落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (19)真冬のフルーツトマト

2014-05-31 12:45:35 | 現代小説
東京電力集金人 (19)真冬のフルーツトマト




 長屋の雪下ろしと、実家の屋根の雪下ろしを終えると、時刻はもう10時を回っていた。
『お昼を御馳走するから食べておいき』というお袋の言葉に、丁寧に頭を下げてから、
るみが、『着替えをしたいので、一度アパートへ戻ってきます』と辞退した。
 
 『じゃ、間に合うだけの着替えを持って、早めに戻っておいで』とおふくろが
追い打ちをかけた。
えっと驚く俺を尻目に、玄関先でお袋がるみに優しくほほ笑んでいる。
(着替えを持って戻ってくる?)お袋とるみの間で何やら密談が、既に成立しているようだ。
機嫌のよさそうなお袋を玄関先に残し、俺たちはとりあえず来た道を逆に戻り始めた。
だが昨夜から40センチ以上も積もった道路の雪は、やっぱり難敵だ。


 わずかに薄い日が射してきたが、雪を解かすほどの勢いは無い。
足跡ひとつ残っていない真っ白な絨毯は、畑と道の境界が見えないほどの厚みを持っている。
朝つけてきたはずの俺の足跡も、いつのまにか強風の影響で、あっさりと消えかけている。

 先輩がビニールハウスから降ろした雪が、連棟の谷間から脇道へ溢れだしている。
谷間から溢れた雪は狭い脇道に雪崩のように広がり、小山のような壁を生み出している。

 「ビニールハウスの雪下ろしも大変ですねぇ」とるみが、雪の小山を足で蹴る。
「大変なんてもんじゃねぇ。出荷間際だというのに、丹精込めたハウスが潰れちまったら、
俺たちは一文にもならねぇ。大金が目の前にぶら下がっているから雪下ろしにも精が出る。
どうだ、ネエチャン。食ってみるか、俺の自慢のトマトを!」と、
見えないところから突然、先輩の声が飛んできた。


 「トマトですか?。2月の初めというのに、トマトなんか出来るんですか?」



 「おう。真冬でも、俺のところではトマトが出来る。
 食って驚くな。そんじょそこらに有る普通のトマトじゃねぇぞ。
 ブリックスナインと言って、糖度が9%以上もあるフルーツトマトだ。
 騙されたと思って一度食ってみろ。くどくど説明するより舌で理解するほうが話が早い」

 ほらよ、と言う先輩の声とともに、ピンポン玉大のトマトがいきなり空中から降ってくる。
ふわりとるみの足元に落ちたトマトが、雪の絨毯の上に真っ赤な花を咲かせる。
「小さいわねぇ。家庭菜園で作るようなミニトマトの仲間なのかしら?」
雪の中からトマトを拾い上げたるみが、手のひらの上で、真っ赤な塊をコロコロと転がす。


 「馬鹿野郎。
 ミニトマトなどという家庭菜園の俗物と、俺のフルーツトマトを一緒にするな。
 普通に育てれば大玉になる品種を、特別な栽培法でぎゅっと小玉に完熟させたものだ。
 いいから騙されたと思って、とっとと食ってみろ!」 

 急かされたるみが白い歯を見せて、真っ赤なトマトを2つに噛み切る。
口の中いっぱいに甘い香りと芳醇なトマトの水分が広がった瞬間、るみが瞳を丸くする。
『なにこれ・・・・ほんとだ。おいしいじゃん、私の知っているトマトとは全く違います!』
芳醇に口の中いっぱいに広がる甘みに、るみがにんまりと目を輝かせる。
味覚として後からやってくるほんのりとした酸味に、さらにまたるみが目を細める。

 「こんなトマト、食べたことが有りません。ほんとうの奇跡の味がします。
 これって、どんな風にして育てているのですか!」


 「おっ、気に入ったか。奇跡の味とは、嬉しいことを言ってくれるネエチャンだな。
 作っているところを見せてやるから、太一と一緒に入り口へ回って来い。
 ただし東側は降ろしたばかりの雪で大山になっているから、
 垣根の方から大回りして来いと言え」

 『垣根からですか?。了解しました。太一、垣根から大回りして来いって』
そう言えば分かると言っていたけど、いったい垣根の大回りにはどんな意味が有るのと
るみが、不思議そうな顔で俺の目を覗き込む。
『このあたりは真冬になると、赤城おろしと言う季節風が吹く。
強風から屋敷を守るために、西と北側に面して常緑の生垣や巨木を植える。
屋敷に入るために、外を大きく迂回する必要があるから風よけの垣根のことを、
わざわざ『外回り』と洒落で呼んでいるんだ』


 「そういえば、巨木がたくさん植えられています。
 雪に覆われて、まるで季節外れのクリスマスツリーみたいですねぇ。うふふ」

 群馬では1月から3月の初めかけて、赤城おろしと呼ばれる強烈な季節風が吹き荒れる。
赤城山の山肌を駆け下りてきた雪風は、乾いた畑の土を問答無用に吹き飛ばす。
多くの農家がこうした被害から家屋敷を守るために、垣根代わりとして巨木を植える。

 終戦直後には耕作地を守るために、南北に帯の様な防風林がいくつも有った。
防風林の幅が、1キロを超える巨大なものがあったそうだが、戦後の食糧難の時代に
満州から引き揚げてきた人たちにより、すべて開墾され尽くしてしまった。
いまでも畑の畝(うね)に、ポツンと巨木がそびえているのを見ることが有るが、
それらは、こうして消えていった過去の防風林の名残だ。


 垣根沿いの道は、概に除雪が済んでいた。
わずかに残った路面の雪に、ギザギザしたタイヤ痕が残っている様子からみると、
どうやら朝一番に、トラクターで除雪作業をしたようだ。
このあたりの雪を先に片づけないと、先輩のビニールハウスまで歩いてたどり着けない。
(確かに初めて見る、圧倒的すぎる積雪量だな・・・・)
道の両側にうず高く積まれている雪の壁を見て、今回のこのあたりの降雪量が
半端でないことを、あらためて実感をした・・・・


(20)へつづく

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