最初は寛永8年、越後村上藩主堀直寄が戦死者の慰霊のため建立しました。しかし正保4年
の地震、天保12年の火災、安政2年の地震で被災しその都度補修再建しましたが、大正12
年の関東大震災で4度目の崩壊、改修されないで寛永寺で管理されていましたが、胴体部分は
戦時中に供出となり、昭和47年に顔だけが元の場所に戻りました。
このような災難を乗り越えた大仏は、現在は顔だけ残す様子が「これ以上落ちない」という
ことから「合格祈願」として親しまれています。合格祈願の絵馬が増えすぎてしまい一部をは
ずさなくてはならないほどの人気とうことです。昭和42年には関東大震災50周年を迎え、
大仏再建を願って、上野観光教会がパコダを建立したのです。