落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (11)バレンタインまで、あと10日

2014-05-22 12:15:07 | 現代小説
東京電力集金人 (11)バレンタインまで、あと10日




 仕事中、携帯にメールが届いた。
珍しいこともあるなと液晶画面を覗いたら、貧乳のるみからだ。

 別に俺が、「貧乳」と名づけたわけじゃない。
例の藪医者騒ぎの一件以来、当のるみが好んでそう名乗るようになったからだ。
例の件と言うのは、るみの風邪からはじまった扁桃腺騒ぎのことだ。
翌日、耳鼻科に連れて行き詳しく診察してもらったところ、悪化はしているが
発見が早かったため、さして重症化をしないで済む、という結論が出た。
「危ないところでした」と薄い胸を、るみは安心したようにほっと撫で下ろす。


 世話になったからと、アドレスの交換をした。
すぐに電話かメールでも来るかと期待して待っていたが、あれから一か月。
待てど暮らせど、まったくるみの奴からは音沙汰がない。
駄目なら駄目で一向にかまわない。俺は昔から、去る者は追わない主義だ。
やっぱり脈がなかったんだなと、名前も忘れかけた頃、いきなり携帯にメールが届いた。
「給料をもらったから、今晩会おう」とだけ書いてある。


 「どこで会う」と返信したら、「前回貸した、醤油ラーメン」と即座に返信が来た。
「空気が悪い。若い女性には危険な場所だ」とメールを返せば、
「点滴の時のように、しっかりと私を守れ」とまた簡潔な文章が戻ってきた。
「どこで行き会う?」と書き送ったら、「仕事で忙しいから、場所は後にしろ」と怒られた。
勝手な女だと思ったが、正直少しだけ会えることに心がときめいた。

 5時過ぎに事務所へ戻った時、待ちかねていたるみからのメールがやっと届いた。
「7時。赤提灯。本町4丁目、角を右に曲がって3軒目」とだけ書いてある。
キャバクラへの道案内じゃあるまいし、待ち合わせなんだからもう少し、艶っぽい文章を
書けと返信すると「待たせてごめんねぇ~!」と笑顔マーク付きの文章が返ってきた。
この女、なんだか人の本心と足元を、こっそりと読んでいやがる・・・
意外に性悪女かもしれないなと思いながら、久しぶりにおふくろの住む実家へ帰る。



 3つ上の姉さんは5年前に嫁に行った。実家は今、お袋の一人住まいだ。
お袋は「どうせすぐ、離婚をして戻ってくるだろう」とタカをくくっていたが、去年の春に
2人目の女の子が無事に生まれた。
夫婦仲が特別に良いというわけではないが、悪いということでもない結果だろう。
お袋はそんな事態を勝手に受け止めて、「分かれるのはもう少し先だね」と笑っている。


 忘れかけた頃、実家に戻ると「あんたの嫁さんは、何時頃になるの?」と
口癖のように俺に迫る。
「そのうちに」と答えれば、「それは3年前から聞いている」と即座に切り返す。
「姉さんの離婚が先か、あんたの嫁が先か、結果を知っているのは神様のみか・・・・」
といつものようにつぶやいて、いつものようにまたどこかへ消えていく。

 親父が残した2軒長屋の安賃貸が、3棟。実家の隣に立っている。
近隣の新築アパートに住人を取られ、櫛の歯が抜けたような状態が続いているが
それでも年寄りが一人で暮らすには、充分なだけの収入が入ってくる。
ときどき近所の居酒屋へアルバイトで呼ばれるのが、今はなによりの生きがいだと言う。

 久しぶりクローゼットを開け、背広を物色していたら、お袋がひょいとやって来た。
「低気圧がやって来て、関東地方に大雪をもたらすっていう天気予報は聞いているかい?」
と俺の背後から、腰に手を当てて尋ねてくる。
「聞いたよ。間違えば、大雪が降るいうことだろう?」とぞんざいに声を返す。
「降ると困るんだよ。ぼろ長屋だからねぇ。おまけに入居しているのは年金暮らしの
年寄りだけだ。降ったら頼むよ、いつものように屋根の雪下ろしをさ」
といつものように、早めの手を打ってくる


 「親父の大事な遺産だものな。古いもの大事にを守るのも息子の仕事だ」と応じれば、
それじゃネクタイが曲がっているよと、お袋が俺の首元に手を伸ばす。
「背広姿もまんざらじゃないけれど、なんだか、あんたらしくないわねぇ。
作業着姿ばかりを見慣れたせいか、しっくり来ないから不思議だねぇ。
もっとラフな格好でも、いいんじゃないかい」と、勝手にネクタイを解きはじめる。

 「背広を着る気になったということは、今度は本気の相手かい?。
 どんな子だい。いつものようにまた、胸の小さい女の子じゃないだろうねぇ。
 あんた。おっぱいにはまったく縁が無いからねぇ。
 ま、おっぱいはもともと、子育てをするときの女の必需品だ。
 大きい、小さいはお乳をあげる機能に、まったく関係がないからね。あっはっは」


 お袋が大きな声で笑った後、これとこれでいいでしょうと引出しから
厚手のシャツとズボン、上に羽織るものなどをポンポンと適当に引っ張り出す。
「馬子にも衣装と良く言うが、いきなり洒落れこんだって10分もすればすぐにボロが出る。
こんなものでいいでしょう。じゃ、大雪がふったら頼んだよ。屋根の雪下ろし」
そうだ、これも必要かもしれないねと気付いたお袋が、もう一度クローゼットを開ける。



 「雪になると言う予報がでているからね。念のためにだ。『外套』も着てお行き」
と、サッカー観戦の時によく使っていた大きなベンチコートを取り出す。
『さすがにそれでは重装備過ぎるだろう』と渋い顔を見せると、
『ポケットの中に、毛糸の手袋と、マフラーを予備としてもう一組入れておく。
きっと役に立つはずだから、騙されたと思ってこのまま着てお行き』
勝手に服装の準備を整えたお袋が、鼻歌を歌いながらまた、どこかへいそいそと消えて行く。


 「どうせまた、今回も駄目でしょう」言葉にはしないが、立ち去っていく
お袋の背中から、そんな雰囲気のようなものが漂っている。
おいおい俺の親だろう。縁起じゃないぞまったく、大事なデートの前だと言うのに・・・・


  
(12)へつづく


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