落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (8)ふたたび、夏川るみ

2014-05-17 12:30:31 | 現代小説
東京電力集金人 (8)ふたたび、夏川るみ



 朝のダウンロードの中に、見覚えのある名前を見つけた。
『夏川るみ』。2か月ほど前に電気を停めに行った覚えのある、ぼろアパートの住民だ。
残金の未納状態が続いているため、2度目の送電停止処置が決定した。
やれやれまた脚立を担いで仕事に行くのかと思うと、正直、気分が重くなる。

 脚立が必要なときだけ、自前の車で仕事に出かける。
東電の委託集金員は、すべて自前の車で集金活動に駆けまわる。
もちろん経費もガソリン代も、維持費も消耗費も、1円たりとも東電からは出ない。
ゆえに普段は、維持費の安いバイクかスクーターの2輪を使うことになる。

 ぼろアパートには、送電停止の常習者ばかりが住んでいる。
1階と2階の全部で8室。そのうちの6室で、概に送電を停めてきた。
だが、これで2度目と言うのは、夏川るみが初めてだ。
いつものように脚立を担ぎ、狭い階段を自分の家のように登っていく。
もうすっかりと手慣れたものだ。これでもかとばかりに通路に積まれている邪魔な荷物も、
なんなくすいすいと最後までクリアしていく。


 『楽勝で到着したぜ』と、部屋の配電盤を見上げる。
ポケットから「電気を切りました。連絡はこちらまで」と書かれた用紙を取り出す。
電気を止める前に、ひとつだけ確認しなければならない大事な用件がある。
中に住民が居るかどうかを確認することだ。
いつものように、確認のため部屋のチャイムを鳴らしてみる。
反応がなければ、このままちょいちょいと電気を切って、さっさと退散をするだけだ。
最後の仕事と決めていたので、こいつを片付ければ今日の仕事はすべておしまいだ。


 2~30秒ほど待ってみたが、なんの反応もない。
もう一度、念のためにチャイムを鳴らしてみる。これで無反応ならもう待ったなしだ。
『やっぱり不在だな』と決め込み、脚立を所定の位置にセットする。
さっさと配線を外して帰ろうと思った瞬間、室内で何かがどさりと倒れる音がした。

 どさり?・・・・猫のいたずらにしては、室内からの物音があまりにも大き過ぎる。
なにかもっと大きなものだ。もしかしたら住民が倒れた時の物音かもしれない。
だが2度もチャイムを鳴らしたというのに、室内からの反応はまったくなかった。
何がどうなっているんだ、いったいと、思わず部屋のドアノブに手をかけた。

 その瞬間、ドアが苦も無くふわりと開いた。
『開いてるぜ。どうなってんだこの部屋は?。不用心だな』
覗き込んだボロアパートの室内は、昼間だというのに、ほぼ真っ暗に近い状態だ。
カーテンが閉められているため、外の光が幻の様に怪しく揺れている。
こちらが急に明るい場所から覗き込んだため、目が慣れるまで、室内はまったく
光のささない海底のような有様に見える


 そのうちに室内の様子が、すこしずつだが見えてきた。
窓際にベッドのようなものが見える。だがそれ以外、家具らしいものは一切見当たらない。
ベッドの手前に、白っぽい、正体不明の物体が横たわっているのが見える。
いや、片手がひらひらと動いている様子からすると、おそらくこの部屋の住人だろう。
手のひらが、こっちへ来てというように、ひらひらと動いて俺を呼んでいる。

 (大丈夫か、おい。まさか、貞子じゃないだろうな・・・)
引き寄せられるように俺は思わず、ドアを越えて小さな玄関へ入り込む。
『大丈夫ですか?』とそっと声をかけると、ひらひらと動く手が力なくまた反応を見せる。
『電気の集金員なのですが』とささやけば、『わかっています』というように
白い手が、ふたたび俺を室内へ上がってと招き寄せる。


 『あがりますよ』靴を脱ぎ、おそるおそるゆっくりと部屋の中へ上がり込む。
殺風景な部屋の真ん中に、小さなテーブルが置いてある。
それを見てくれというように、白い指がテーブル上に置いてある封筒を指し示す。
電気代と書かれた封筒の中には、今月集金するはずの未納分、3863円が
きっちりと収まっている。

 「集金して下さいという意味ですね」と、白い手の主に確認をとる。
「はい」と答えた白い手が、安心したのか、そのままどさりと音を立てて畳の上に落ちる。
「大丈夫ですか!」と思わず大きな声で尋ねると、白い手が「大丈夫ですから心配なく」と、
弱弱しく揺れ、ふたたび俺に反応の様子を見せる。

 金額をハンディターミナルに打ち込み、領収書をいつものようにプリントアウトする。
「たしかに集金しました」と、封筒の上にそれを丁寧に置く。



 「本当に大丈夫ですか?」ともう一度白い手を振り返って見る。
横たわったままの物体は、今度は何の反応も見せない。
ぐったり横たわったまま、白いパジャマの背中を静かに上下させている。
「風邪をひきますよ。そんなところで寝ていたら」と言うと、
「すでに風邪をひいてますから、ご心配なく」と、か細い返事が返ってきた。

 (9)へつづく


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