落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第101話 佐伯祐三の街

2015-02-01 10:22:00 | 現代小説


「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第101話 佐伯祐三の街




 パリ14区街で、メトロから降りた。
14区は市の南部にあり、セーヌ川の南側に位置している。
北部を中心に、境界を接している6区、7区、15区にかけての一帯が、
芸術家たちがこぞって集う、モンパルナス地区だ。


 北岸にひろがるモンマルトルとともに、芸術家たちの街として世界的に知られている。
高村光太郎や藤田嗣治など、日本からやって来た芸術家たちが、
好んで集まってきたことでも有名だ。
区内には他にパリ天文台やモンスーリ公園、モンパルナスの墓地などがある。


 14区は、『和製ゴッホ』と呼ばれた、佐伯祐三が暮らした街だ。
パリの魅力にとりつかれた彼は、それまで誰も取り上げなかったパリの
下町の風景を、繰り返し、何度も作品の中に取り上げた。
汚れた壁やはがれかかったポスターに、彼は下町の美しさを見いだした。



 14区を描いた作品のひとつに、『モロ・ジャフェリ広場』が有る。
冬のパリ特有の鉛色の空の下、多くの人が行き交う広場の様子を独特のタッチで
描きあげたものだ。
奥には、古びた建物が建っている。
白い壁と歩道の石畳が、重厚なタッチで描かれ、人物と木立、建物の輪郭と窓は、
独特の勢いを持つ線描で表現されている。
佐伯はこの殴り書きのような作品の中で、先を急ぐ人々の息づかいと、
広場に漂う冷たい空気を、彼なりに表現した。


 大学までの道のりの中、佐伯の作品に登場しそうなパリの下町の風景が、
突然、似顔絵師の目の前に現れる。
サンドリーヌにしてみれば、通い慣れた単なるただの通学路だ。
だが佐伯祐三を熱愛している似顔絵師にしてみれば、作品の中で見たのと
まったくおなじ風景が、歩くたびに目の前に次々と登場する。


 似顔絵師が何度も街角で立ち止まる。
懐かしそうな目で、路地の奥をしみじみと覗き込んでいく似顔絵師に、
サンドリーヌが、ついに怒りを爆発させた。



 「お願いだから、路地を覗き込むのはもうやめて。
 いい加減にしてちょうだいな。
 遅刻するのは駄目だと、何度も言ったでしょ。
 今日の主役はわたしなのよ。あたしが遅刻をしたら話になりません。
 佐伯祐三の世界に浸るのは後にして、お願いだから、先を急ぎましょ!」


 「君が今日の主役だって?。それはいったいどういう意味だ。
 俺にはまったく、君の言っている意味が分からない・・・」


 「いまは分からなくてもいいの。大学へ着けば、おのずと分かります!。
 お願いだから先を急ぎましょ。
 佐伯祐三の世界を確認したいのはわかるけど、今は大学へ行くことが先決です。
 授業のあとで、祐三が住んだアトリエなども見せてあげますから、
 いまは、とにかく先を急ぎましょ」


 (へぇぇ・・・祐三が住んだアトリエが、この近くに有るのか。
 ラッキーだな。先を急ぎたいサンドリーヌには申し訳ないが、今日はなんだか、
 良いことが、たくさん起こりそうな気配がしてきた・・・)



 いらだちを背中に見せて、サンドリーヌが大股でスタスタと歩き去っていく。
それを見た似顔絵師が早足で、慌ててサンドリーヌのあとを追う。
メトロの駅から大学までは、2キロ余り。
通学路の両側には、19世紀の半ばごろに建てられた灰色のアパルトマンが、
鉛色の空の下に、いくつも並んで横たわっている。
何処を見ても普段着のままの下町の匂いが、ぷんぷんと漂ってくる。


 通学路を歩き終えたサンドリーヌが、大学の門の前で待っていた。
両手を腰に当て、鬼のような形相のまま、似顔絵師の到着を待ち構えている。


 「3分20秒の遅れ。日本のお家芸の駅伝競技なら、致命傷といえる遅れです。
 でも5分前に着いたから、授業に支障はありません。
 そういう意味ではひと安心ですが、言いたくないけど、あんたと歩くと疲れるわ。
 まるで迷子願望の子猫と、散歩しているような気分です。
 今度外出するときは、首に鈴か、背中に発信機を取り付けてあげるから、
 覚悟してちょうだいね。
 さて。ここが私が4年間学んだ母校です。
 ヌードデッサンの授業は、本館3階の階段教室で開かれます。
 美人が登場する日は、なぜか関係ないはずの室内建築の学生や、聴講生たちまでが
 スケッチブックを片手に、わんさと集まって来るの。
 50人以上も集まることがありますから、そんな連中の気迫に負けないでね。
 覚悟は良くて?。では行きましょう。
 待望の、美人モデルが登場をする、ヌードデッサンの教室へ」


  
第102話につづく

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