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他人に迷惑を掛けたくないから墓石を残さない人が増えている。

2015-06-26 | 日記
新しい葬り方が増えている。

他人と一緒に納める合同墓地や、戒名なし、葬式なし、お墓なし、の散骨希望が増えている。

人気があるのが、樹木葬や海洋散骨などだが、中には宇宙に散骨してほしいと言い遺す人もいるそうだ。

なぜ、従来のお墓は嫌なのか。

考えられる理由は、家族のあり方だろう。お墓に価値があると思えないし、遺族に迷惑を掛けたくないからだ。

実際、都心に住む地方出身者には毎年の墓参りはかなりの重労働だ。墓参り代行サービスが人気になるのも解る気がする。

また、兄弟、姉妹と言うものは、元来、仲が良いはずがないのだから、仲良い兄弟などありえない。

何せ、旧約聖書に描かれているカインとアベルから続く物語だから、私達が幾ら綺麗事を並べても太刀打ち出来ない。

しかし、お墓が無いと自分たちのルーツを見失って足元がグラつく危険も予想されるし、

先祖や故人と直接向かい合う場が人生には必要な時もあるだろう。

確かに葬儀屋が儲かるのには腹が立つ。キャバクラのお姉さんの話では、葬儀屋のおじいさんとその息子は毎日キャバクラ通いだそうだ・・・。


それはそうとして思うに、お墓は故人のものかもしれないから、故人の遺書に従えば良いが、

仏壇はその家の継承だから、引っ越しが多ければ仏壇は小型化も望ましい。コンパクトサイズだ。

葬儀はどうすればいいのか?

家族が多ければ大きな会場が必要だが、個人主義で最後まで逝くなら自由な選択は自決である。

葬儀の目的とは何なのか?儀式とは何か?

故人を偲ぶにしても残された家族が忍ぶにしても、良く解らない事は神に任せて美しい形式で繕うほかに手立てがない。

何にせよ、生命の全ては死に無頓着だから、世界中が予言する救世主はおそらく、死の超越こそがアルマゲドンでありハレルヤだ。

ブログにしても社会にしても「死」を連想させるものは、検索から外され変わった目で見られるように、

考える事さえ否定されて拒否されるが、本当にそれが美しく正しい姿だろうか疑問が残ります。

現代はグローバル社会である。ならばグローバルな答えもいつかは現れるかもしれません。




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