落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第102話 衝撃のヌードデッサン

2015-02-02 11:11:07 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第102話 衝撃のヌードデッサン



 大学の門を入っていくと、いかめしい胸像がいくつも並んでいる。
いずれも名を成した卒業生たちの胸像だ。
フランス語で名前が書いてあるが、似顔絵師にはチンプンカンプンだ。
サンドリーヌは、「いずれも有名な卒業生たちです』と軽く指を向けるだけで、
軽い足取りのまま、胸像の間をすり抜けていく。


 内部に一歩入ると、学生たちの姿が多くなる。
若い男女ばかりか、似顔絵師よりもはるかに年上だろうと思われる学生も居る。
中にはおばさんかおじさんと呼びたくなるような、年配者も混じっている。
サンドりーヌに言わせると大学の年齢制限は、35歳だという。



 「でもね。ここには年齢を越えた聴講生や、留学生たちがたくさん居ます。
 来る者は拒まずという気風が、この大学の取り柄ですから。
 でもね。入って来るのは自由ですが、卒業することは難関です。
 なにしろ最終的に卒業できるのは、30%以下という大学ですからねぇ。此処は」

 
 ふふふとサンドりーヌが鼻で笑って見せる。
3階までの階段を上り終えたサンドりーヌが、大きな扉の前で立ち止まる。



 「ここが、あなたがヌードデッサンを体験する、階段教室。
 パリジャンたちは初心(うぶ)だから、ほとんどの人が中段か最上段に陣取ります。
 という事で最前列は、いつもガラガラです。
 かぶりつきと表現するんでしょ、日本語で、最前列の特等席のことを。
 あなたなら大丈夫よね。大和魂を持っている日本男児だもの。
 最前列のかぶりつきで、ヌードデッサンを、精一杯に頑張って頂戴ね」


 では、のちほどと似顔絵師の背中をポンと叩いて、サンドりーヌが立ち去っていく。
(あれ?。君は入らないの・・・)不思議そうな顔で似顔絵師が見送っていると、
廊下の中ほどでサンドりーヌが足を止め、ニッコリと振り返る。


 「女にはいろいろと準備が有るの。分かるでしょ、そのくらいのことは。
 最前列の特等席で待ってて下さい。あとでまた、お会いましょう」



 じゃあねとふたたびほほ笑み、サンドりーヌがくるりと背中を向ける。
スケッチブックを握り直した似顔絵師が覚悟を決め、階段教室の大きな扉を開ける。
内部は確かに、大勢が入れるほどの空間が有る。
教壇を見下ろす半円形の空間の中を、階段が放射状に登っていく。
学生たちの数が増えていくのは、サンドリーヌが指摘していたように、
たしかに階段の中腹を過ぎたあたりからだ。
最前列とその次の列に、学生の姿はほとんど見えない。
ガラ空きの最前列のほぼ中央に似顔絵師が、スケッチのための場所を陣取った。



 遅れてやって来るはずのサンドりーヌのために、もう少し広めにスペースを
確保しておこうかと考えた時、始業を知らせるベルが鳴った。
(まずいな、サンドりーヌのやつ。自分で気を付けろと言っていたくせに、
もう始業のベルが鳴って、完全に遅刻だぜ・・・)
しかし、いまとなってはもう後の祭りだ。


 入り口の大きな扉が、ゆっくりと開く。
授業を担当する教授のあとから、ピンク色のバスローブを頭まで羽織った女性が
しずしずと教室に足を踏み入れてきた。
ヌードモデル役をつとめる、女性プロの登場だ。


 「おはよう諸君。今日はいつになく大入りだ。
 とくに最前列に陣取った新入りクンたちの、果敢な勇気に敬意を払う。
 では、今日も3時間。たっぷりと気合を入れ、ヌードデッサンに励んでくれたまえ。
 あとのことはプロの美人モデルさんにお願いして、邪魔な私は、
 とっとと消えることにしょう」


 後はよろしくと、教授がバスローブの女性の肩を叩いて消えていく。
「はい」と頷いた女性がバスローブを羽織ったまま、学生たちに背中を向ける。
華奢な指先が、頭から覆ったバスローブの頂点にかかる。
ゆっくりと、栗色の髪が現れる。
両肩が露わになる。バスローブがするりと揺れて、背中から滑り落ちる。
一糸まとわぬ姿になったモデル嬢が、ゆっくりと正面に身体を向ける。



 「あっ」と似顔絵師の口から、大きな声が出た。
激しい衝撃とともに力を失った指先から、スケッチブックが音を立てて床に落ちる。
裸体を惜しげもなくさらしているのは、さっきほどまで一緒に歩いていたサンドりーヌだ。
似顔絵師の頭の中が、真っ白になる。
すべての血液が、まるで瞬間湯沸かし器のように沸騰していく。
熱湯と化した血液が、すさまじい勢いで似顔絵師の全身を駆け巡った後、
ふたたび頭のてっぺんに集まってくる・・・・


 (ゆ、夢じゃない。
 俺の目の前に居るのは、さっきまで一緒に歩いていたサンドリーヌだ。
 それにしても、実に美しい裸体だ。
 天上界のビーナスが画家の卵たちのために、この世に降臨してきたような、
 そんな感動さえ覚える・・・)



  
第103話につづく

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