落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第107話 佳つ乃(かつの)が群馬へやって来る

2015-02-07 11:44:33 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第107話 佳つ乃(かつの)が群馬へやって来る




 「あら・・・」茶の間を通り過ぎた姉の陽子がテーブルの上で、
プルプルと鳴っている弟のスマートフォンの存在に気が付く。
(あの馬鹿。スマホを忘れて出かけるなんて、油断するのにもほどがある)
どれどれと興味をひかれ、姉の陽子が似顔絵師のスマホを手に取る。


 画面に、佳つ乃(かつの)という表示が出ている。
(あら。交際中の美人芸妓、佳つ乃(かつの)さんからですねぇ。
タイミングが悪すぎます、2人とも。大作は退院準備のために出かけているし、
忘れたスマホに連絡を入れてくる佳つ乃(かつの)さんも、最悪ですねぇ)


 通話を押そうとした瞬間、呼び出し音がプツリと途切れた。
(あら、寸前のところで切れてしまいました・・・残念ですねぇ、今回は!)
スマホをテーブルに置き、立ち去ろうとした陽子が「待てよ」と思案顔で立ち止まる。
大作が群馬に戻ってきてから、今日でもう3日目になる。
だがこの数日間、大作のスマホが鳴ったことは一度もない。



 (弟のスマホに電話がかかってこないのは、当たり前のことだ。
 3年も放浪旅をして来れば、昔の友人たちとは疎遠になる。 
 まして今回は父の入院騒ぎで、不本意と言える急な帰省だ。
 大作が帰ってきていることを、昔の友人たちは一切知らないし、
 本人も、友人たちと連絡を取っていない・・・
 今日は12月29日。
 この年の瀬の押し詰まった時期に、恋人からいったい何の用件でしょう、
 急用だと困りますねぇ・・・よし、あたしから掛けてみましょう)



 陽子が、似顔絵師の着信履歴を呼び出す。
掛かって来たばかりの佳つ乃(かつの)の番号は、すぐ画面に出る。
番号を指先で触れると、すぐに相手の呼び出し音が鳴る。
「はい」。待ちかまえていたのだろうか、2度目のコールで涼やかな
佳つ乃(かつの)の声が返って来た


 「祇園の美人芸妓、佳つ乃(かつの)さんですね。
 あ。お願いですから、電話は切らないで。決して怪しいものではありません。
 大作の姉で、陽子と言います」


 いきなり姉が出たために、通話の先で佳つ乃(かつの)が、
どうしたものかと、返答に戸惑っている。
絶句したまま困り果てている様子が、回線を通して鮮明に伝わって来る。
(無理もありませんねぇ。弟が出るとばかり思っていたら、
いきなり見知らぬ女が電話に出たんだもの。狼狽えないほうが可笑しいわ)


 「もう一度、私のスマホから電話を入れ直します。
 次に電話が鳴ったら私からですので、警戒しないでちゃんと出てください。
 あ・・・私のほうが年下だというのに、いきなりの命令口調では失礼すぎますねぇ。
 ごめんなさい、馴れ馴れし過ぎる女で。では、のちほどに」


 プツリと通話を切った陽子が、ポケットから自分のスマホを取り出す。
弟のスマホから佳つ乃(かつの)の番号を、写し取る。
2コール目が鳴る前に「はい。佳つ乃です」と、今度も涼しい声が返って来た。


 「弟は、父の退院準備のため、母と一緒に病院へ出かけております。
 置き忘れたスマホへ運悪く、あなたが電話をかけてきました。
 それを見つけたわたしが、こうして余計なお節介を買って出ている次第です」


 「事情は、よくわかりました。
 わたしたちはいま、浅草の駅前におります。
 これから東武線のロマンスカー、上毛号に乗り1時間35分後に
 温泉がある、藪塚と言う駅に降りる予定です」


 「藪塚?。ずいぶんと辺鄙な駅で降りますねぇ。
 もしかして、昭和天皇が宿泊したという宿へ、予約などを入れてないでしょうねぇ」


 「あら、その通りです。所縁の宿と言うことで、さきほど予約を入れました。
 昭和天皇が宿泊したという藪塚温泉に一泊したあと、明日は、
 友人が待っている四万温泉へ向かう予定でおります」



 「なるほど。予約を入れたばかりという事は、予定外にこちらへ来るという意味ですね。
 それから、わたしたちと言いましたが、他にお連れさんが居るのですか?」


 「おちょぼの女の子が、同行しております。
 あ、おちょぼいうのは、舞妓見習い中の少女のことを言うんどす。
 正式には仕込みさんと呼びますが、昔の方はいまでも親しみを込めて
 おちょぼと呼ぶんどす」


 あらぁ~本物の京都弁だ!、と陽子が思わず心の中で歓声をあげる。
だが佳つ乃(かつの)が到着する1時間35分後と言えば、父が退院してきて、
実家の中がそろそろ騒々しくなる時間帯だ。
(なんだかなぁ・・・またしてもタイミングが悪すぎますねぇ、何もかもが。
何か手を打たないと、病人と恋人の鉢合わせで家の中が、めちゃくちゃになりそうです。
なにか、良い手だてがないかしら・・・)
ふと頭をめぐらせた陽子が、「そうだ」と、とっさの妙案を思いつく。

 

第108話につづく

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