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 死想論 (日本バージョン)

2020-04-10 | ウィン・ウィン王国
 4月 10日  金曜日

 おはようございます。 ロスト・ロスト大王です。


このたび、いかにして生死の迷いを離れるべきや。

有事は、時がままに。

時がままに存在であり、存在が悉く時であれ。

しばらく、

時であるにすぎない。

世界の全体を尽している。



日本の名著 「葉隠」 を訳せばこうなる。


生を説くと無常となり、落ち着かず、

死を衝いてこそ、やすらぎを得る。

人を相手にせず、天を相手にせよ。

なぜと申せば、

人は天につかえる身であるのだから。

その天を恐れず、人をとがめず、

今を尽して道に達するのみ。

恐れるな! 悲しむな! 

死気は生気の集積された大賢であり、

これぞ、根本であろうが。

運命とは、命懸けであり、

宿命とは、努力に比例し、

使命とは、お役に立つこと也。

死を喜んで受け入れるのならば、

生命をまっとうすることが宜しかろう。

生きるのは、容易いうちに処理し、

死ぬことは、些細なうちに始末せよ。

退く者は既に水の如し。

天地に終始無く、吾らに生死有り。

同じ死ぬなら世の為になさることが宜しかろう。

一人ひとりがそうであれば、さて、いかにも。

人は死後に救いを求める弱気心の持ち主よりも、

ただ現世にあるべきようにありたいと願うがつわもの。

「常住死中」 「死は自の為の死」 犬死さえも恐れず、

必死の覚悟は一日毎に仕切るが如し。

その日、その日を最期と思わば、

なにものにも成すものである。

生きることばかりを強いて、

死ぬことを知らざれば害。その身に至る。

然らば、今日という徹する以外に明日は見えない。

何事もみな、まぼろしの世中にて、

死ぬる計りぞ、誠なりける。


「心身、ずたずたにされ、災難に巻き込まれ、

 大金をくすねられて、逃げ場無く、崖から飛び降り、

 大自然の驚異に打ちひしがれながら、

 目に見えない敵と戦い、

 病死、貧死の時の死期をなめる。」


用心せよと言うのではない。

その前に、死んでおけという意味なのだ。

また、

仏道の世界においてはこう示されている。

生きんと思わば、天にまかせ。

死は仏に一任するべし。

命は、天の吾を労すもの也。

死は、道の吾を安するもの也。

命は、神の命令書のようなもの。

死は、神からの大切な贈りもの。

私たちは、

目で見えない「何者」かによって生かされている「生気」であり、

「霊」と「我」とは三位一体である。

それ故、深い気づきを「自得」と申す。

その為には、

自己を仕上げなければ事は成さん。運命は動かん。

万事を尽して天命を待つ。

人の一生は、重き荷を背負って遠き道を行くが如し。

日本人とは、修行僧であるのだ。


宗教とは、これ生死を本とする。仏道も然り。

道元禅師曰く、

「よく知るが良い。

 生死は仏道の行委であり、仏家の道具なり。

 それによく通じており、使い道をよく心得る。

 もし、この生死の世界をわきまえなければ、

 どうして、その人を仏家のある人と言えようか。

 我々は、生死の迷いに沈んでいると考えてはならない。

 また、生死のさ中にあるものと見てもいけない。

 あるいは、死後は無死であると信じてもならない。」

 
生死は心に任せ、生死は身に任せ、生死は仏道に任せ、

生死は目には見えない 「何者」 かに任せるのである。




     つづく。





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