落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第109話 早く会いたい

2015-02-10 11:59:36 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
 
おちょぼ 第109話 早く会いたい




 弟子に指示を終えた陽子が、ふたたび佳つ乃(かつの)の番号を呼び出す。
今度も2度目のコールで、「はい」とさわやかな声が帰って来る。
「いま。どちらですか」と聞けば、「ロマンスカーに乗り込むところどす。
何か、急な御用どすか」と先に問いかけてきた。


 美容室で、急に着付けの手伝いが必要になったと手短に伝える。
「お安い御用どす。よろこんでお手伝いさせてもらいます」と佳つ乃(かつの)から、
あっさりと快諾の声が返って来る。
やれやれと胸を撫でおろし、ほっとして通話を切った瞬間、何故かドキドキしている
自分が居ることに、陽子がようやくのことで気が付く。
さわやかに受け答えを続ける弟の恋人に、すでに好意を抱き始めている自分に気が付く。


 (なんでやろ。弟の恋人と電話で数回話しただけというのに、変な風に
 私の胸がドキドキしています・・・)



 佳つ乃(かつの)の顔は、概に画像で見ている。
祇園甲部の売れっ子芸妓という事も、弟の告白からすでに承知をしている。
だが電話の向こうから聞こえてきた佳つ乃(かつの)の京都なまりの声は、
陽子の思惑をはるかに超えて、涼やかで爽やかだった。
祇園の美人芸妓、佳つ乃(かつの)に、早く会いたいという気持ちが、
陽子の身体の奥から、ふつふつとこみ上げてくる。


 (なんなのでしょう。久しぶりと言えるこの、こみあげてくるようなトキメキは。
 美しい人だということは、写真を見た瞬間から分かっています。
 四万温泉に向かうと言っていたけど、それにしては遠回りをし過ぎです。
 おちょぼまで連れて、わざわざ此処まで来るのには、どういう意味が有るのでしょう。
 大作に逢いたいだけなのだろうか。
 それとも交際していますと、親に挨拶でもするつもりかしら・・・
 でもそれはまだ、いまの段階では有りえない。
 母には知られてしまったが、弟はまだ、父に紹介する腹つもりはなさそうだ・・・
 それにしても、はんなりとした京都弁が、いまだに私の耳の奥に残ったままです。
 たかが弟の恋人に会うだけだというのに、私のほうが変な気持ちで、
 なんだか胸が、ドキドキと高鳴っていますねぇ・・・)



 庭から砂利を踏むタイヤの音が、聞こえてきた。
庭の周囲には、季節の草花が飢えられている。
草花は咲くが、農家の広大な庭に雑草は生えてこない。
長い年月にわたり、おおくの人の足が、庭を固く踏み固めてきた結果だ。
庭に生える雑草は、土に種を落とすことで、年を追うごとに繁殖をひろげていく。
タネを落とす前に根から抜いてしまえば、雑草は生えなくなる。
固く踏み固められた土の上に父の徳治は、雨で水たまりができないようにと、
あえて薄く、砂利をまいている。



 パタンとドアが閉まり、車から人の降りる気配が聞こえてきた。
コホンという咳払いも、車を降りる時の父のいつもの癖だ。
(帰って来た!)テーブルから立ち上がりかけた陽子が、あわてて弟の
スマホを手に取る。
佳つ乃(かつの)の着信記録を呼び出し、そのまま削除をしてしまう。
(他意はないけれど、恋人が群馬に来たことは、とりあえずあなたには内緒です。
うふふ、悪いわね大作。佳つ乃(かつの)さんは、私がひと晩預かります)


 何くわぬ顔で陽子が、玄関へ出迎えに出る。
大きな荷物を抱えた似顔絵師が、汗びっしょりで玄関の中へなだれ込む。
父の徳治は2週間ぶりになる我が家を、庭の真ん中からしげしげと見まわしている。
その顔に、「俺が居ない間に、何か変わったことはなかったか」と書いてある。
父の背後で「何も有りませんよ」と小さくつぶやくのも、母のいつもの口癖だ。


 「おう。来ていたのか。いいのか、美容院のほうは放っておいても」



 「よく言うわ。明日退院するから、盛大にお祝いしてくれと自分で言ってたくせに。
 恵美ちゃんも一人前になったし、お店の事は心配ありません。
 あ。でも残念ながら、今日の夕飯は一緒に食べられません。
 突然ですが、大切な人から、是非にとお誘いの電話がかかって来たの。
 お父さんの元気な顔は見ました。
 もう今日は、私が居なくても、大丈夫でしょう?」

 
 「残念だな。急な電話じゃしょうがねぇ。
 で、どういうことなんだ。新しい男でも出来たのか、お前に?」


 「はい。運命的な出会いになるかもしれませんねぇ、うふふ。
 詳細はのちほど、仔細に報告いたします。
 というわけで家族水入らずの夕食は、またの機会という事になってしまいました。
 夕食の準備が終わったら、私は、お店に戻りますのでよろしく」



 上機嫌のお前さんを見るのも久しぶりだ、と父の徳治が笑う。
「あんた、大丈夫かい。悪い病気じゃないだろうねぇ、また、いつものさ?」
庭から戻って来た母が、陽子の尻をポンと叩いて居間へ消えていく。
「ホントかよ、ネエちゃん。恋人が出来たってのは」と、似顔絵師が、
嬉しそうな姉の顔を覗き込む。


 「明日になれば分かります。その時までのお・た・の・し・み。うふふ」
ニコッと笑った姉が、「さあ。とっとと、夕食の支度を片づけて我が家へ帰ろう~♪」
と、笑顔を見せたまま、弾んだ足取りで台所へ消えていく。


第110話につづく

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