落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (9)ラーメンが食べたい?

2014-05-18 13:20:44 | 現代小説
東京電力集金人 (9)ラーメンが食べたい?



 
 集金人が絶対にしてはいけないことのひとつが、客の家の中にずかずかと入り込むことだ。
周囲の誤解や間違いを生まないために基本的に、外部から見える玄関先で仕事を片付ける。
ましてパジャマ姿で風邪でダウンしている女姓の部屋へ、招かれたとはいえ、
のこのこと上がり込んだことは、埋設された地雷を踏むのと同じことになる。
あとになり、どんな誤解に発展するのか、それを想像をしたとたんに冷汗が出てきた。

 あわてて靴を履き、ドアを思い切り閉め、退散しようとした矢先だ。
「待って、待って。お願いだから待って。お願いだから、どうしてもラーメンが食べたいの!」
(ラーメンが食いたい?)見ず知らずの、パジャマで風邪をひいてふらふらの女から、
切々としたお願いの声が、俺の背中を追いかけてきた。

 「風邪をひいてんだろう。おとなしく寝ていなよ。外へ出たら症状が悪化するだけだ」


 「ラーメン食べたら、そのあとでまた、言われた通り静養する」

 「しかしなぁ。そう言われても俺たちは初対面だろう。
 だいいち、お前さんもその寝間着姿のままじゃ、外へなんか出られないだろう」

 「スッピンでもまぁまぁのレベルだよ。あたしは。
 食べさせてよ。そうしたらきっと明日には風邪も治って、元気になるから」

 「そこまで是非にと言われて、断る理由がないな。よし、わかった。
 すぐと言うわけにはいかないが、一度事務所へ戻ってからならなんとかなる。
 戻ってくるまで1時間くらいかかるが、それまで待てるか?」


 「あら。充分すぎる時間です。1時間あれば、蛾が銀座の蝶に変身するわ。
 悪いわね、見ず知らずだというのに無理なお願いをして。あなたのことは一生恩に着ます」



 (ラーメンくらいならお安い御用だ)と女を置いて、部屋を去る。
なりゆきとはいえ安請け合いをしすぎたかなと、車に乗ってから後悔が頭をかすめる。
だがラーメンと聞いて無条件に反応したのは、俺自身がラーメンが大好きだからだ。
特に屋台のラーメンが好きで、飲み過ぎた晩などは、屋台で夜中にすする昔ながらの
醤油の効いたラーメンが、俺のなによりの楽しみだ。


 (そういえば、しばらく食っていないなラーメンを)と考えながら
いつものように事務所へ清算のために舞い戻る。
ちゃちゃっと大雑把に清算を済ませ、いそいでまた車へ飛び乗る。
まるで久しぶりにデートにでも向かうかのような高揚感に、実は自分でも驚いている。
だが、そこではたと気が付いた。
ぼろアパートへ向かう途中、女の顔を正面から一度も見ていないことに気付き愕然とした。
他人と入れ替わっていても気がつかないほど、女の顔の印象が残っていない。

 (スッピンでもまぁまぁと言っていたが、自己評価には関してはいろいろと有るからな。
 どんな女でもいいさ。久しぶりに、旨い屋台のラーメンが食えるんだから)



 脚立を担ぎ、先ほどは慎重に登った狭い階段を、今度は2段ずつ飛ばして駆け上がる。
女の部屋の前に立った瞬間、思わず自分の髪を直している俺自身がいる。
軽くチャイムを押すと間髪入れず、「はい」と女の声が返ってくる。
しかしすぐに開けていいものかどうかと戸惑っていると、中からカチャリとドアが開いた。


 「ありがとうね、来てくれて」と満面の笑顔を見せて俺の前に立った女が、
次の瞬間、へなへなと体勢を崩し、狭い玄関へずるずると滑り落ちていく。
「おいおい。外で出るなんて、やっぱり無理だろう」と慌てて抱き留めると、
「そう思うのなら支えてよ」と女が、潤んだ瞳で俺の顔を見上げる。

 崩れ落ちるぎりぎりの状態で堪えた女が、ふわりと俺の腕の中で立ち上がる。
「そこまでしてラーメンを食う理由があるのかよ」と、思わず女の顔を問い詰める。
「大きなお世話。食べたいものが思いつくまでに、やっとのことで体が回復したんです。
 嫌ならいいのよ。いまからタクシーを呼ぶから」と怖い目で、俺の顔を睨み返す。

 「タクシーなんか呼ぶことはねぇ。しょうがねぇなぁ。支えてやるから食いに行こうぜ。
 こうなったのも何かの縁だ。お前さんとは一生宅連の出会いだな」

 「それを言うなら、一蓮托生。
 ねぇ、どこかに、おすすめの美味しいラーメン屋さんが有る?」


 「あるには有るが、場所がよくねぇ。
 歓楽街の裏手にある屋台のラーメンがおすすめだ。だが場所が場所だけに危ない客がいる。
 客引きのあんちゃんやら、チンピラがいつも暇を持て余して屯している屋台だ。
 だが、そこの醤油ラーメンは、とにかく絶品だ」

 「じゃ、そこにしましょ」と女が、即答で行先を決めてしまう。
 
(10)へつづく



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