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現代の教育とエリート教育の違い。

2015-06-24 | 社会問題
エリート教育とは楽しい教育の事であり、現代の偏差値教育は楽しくない教育である。

なぜなら、

偏差値を導入した当時の政治家がそう言っていたからだ。

「日本の教育には偏差値を導入し、これで日本やアメリカに逆らわない従順な国民にする」と。

事実である証拠は、世界中の教育機関を見れば明らかだ。

世界の常識では、教育は個人の権利であるから、偏差値など恥ずかしくて人に言えないシステムである。

それに、世界で活躍する日本のエリート達に共通して言える事は、文部科学省の指導要領に基づいて教育されていない事と、

学歴や偏差値を気にせずに、のびのびとスペシャルなレッスンを集中的に繰り返しているのがエリート達と言えるのだ。

つまり、偏差値教育では「あなたはこれくらいですよ。」という洗脳教育を受けさせられているのである。

逆を言えば、学校教育に縛られないからこそ一流の日本人は世界で大活躍する事が出来るのだ。

それに反し、「偏差値教育」では自信を殺がれて労働貧民に育てられる教育であるから、

新しいビジネスが国内で立ち上がらないのは当然で、逆に起業家が「尖がっている」のも当然だ。

偏差値教育では自分の「分際」「分限」「身のほど」をわきまえさせるものであり、「制限」「限界」を意識させるものである。

その点、エリート教育には教師はいない。いるのは「メンター」や「トレーナー」であり、「協力者」「同志」である。

実際、ビジネスやスポーツ、文化芸術の世界で活躍している多くは、独学者か留学者だ。学歴だけの優劣では従順でかわいい僕である。

社会がそれを望んでいるなら致し方ないが、グローバルな世界ガバナンスでは日本の個性こそが世界の勝者だ。

事実、東京都内を見てみるとアメリカのコピーのようで、アメリカの街そのものであるが、そこに日本流が加われば世界基準だ。

いち早く気付いた大学や一部の優秀な企業は、英語を主要語に取り入れているが、裏を返せばそれだけ日本の教育が間違った方向に向かっていると言えるのである。


では、エリート教育とは何ぞや。私が考えるエリート教育を三つに絞ると、

一つは、「メンター、師」を見つける事である。それが自分にハマれば世界レベルも夢ではない。

二つ目は、「語学留学」「外国に出稼ぎ」に行く事である。世界で飯が食えるようになれば大きな自信が付く。

三つ目は、宮本武蔵流の「独学」である。「たとえ万人の敵が立ち塞がろうとも、私は行く」である。

なんだかエリートらしくないが、これでは叩き上げ?かもしれないが、まあ、今日のところはこの辺で終わります。




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