落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (16)最初の大雪

2014-05-28 12:56:50 | 現代小説
東京電力集金人 (16)最初の大雪



 2014年2月7日から9日にかけて、本州の南海上を南岸低気圧が発達しながら通過した。
発達した低気圧は、関東地方に、観測史上まれにみる大雪をもたらした。
最大積雪は東京では、20年ぶり(1994年2月12日以来)に20cmを超えて27cm。熊谷で43cm。
千葉では33cm。いずれの地域でも過去最大を記録した。

 東京は8日の深夜1時過ぎから、雪が降ってきたというウェザーリポートが届き始めた。
同じく午前6時には、関東地方のほぼ全域から雪のリポートが集まってきた。
さらに8日昼頃から午後にかけ、徐々に雪の降りかたが強まってきた
1時間に3~5cmのペースで増えつづけ、19時には東京や千葉では積雪が20cmを越えた。


 8日の朝。7時に目を覚ました俺が窓から最初に目撃したのは、酒屋のトラックの横転だ。
窓の下の道路は、朝から見るからにピカピカに凍てついている。
横転したトラックから散乱したビール瓶や焼酎などの瓶を、近所の人が総出で片づけている。
割れている瓶が少ないのは、積もった雪がクッションの役目をしたからだろう。
『不幸中の幸いだな』とつぶやきながら、俺もみんなの手伝いのために部屋から外へ出る。


 雪道に慣れていないこのあたりでは、5センチ積もっただけで交通が麻痺をする。
冬用タイヤを履いていないうえに、雪道を体験していない素人たちが運転をしているためだ。
タイヤが滑って驚いた瞬間、ほとんどの運転手が反射的にブレーキを踏む。
バランスを失った車はそのままの勢いで道路外へ飛び出すか、酒屋のトラックの様に横転をする。

 高級ウイスキーの瓶を拾い上げたら、『手間賃がわりに持っていけ』と、
頭を雪で真っ白にした酒屋の店主に、肩を叩かれた。
『ウィスキーは飲まねぇ』と返品したら、『じゃあこっちの焼酎を持っていけ』と別のをくれた。
真っ白に凍てついた道路には、中央に2本のわだち跡しか残っていない。
誰もが道路の外へ飛び出すことを恐れ、慎重を期して道路の中央のみを走るからだ。


 ところどころに対向車を避けた、わずかな迂回の跡が残っている。
だが、対向車をやり過ごしたあとは、ふたたび中央の2本しかないわだちに戻る。
歩道付きの8メートル道路なのに、わだちの跡が2本しか見えないのは実に異様な光景だ。

 7時30分を過ぎた頃、営業所から『今日は休め』という連絡が来た。
基本的に土日は休みだが、土日の集金を希望する客がいる場合、仕事に出る時も有る。
『雪下ろしを頼むよ』というお袋の言葉を思い出し、新雪の畑道の中を実家へ歩く。
俺のアパートから実家までは、細い畑道を歩いて5分くらいだ。
途中ですぐに人家が途切れ、農業用のビニールハウス群が現れる。


 真ん中にある6反の巨大ビニールハウスは、ソフトボールチームの先輩のものだ。
温暖な気候に恵まれているこのあたりの農業は、ビニールハウスを使った野菜作りが盛んだ。
農地は空いているが、ほとんどの農家がビニールハウスだけで収益を上げている。
四季を通じて生産するトマトと、キュウリは有名だ。
糖度が9%を超える「ブリックスナイン」という特産品のトマトを生み出している。
有機土壌から生み出すキュウリも、安全で美味しいと、市場で高く評価されている。
だがどうみても今の農家が、ビニールハウスによる生産に偏りすぎているのが気にかかる。

 大地を耕し、地域に合った野菜や作物を育ててきたのが、もともとからある日本の農業だ。
露地の野菜は天候の影響を受けながら育つ。旬の時期を迎えて大量に収穫される。
だが農産物というやつは大量に採れ過ぎれば、価格が暴落をする。
需要と供給のバランスは、自分で生産物の価格が決められない農家の経営を
さらに、不安定な局面へと追い込んでいく。


 生産の効率化と、気候と気温を逆手に取って利用した生産が、ビニールハウス農業だ。
初期の頃のビニールハウスは、竹を4つに割った支柱で造られた。
竹の支柱にビニールを張り巡らせて、天井を覆った。
ビニールを開け閉めすることで、ハウス内は常に適切な温度管理が可能となる。
こうした結果、真冬でも、夏野菜のはずのトマトやキュウリが大量に出回るようになった。

 ビニールハウスを使った初期の頃の農業は、べらぼうに儲かったという。
ビニールハウスの売り上げで、1反から2反のあたらしい農地が買えたという。
こうした成功をきっかけに、多くの農家が露地での野菜作りからビニールハウスに転向をした。
その結果が、きわめて大規模なビニールハウス群の出現だ。
いまの日本の農業は、ビニールハウスに支えられているといっても過言ではないだろう。


 『よう!』とビニールーハウスの隙間から、先輩の声が飛んできた。
ビニールパイプの先に繊維を巻き付けた道具で、先輩がビニールハウスの雪を落としている。
『降りましたねぇ』と声をかけると、『馬鹿野郎、降りすぎだ。朝から雪落としで汗だくだ』
なんだ実家の雪下ろしに行くのか、ご苦労だなと言った後、
『で、昨夜のあの子は何処の子だ。未来の嫁か彼女か、それとも一晩の浮気相手か?
ようやくお前にも、春が来たようだな。あっはっは』と先輩が雪落としの合間に笑顔を見せる。

 (何の話をしているんだ先輩は、いったい?)意味がわからんと首を傾げながら、
真っ白な新雪の畑道を、ふたたび実家に向かって歩き出す。



(17)へつづく

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