きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

今日も「いいこと」

2012-11-10 | 息子keke
ずっと幸せとは何だろう?と考えてきた。

kekeには幸せになってほしいと思って、お金も貯めた。
大学に入って、安定した企業に勤めることがそれに近づくことだと思ってきた。

でも、そうじゃないのかもしれない。

だって今、私がとても満たされているから。

収入が多いわけでも無い、旦那がいるわけでもない、子供で安心できているわけでもない。
なのに、何だか毎日満たされているのだ。

最初は毎日「いいこと日記」をつけているだけだった。
そしたら、だんだん「いいこと」が増えてきて、毎日いいことが起きるようになった。

課長が1000円でお菓子を買っていいよと言ってくれたり
もう無いだろうと思っていた傘が見つかったり

そして今日はkekeが棚を作ってくれた。


これは数日前、私が押入れの隙間に入れるために買ってきた引き出せるボックスである。

案外重くて私は家に帰ると、「重たいから、駐車場からここまで運んでもらえないだろうか」とkekeに言った。
「今は行けない」と断わられた。
 
私は1人で運ぶ事にした。
ちょっと前だったら、ブツブツ文句の一つも言っていた場面だったのだが、「たしかにチャットだかPC電話をしているのかもしれない。私も気を利かせてもう少し前に言っておくべきだった」と思ったのだ。
そして、休み休みでも構わないから一人で運ぼうと思ったのである。

そして数日が経ち、今日になり段ボール箱を開けると、ネジだの接着剤だの私には手におえないような代物である事が分かった。
しかしやらなきゃならないだろうな。。と思っていたのだが、kekeに言うと組み立ててくれたのである。

うれしい。。。。


私も一応理系人間なので、どうしてこうなったのか考えなくても良いのだけど、考える。

見切り商品も自分で頑張って求めに行って手にするのもうれしいけれど、それは「自分の力」「達成感」の喜びである。

今はあえて頑張りきらずに、ぶらっと買いに行き、そこで出会える品物を楽しんでいる。
自分で勝ちに行ってないので、まるで誰かが運んでくれているような気がして、何かついてる、ラッキーだ、と思い続けていくうちに、いろんなものが降ってくるようになったのだ。

たぶん、人に求めず、自分にも課さなくなったことが、一つのポイントのような気がするのだが。。。
なんでこんなに周りの人がみんなイイ人に思えてくるのだろう?