 降りてくるのは31歳の美女と、15~6歳の少女です。
 下校時の高校生くらいしか降りてこない駅だから、一目で分かると思います」


 「分かりました。
 飛び込みの着付けが入ったのですが、先生の都合はいかがですか?」


 「飛び込みの着付け?。あなたたちだけでは手に負えないの?」


 「セットは任されましたが、着付けは先生にお願いしたいと希望しています。
 コンパニオン会社の3人が、伊香保温泉に呼ばれたそうです。
 2時間後にお見えになり、夕方までに伊香保の宴会場へ着きたいそうです。
 あたし、まだ、着付けにはあまり自信がありません・・・」


 着付けに関しては、陽子が一手に引き受けている。
リーダー格の恵美は着付けもそれなりには手伝うが、まだまだ手元に不安が残る。
一度に3人の着付けとなると、さすがに自信が持てないようだ。


 「それなら大丈夫。時間的にも京都からやって来る2人が間に合うでしょう。
 着付けをお願いしますと、わたしのほうから頼んでおきます。
 実家の仕事が片付き次第わたしも戻るけど、たぶん、その2人が居れば
 なんの問題もないでしょう」


 「先生。お見えになるお客様と言うのは、着付けが仕事のお方なのですか?」



 「毎日、着物を着ています。素人の着付けなんか、まったくの朝飯前よ。
 なるほどね、そういう特技の持つ主でもあるわけか・・・
 農家の嫁として苦労するよりも、あたしの片腕として頑張ってもらったほうが、
 どうやら、存在感が有りそうだわね・・・」
 
 「先生。嫁とか、片腕とか、いったい何のお話ですか?」


 「あ、あんたはいいのよ、余計なことは知らなくても。
 じゃ、2人の美人の出迎えと、3人の着付けの件。
 両方ともあなたに全部お任せします。
 うふふ。何やら面白いことになって来そうですねぇ、この先が・・・」


 「先生!・・・」


 「あ、気にしないでね。いまのも私の勝手な独り言です。
 じゃお願いね、恵美ちゃん。
 あとのことはすべて、あなたにお任せしますから。うふふ」

 

第109話につづく

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