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優れたグレイトマザーを見出すには、先に男性が事実を直視しなければ見いだせない。

2015-08-29 | 社会問題
男性社会を上回る成果など歴史においてはないからと言って、私達が知りたいと思っている真理とは、一体何なのか、と言う問いを差し控える必要はどこにもない。

期待外れだった世間一般の常識には研究の価値はあると思われるが、それには新たな概念が必要である。

不安定要素も観念から世界憎悪にいたる段階の歴史的な基本感情の一要素である。

男性社会の観念が私達に与えてくれるように思えたもの、私達に約束して提示したものとは、一体何だったのだろうか。

社会をどう考えたら良いのかハッキリしなくても不安を覚えないとしたら、社会はどのような観念によって現れ方をせねばならないのだろうか。

成熟されなかった社会、たぶんこれからも成熟されない時期も、歴史的事実の中に眠る気づくことない一つの歴史の要因である。

それはたえず繰り返す、思い違いや勘違いによる幻惑や困惑、それでも全てを手に入れたい妄想への端緒である。

充足した男性社会での事実確認に対する良心の満たされない憂鬱の奥底にあるこのような不安定要素が、乱暴な哲学、傲慢な正義、死の恐怖によってダークサイド的な社会を生み出してきた。

ダークサイド的な痕跡を辿って行くと、予期せぬ願望が生まれては根づいて行き着き、そこからそれぞれの紛争に包まれてはどのように地獄での繁栄を築いてきたのかを知ることが出来る。

かつての母なる真理を見出した偉人達が、真実であり続ける為には、男女共存の世界を誕生させられるかもしくは男性たちにお引き取り願うかに掛かっている。

他の社会組織が無情の作用という現象から抜け出せずに保留をつけてしか登場出来ない以上、ここから解放されるにはもう後がないのである。

それゆえ世界を解放するには、感情と欲望を満足させるだけではなく、冷静さへの手引きが必要となる。

ユートピアの到来は、あらゆる考察の無駄骨を折ることで未知の力を学び得るところにある。

自然への親近感を深める為には支配と搾取を断念する事、
欲望を生産する為の単なる精密な数式を並べるのではなく、その真実を列挙する事、
思い出したくない歴史を新たに呼び覚ますのではなく、幸福な未来の予測こ専念する事、
生命体本来の反抗的構想に従うのではなく、共存共感による表現を美意識として経験する事、
他人の要因にするのではなく、自らの原因を追究する事、
こう言った綺麗事がたとえそれが人類の成熟期を約束するものだとは考えられないからと言って、決して無意味になる訳ではない。

歴史と言う概念は、長い年月を経て痩せ細ってきているから、その餓死化しつつある歴史に栄養を与えることなく、世界を解放するには今をおいて過去には見いだせず、これからもおそらくそうなりうることは、実感として理解が容易い。

経験は社会との付き合い方で最も規則的な形式にある。経験こそが一直線に判断へと加速し、そしてそれゆえに倫理や道徳への学問を成り立たせるあの前提的な決定へと導くものだからである。

おそらく反抗する地獄での催し物のように、人生経験の信用失態があって初めて、社会が人生に提供出来るもの全ての没落の原因となったものが、その経験と方法を軸にして理論に導かれた証明や反発といった集団的衝動の総体よりもっと本質的にはもっと豊かなものかもしれないという、漠然とした予感が失わらたことにあるかもしれない。

どのような社会体制の経路で経験を積んだのかにかかわらず、経験豊かで知恵者たちは社会の秩序を乱す時代遅れの人物になってしまったのである。

多くの屍を踏み超えてきた強者がいつしか経験豊かな善人になりえるなど、現状を前にして考えるにはあまり役に立ちそうにない。

自ら考えるのを止めた良識者と、マスコミに拘束された同時代の怠け者達は、地獄での代理人の群れに依存させられていては、全ては他力本願の洗脳体験によるオウム真理教状態に陥る。

そうならない為にも世界を解放する行為には女性たちの活躍が期待されているのである。

世界の単なる享楽にも、傍観的態度にも、死を恐れない率直な世界観にも、福音による契機は含まれていると信じたいが、それでもまだ本質的な問題は解決されないでいる。

反発する心は人間の第二の天性であることを承知の上で、本質的なものに、誰の咎めもなく問い直す勇気には少々時間がかかるものであるが、ここから始めることに意義がある。

なぜなら、女性社会の洞察だけが、本質的なものであり続けるゆえに本質的なのではなく、男性社会の見解もまた、本質的なものであり続けることにも本質的であることには変わりないからである。

人間が暮らす社会を洞察する存在の中には何やら邪魔をする輩が存在するが、やがてそうなるかもしれない世界に対しての心構えは、少なくともそれほどの覚悟と見識を持つマザープログラムを創り出す必要はなさそうである。

社会は一つの側面を持ち、あるいは人類に一つの世界を与える時、歴史に対する見解だけが唯一の道しるとするのではなく、懐疑心がなくても歴史の洞察を見破る能力は私達にはすでに備わっているのである。



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