落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (12)4丁目の居酒屋

2014-05-23 11:11:39 | 現代小説
東京電力集金人 (12)4丁目の居酒屋




 膝の下まであるベンチコート姿の俺は、夕闇が濃くなってきた街中を、
ひとりだけ目立ちながら歩いた。
完全武装のベンチコート姿に、夕方から急に冷え込んできていたものの、
『まだそれを着るのは、いかにも早過ぎるだろう』という冷ややかな他人の視線を、
いやというほど背中に何度も感じた。

 4丁目の居酒屋はすぐにわかったが、肝心のるみが見つからない。
それほど広いわけではないが、俺の知っているみの顔が店内には見当たらない。
女は化けると言うが、今回の事態がまさにそれに該当した。
るみにやつすべてを承知の上で他人のように、俺が気が付くまで涼しい顔でこちらを見ていた。
あ、いや失言だ。まだ何事も発生していないから、俺たちはまだ全く他人ままだ。

 うふふと笑ったるみの顔が、すこぶるチャーミングだ。
気がつかなかったがるみという女は、化粧をほどこすと、充分なほどの美人になる。
驚いたことに、ぺったんこだった胸のふくらみが、いつのまにか見事なまでに復活している。
(あれ。ついこの間は、ぺったんこだったのに)と思わず胸元を覗き込んでしまった。
だがいきなり額を、げんこつでごつんと殴られた。


 「いくらなんでも失礼過ぎるでしょ。
 体型さえ元に戻れば、胸のふくらみだって、ちゃんと元に戻るのよ。
 うふふ。あの手この手で寄せて揚げて、少しばかり、ふくらみを強調していますけどね」

 「体型が元に戻った?。たったひと月でもとに戻るものなのか、女の体重ってやつは?」

 「いろいろあるの、悩みの多い女には。
 今日はおごります。給料をもらったばかりだし。先日分のお礼も含めてね。
 日本酒は飲める? 
 又兵衛という、いわきのお酒が此処のおすすめです」

 「マタベェ、豪放な名前だな。いきなり、ガツンと酔っぱらったりしないかな?」


 「又兵衛さんという人が、自分で楽しむために酒造りを始めたものです。
 いまから100年以上も昔の事です。
 『まことのさけのみのさけ』と自ら称したという逸品です。
 まろやかな香りと、丸くふくよかな味わいは、舌に絶品の感触で転がります」

 「詳しいねぇ。まるで君は、杜氏みたいだな」


 なにげなく言い放った俺のひとことに、目の前のるみが、予想外の反応を見せる。
(その杜氏になりたかったのよ・・・私は)と、るみが目で笑う。
さらに、(原発の事故が発生しなければ、杜氏になれたのに、という意味ですけどね、)
と3.11のあの日の出来事でも思い出したのか、唇の端を噛みながら笑いを見せる。

 あれ・・・・気のせいじゃなさそうだ。仕草までなんだか、おかしくなってきた。
手にした猪口の動きが、いつのまにか止まっている。
うつろな目で遠くを見つめているるみの唇から、短い吐息が漏れてきた。
そのうちにるみの目尻に、ぷっくりとした透明な涙のかたまりまでが浮かんできた。

 「やばい!」と直感した瞬間、るみの目からはらりとひとすじ涙がこぼれて落ちた。
俺は慌てて周囲を見まわした。
それほど混んでいるわけではないが、すぐ近くには客がいる。
女を泣かせていると周囲から誤解されたら困るなと、ぐるりと客席を見回したが、
どうやらそんな心配はなさそうだった。
さらに『目にゴミが入っちゃった』と、るみがその場を救ってくれた。


 仕方がないので、『何か、気に障ることでも言ったか俺?』と耳元へささやいてみる。
『訳もなく泣くんだよ。女と言う生き物は』とるみが、寂しい笑いを浮かべる。
だが乗りかかった船だ。そんな曖昧なひとことで引き下がるわけにはいかない。
『何か有るんだろう。胸につっかえているような辛い事が』とさらに追い打ちをかけた。
こういうところが俺の悪い癖だ。こうしていつも、余計なことに首を突っ込む。
果たして『私の事なんか、なんにも知らないくせに!』と強い目でるみからいきなり睨まれた。
だが俺はこうなると、ますます後に退けなくなる。


 『何かあるなら言え。訳もなく女を泣かせたとあっては男がすたる』
涙のわけを聞かせてみろと、男気を見せてるみに迫る。
『後悔するから絶対に。そんな優しいことをあたしに言うと』と、
るみが下から俺の顔を見上げる。
『望むところだ!』と応じれば、『付き合ってもいないくせに』と軽く鼻でふふんとるみが笑う。


 『じゃあ、どうすればいいんだ』と、俺の語気もなぜか荒くなる。
『付き合ってくださいと、先に白状したらどうなの。あたしに興味が有るんでしょ?』
といきなり鋭い視線が、ぐさりと俺の胸を突いてくる。
一瞬たじろいだが、ここで引き下がっていたのでは、俺の男がさらにすたる。

 『つ、付き合ってください』と、精一杯の勇気を奮い起こし、ついに告白をしてしまった。
だが『お断りだね、あんたなんんか。嫌だね』とるみが軽く一蹴する。


 「男なんかコリゴリだもん。
 やっと痛手が癒えたばかりだ。簡単に、2度目の火傷なんかするもんか。
 でもさぁ。ラーメンをおごってくれたら考えてもいいわ。
 このあいだあんたが話してくれた醤油ラーメン。
 あれから、毎晩わたしの夢の中に出てくるんだ。
 悩ましくて眠れないんだもの。おごってくれたら付き合ってあげてもいいな」

 「言っただろう。繁華街の裏手だから空気は悪いし、すこぶる危ない場所だって」

 「スリルが有るから楽しいのよ。嫌ならいいのよ、ひとりで帰るから。
 私を守れない男なんかに、興味はないわ。
 居酒屋の分は、おごってあげるつもりだったけど、綺麗に半分の割り勘にしましょう。
 はい。これはわたしの分。今夜は本当にありがとう。じゃ、これでさよなら。
 もう2度と会うことはありません。薄情なあんたとなんか」
 
 ふんと立ち上がったるみが、いきなりスタスタと出口に向かって歩き出す。



  
(13)へつづく

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