きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
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「Nobody Is Right」/中島みゆき

2016-02-23 | 歌謡曲・カラオケ
中島みゆきさんの歌は、それまでスルーしていた歌がしばらく経ってから「なるほど~」と思うことがある。

最近で言えば「Nobody Is Right」と言う歌があって、これも何年も前のアルバムの曲である。(ちなみに歌詞はこちらにあります。)

この歌も初めて聴いた時はよくわからんが説教くさい曲だなァと思って、あまり聴かなかったのだけど、この前聴いた時しみじみ(ほんとだよな)と思う。
内容は「Nobody Is Right」=正しい人なんていない、というタイトルで、正しいとはなんぞや?、という歌なのである。

中島さんの歌の面白い所は、言葉尻ははっきりしているけれど具体的な内容は宙に浮かしているところがあるのだ。スープストックと言うか、中島みゆきはスープストックを作るだけ。味付けはそれぞれ受け取る人間が、自分の経験を踏まえてお好きな味付けをして、自分のものにしてください、という歌が多い。(なのでこの先の話はあくまで私の解釈ということで進める。)


昨日はまたヴァイオリン奏者(女性)の方の子育て論がひどい!ということで炎上なるものが発生したそうである。

炎上とはなんぞや、と私は思う。

たしかに女はヒステリックなところがある。行き過ぎたしつけも時にはあるかもしれない。
百歩(いや20歩ぐらいにしようか・・)譲って「あなた様の子育てはいささかやりすぎなのではと忠告したい」という人がいるとしよう。それはそのように丁寧な言葉を選んで、相手の気を悪くしないようにした方がよろしいのではなかろうか。その場合はおそらく「炎上」という形にはならないのではなかろうか・・・と私は想像する。

大勢が一人を言葉でやりこめるような攻撃するということを炎上とイメージしての想像なのだが。

そこで頭に浮かぶのが♪Nobody Is Right~Nobody Is Right~Nobody Is Right~というこの歌なのである。

  その正しさは気分がいいか
  正しさの勝利が気分いいんじゃないのか


ちなみに私は「毒親」と言う言葉はあまり好きではない。

どこの親が自分の子供の毒になろうと思うのか。

私も欠点だらけの人間なので、親としての行動に「毒がなかった」とは言いがたい。しかし「毒親」ではないと思う。(思いたい)ましてや人にそんな風に裁かれたくない。許せない。

毒親と毒じゃない親は何が違うのか。
当事者の子供の主観によるものなのか(だとしたら私は猛毒親かもしれないが)。
子供の世話や家事の有無なのか。

たぶんこの言葉を使う人は親になったことがない人にちがいない、とせめて思いたい。
「自分は毒なんてこれっぽちもありませんでした」と言いきれる親がいるのだろうか。
人様を毒親などと言う、その親に育てられた子供はどんな子供なのだろう。
そもそも完璧な子供なんているのだろうか。

そういう考えが(子育てに限らずいろんなことで)少しづつ芽生えてきた最近、この歌のかたくなな強さを思うのである。

  カンペキに正しい人ってどういう人だ

私もそう思う。