小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

伊勢神宮その2

2013年12月31日 10時01分52秒 | パワースポット
パワースポット編 ―伊勢神宮その2 おとりつぎさん瀧祭神―


 さあ、いよいよ内宮にお詣り、である。

 ところで、遷宮の時に、新しい御正殿に天照大御神を
お迎えする人は誰だかご存知ですか?
 その職務は、明治になるまで大物忌(おおものいみ)の
役目でした。

 正確に言うと、遷宮の際に大御神を新しい御正殿に遷
す時、御正殿の鍵を開け、扉を開くのが大物忌の役目。
 つまり、斎宮を含め何人たりとも大物忌を差し置いて
新しい御正殿に入ることは許されなかった、ということ
になる。

 この大物忌は明治になって廃止されたので、その役職
名を聞いたことがない人も多いのじゃなかろうか? 

 大物忌とは大御神に仕える少女祭祀者たちのことである。
 驚くべきことに、大物忌になる少女は、4、5歳の幼女
期から成人に至る年齢まで、とあり、今で言えば園児の年
齢から仕えていたことにある。
 さらに、大物忌となった少女はその任が解かれるまでは
宮域の外に出ることは禁じられていた。

 伊勢神宮最古の記録『皇大神宮儀式帳』には、大物忌に
ついて、

 「今の禰宜、神主公成らが先祖、天見通命の孫川姫命を
倭姫の御代に、大物忌として、大神に伝(つ)き奉らしめ
て、その時より始めて大神に専ら手付き奉りて、かしづき
奉る。今も斎内親王より大物忌は大神に近くかしづき奉る。
昼夜避し奉らず、今の世まで最も重し」

と、あり、伊勢神宮の祭祀を司る人々の中でもっとも重大
な存在が大物忌だというのだ。
 それは、斎王よりも大神の近くに仕える、と記されてい
るから驚きだ。
 斎王は倭姫以来、皇族の内親王が務め、一般には伊勢神
宮の最高司祭者ととらえられているのに、その斎王よりも
近く大御神に仕え、かつ昼夜を問わず仕える存在だと『皇
大神宮儀式帳』は伝えるのである。

 また、重要な祭事の前に行われる清掃でも、「心のみ柱
のみ下」のみは、大物忌が行うことになっていた。
 心のみ柱のみ下は、伊勢神宮の中でも最も神聖な処で、
神嘗祭(かんなめさい)の「湯貴の大御饌(ゆきのおおみ
け)」もこのみ柱の御下に供されるけれど、この供饌も大
物忌の役目だった。
 神嘗祭は、旧暦九月十七日に行われる宮中祭祀で、その
年の初穂を天照大御神に奉納する儀式です。九月十一日に、
勅使に御酒と神饌を授け、九月十七日に奉納されるが、皇
室から幣帛使が派遣されるなど、重要な祭事なのである。

 考えようによっては、大物忌は、伊勢神宮本来の祭神に
仕える存在だと言えなくもない。
 斎宮は皇祖神たる天照大御神に仕える存在である。いか
に斎宮が皇女であろうが伊勢神宮の本来の神の祭祀は許さ
れなかったのかもしれない。


 さて、お話しを戻して・・・。

 内宮の第一鳥居の手前に手水舎がある。ここで手を洗い
清める。
 たいがいの神社には手水舎があるけど、ここ内宮の特徴
は第一鳥居をくぐったその後に五十鈴川手洗場でもう1度
手を洗うことにある。
 文字通り、五十鈴川の川の水で手を洗うのだ。



 五十鈴川手洗場で手を清めた後はいよいよ正宮に、とな
るのだけど、その前に瀧祭神(たきまつりのかみ)と称さ
れる場所によらなければいけない。
 瀧祭神は「瀧祭宮」とも呼ばれたりもするけど、別名が
「おとりつぎさん」。正宮にお参りする前にこの神様に詣
でると、参拝を天照大神に取り次いで下さるといわれてい
る。



 瀧祭神は古来より社殿を持たず、御神体の石が板垣に囲
まれて祀られているだけなのだけど、別宮に準じて祭典が
奉祀される特殊な神様なのだ。
 なお、この瀧祭神の祭神は瀧祭大神(たきまつりのおお
かみ)という。五十鈴川を守護する神様だといわれている。

 実はこの場所は、五十鈴川手洗場のすぐ近くにあるのに、
大半の人はこの「おとりつぎさん」には寄らずにそのまま
正宮の方に行ってしまう。
 なんでだろう???
 思うに、瀧祭神は参拝コースに背を向けるようにあるため
に、参拝する正面が見えなくて、みんな気づかずに通り過
ぎてしまうのでは?
 他にもその理由として、どういうわけか、内宮参拝のため
のガイドブックなどでも取り扱いが小さいせいもあるかもし
れない。



 じゃあ、どうして「おとりつぎさん」は大きく扱われな
いのだろうか?

 一説によれば、瀧祭神は、伊勢神宮の重要な場所である
と同時に隠しておきたいタブーでもある、という。

 それは、この瀧祭大神こそが伊勢神宮の本来の祭神であっ
たからだ、というものだ。

 熊野那智大社編で書いたように、滝は龍でもあるという。
伊勢神宮の本来の神は龍であったとする説があるのだ。
 ならば、その龍とは瀧祭大神と考えられる。

 『古事記』に、ヤマタノオロチは、毎年、高志から出雲に
やって来る、とある。
 その原像は海からやって来る神だったのかもしれない。
 出雲大社の神在祭の一神事にある、海からやって来る龍蛇
を迎える行事を思わせる。
 『日本書紀』の「一書」には、スサノオがヤマタノオロチ
に向かって、
 「汝はこれ可畏き(かしこき)神なり」
と、言う場面もある。

 『古事記』には、ヤマタノオロチが毎年やって来ては娘を
喰らう、とあるけど、この生贄の少女たちの原像は、海辺で
神を迎える巫女だったのかもしれない。そして、それは大物
忌をも連想させる。

 出雲大社の神在祭の一神事に、龍蛇を海上に迎える神事
では、海上より白波の上を藻に乗って杵築の海辺に寄り来る
龍蛇を、神官が六角の曲物に納め、標縄を張り、神殿に納め
る。
 それから「元伊勢」籠神社。ここの絵馬には六芒星が描
かれています。
 『日本書紀』には、宮中より笠縫邑に遷された天照大御
神は次に籠神社に遷された、としるされている。
「籠」という字は、竹かんむりに龍、と書くけど、この龍は、
いわゆる「たつ」のことではなく、「かごめ」のことだとさ
れている。
 籠神社の神紋は六芒星であったと言われる。今でも籠神
社の絵馬には現在の神紋である三つ巴の紋と六芒星の紋の
ふたつが描かれているそうだ。六芒星もまた、かごめを表わ
していると言われる。
 だから、籠とは、何かを入れる入れ物、というような単純
なものではなく、貴重なものを納めるものになる。しかし、
六芒星は、出雲大社の神在祭で神である龍蛇を六角の曲物に
納める、というのに似ている。
 そして、籠神社の六芒星の中には月と太陽が描かれている
のである。


 それにしても、瀧祭神は、名称も「神社」や「宮」では
なく「神」だし、社殿を持たない原始的な祭祀場というと
ころに、「もしかすると本当にこの大神が伊勢神宮の本来
の祭神?」と思わせるものがある。


(つづく)

伊勢神宮その1

2013年12月30日 15時54分23秒 | パワースポット
パワースポット編 ―伊勢神宮その1 内宮へ―


 前回の最後に書いたようなわけで、7月14日に、あらためて伊勢
神宮に行ってまいりました。

 今回は西名阪道経由で伊勢自動車を利用して伊勢神宮へ。

 GWの時と違って伊勢神宮だけが目的だから外宮と内宮の両方を
お詣りすることにした。

 外宮に到着したのはAM9時。式内遷宮の年で参拝者が多い伊勢
神宮だけどこの時間だと待つことなしに駐車場に入れた。


 宮中から笠縫邑に遷された天照大御神は、次に、京都府宮津市に
ある籠神社(この神社)に遷された。そして、その後に倭姫命(ヤマト
ヒメノミコト)によって伊勢神宮に遷されたわけだけど、『日本書紀』
の垂仁天皇25年3月の記事には次のようにある。
 「倭姫命、大神を鎮め坐すところを求め莵田の篠幡にいたる。さら
に近江国に入り、東の美濃を廻って伊勢国にいたる。
 時に天照大神、倭姫命に、
 『この神風の伊勢国は、常世の波の重波よせる国なり。傍国(かた
くに)のうまし国なり。この国におらんと欲う(おもう)』
と、申された」
 これが内宮の成立である。

 では外宮は?
 籠神社は天照大御神が鎮座していたけど、社伝などでは、元は豊受
大神が鎮座していたとされている。
 天火明命(アメノホアカリノミコト)が豊受大神を祀る場所として
ふさわしい場所だと言ってこの地に豊受大神を招いたのが、現在の
「籠神社奥宮」真名井神社だという。
 なお、「摂津国風土記逸文」には、稲椋山(所在不明)にいた豊宇
可乃売神(トヨウカノメ神)が、丹波の真奈井に遷った、と記されて
いる。

 伊勢神宮外宮の社伝『止由来宮儀式帳』には、雄略天皇の夢枕に天
照大御神が現れて、
 「丹波国の比沼の真奈井にいる等由気大神(豊受大神)を近くに呼
び寄せてほしい」
と、告げたので、籠神社より伊勢神宮の外宮に遷したのだ、とある。
 これが外宮の成立である。

 では、お詣りに出発、と思ったら雨が降り始めた。
 春奈もレインコートを着る。




 それでは、気を取り直してお詣りに行く。



 雨はすぐに上がったけど、徐々に人が増え始めた。本殿でお詣りを
済ませ、別宮の多賀宮に向かうと、長い行列ができていた。
 警備員の人が、「参拝には40分待ちになっておりまーす」
と、呼びかけている。

 遊園地のアトラクションじゃあるまいし、そんなに並ばにゃいかん
のかよ、と、いうことで諦めて内宮に向かうことにした。

 やっぱり今年は式内遷宮の年だけあって参拝者が多い。

 式内遷宮は神の坐す社の恒久を意味するとも言われている。

 鉄筋コンクリートの社殿を築けば20年と言わずもっと長持ちする
し、いや、これまで通りの木造建築でも20年以上はもつのに必ず
20年で新しい社殿を建て替える。
 これが「恒久」なのである。あるいは「永遠」。
 日本と言う国には四季がある。春夏秋冬の移り変わりが常にあるけ
ど、これは毎年毎年繰り返される。それは変わることなく繰り返され
る。これぞ「恒久」なのだ。

 日本はまた稲作の国でもある。
 稲作に携わる人々はまさしく春夏秋冬の中に暮らしている。稲作も
また四季の移ろいの中で行われ毎年毎年同じことが繰り返される。
 伊勢神宮は20年のサイクルでこの恒久を古代より具現しているのだ。


 そうそう、せんぐう館にも入ってきました。
 こどもたちにもわかりやすくて親切な内容。

 ↓ せんぐう館の入館券ならぬ入館証



 ところで、この写真は参道途中にあった池。
 せんぐう館のところの池と違ってこちらの池は古くからある雰囲気。



 ところが、ここで大間違いをしていたのだけどこの時は気づいていな
かったことがある。
 伊勢神宮のパワースポットのひとつ河原祓所に行っていなかったのだ。

 これは外宮にあるのだが、僕はてっきり内宮にあるとばかり思い込ん
でいたのである。
 そんな理由で河原祓所は見逃してしまった・・・。

 さて、外宮の駐車場を出ると、反対に駐車場に入ろうとする車が列を
なして順番待ちをしていた。
 そして、内宮へと続く道路もまた大渋滞である。
 内宮の駐車場にたどり着くのに45分も要してしまった。

 内宮参りの前に氷赤福を食することにした。
 おはらい町とおかげ横丁が交わるところに赤福本店と赤福別店舗が道
を挟んで建っている。店内に入るのに行列があり、店内に入っても、注
文してから氷赤福が運ばれるまで30分待ちという繁盛ぶりだ。

 って言うより人が多すぎ。



 そうして、いよいよ内宮へ。

(つづく)

湯ざまし飲まれた

2013年12月29日 17時06分11秒 | 日記
2011年3月8日(火)(2歳11か月)


 みんたが春奈のためにとっておいた湯ざましを、
春奈に飲ませようとしたら、カップが空だった。

 ゆうきかりえのどちらかが飲んでしまったようだ。

 「春奈の湯ざましお姉ちゃん飲んだな」

と、みんたが言うと、春奈も、

 「お姉ちゃん、はるなの勝手に入れて飲んだら
アカン!」

と、ふたりに文句を言った。

 ずいぶん長い文を言うようになったものだけど
前はビミョーに日本語としておかしな部分もあっ
たのに、今は違和感なく長い文が言えている。

 さらに、もう1度、

 「飲んだらダメ!」

と、文句を重ねた。

 さっきは「アカン」で今度は「ダメ」か。

 いろいろと使える言い方も増えているようだ。


熊野那智大社その2

2013年12月28日 15時09分24秒 | パワースポット
パワースポット編 ―熊野那智大社その2―


 なお、熊野那智大社の祭神は熊野夫須美神(クマノムスビノミ
コト)という。熊野那智大社によると、この神は伊邪那岐命(イ
ザナキノミコト)のことだとある。
 なぜ伊邪那岐と熊野夫須美が同神なのかよくわからないけど、
『出雲国風土記』の意宇郡の条には、伊邪那岐の御子として熊野
加武呂命(クマノカムロノミコト)という神が見えるので、熊野
の神と伊邪那岐との間には何からの関係があるのかもしれない。

 また、天照大御神の御子、熊野久須毘命(クマノクスビノミコ
ト)だとする説もある。
 まあ、たしかに名前は似ている。
 この神は、『古事記』によれば、スサノオノミコトが天の安河
で、天照大御神の髪の髪飾りの珠をもらい、これも口に含んで噛
み砕き、そして、それをふっと吹いた時に、霧のようなその息吹
の中から生まれた神だという。
 けど、天照大御神の珠から生まれたので天照大御神の子だとい
うわけである。
 ところで、この時にスサノオがもらった珠は合計5つで、その
すべてから同じ方法で5柱の神々を生みだしている。
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノ
オシホミミノミコト)
 天之菩卑能命(アメノホヒノミコト)
 天津日子根命(アマツヒコネノミコト)
 活津日子根命(イクツヒコネノミコト)
そして、熊野久須毘命である。
 ちなみにアメノオシホミミは天孫降臨のホノニニギノミコトの
父である。
 また、アメノホヒは出雲国造らの始祖になっている。

 ただし、熊野那智大社の、本来の祭神はこの後に訪れる飛瀧
神社(ひろう神社)の「那智の滝」だった。
 このことは熊野那智大社が公式に認めている。
 つまりは、滝を神として祀っていたのである。


 全国的に知られている有名な神社でも、祭神が不明な場合が多い。
 公式に祭神としている神とは違う神を本来の祭神としている場合
が多々あるからだ。
 このことは、伊勢神宮や出雲大社などでも言える。
 じゃあ、どうして本当に祀っている神とは違う神を祭神として
公表しているかと言えば、神社では主祭神の他に摂社などでいろ
いろな神も祀っているけど、長い歴史の中で新しく取り入れた神
をいつしか主祭神としなければいけない事情になったりだとか、
あと政治的な事情でそうしなければいけなくなったりなどの理由
による。
 熊野那智大社みたいに、「本来の祭神はこの滝なんですよ」と
公表している神社は少ない。

 熊野那智大社と青岸渡寺を参拝して飛瀧神社に向かう。そのコー
スも世界遺産熊野古道の一部である。
 朝の9時だと言うのに参拝の人でいっぱいだ。



 飛瀧神社の祭神は大己貴神(オオナムチノミコト)になっている
けど、さっきも言ったとおり滝が御神体で、本殿も拝殿もない。

 この滝は通称那智の滝と呼ばれ(本当の名称は一の滝)、落差
133メートルで一段の滝としては日本一。
 水流は落下する途中で突き出た岩にぶつかって数条に分かれる
のだけど、それは白龍のように見える。
 眺めているだけで、心が清められ、活力をいただける気がする。
 まさしくパワースポットだ。



 日本では、滝はしばしば龍にたとえられる。
 そして、日本の神には、龍や蛇の姿を持つ神も少なくはない。
 出雲大社では、神は龍蛇の姿でやって来るという。
出雲大社の神在祭の一神事に、龍蛇を海上に迎える神事がある。
 毎年10月11日より15日までの間に、海上より白波の上を
藻に乗って錦紋小蛇(セグロウミヘビ)が杵築の海辺にやって来
る。これを出雲大社の祭事では龍蛇と呼ぶ。龍蛇が寄り来た時、
神官が潔斎して海辺に出て、玉藻をもって袖に承けると龍蛇はそ
の上に留まる。そして、それを六角の曲物に納め、標縄を張り、
神殿に納めるというものだ。


 下山して昼食を取ると、いよいよ伊勢神宮に出発。
 ところが、伊勢神宮に近づいたころに、みんたが発熱した。元
から調子が良くない、とは言っていたのだけど・・・。
 近くまで来ているとは言え、体調が悪い時に伊勢神宮に参拝す
べきじゃない。帰ることにした。

 伊勢神宮のような強力なパワースポットには体調の悪い時に訪
れてはいけない。
 例えるなら、太陽。人は日光を浴びないと体に良くないけど、
体調が悪い時に真夏の太陽の下にい続けたなら、熱中症にかかり
やすいし、死んでしまうことさえある。
 それと同じで、体調の悪い人が行けば、その強いパワーに元気
をもらうどころか逆に体が耐え切れずに悪化させてしまうことに
なりかねない。

 神のパワーのすごさを伝えるエピソードが『日本書紀』にある。

 崇神天皇5年に、疫病が流行し、多くの人が死んで国が乱れた、
という。
 崇神天皇たちがその原因を探ると・・・
 この時まで、天照大神と倭大国魂神は天皇の大殿にて祀られて
いたのだけども、「ともに神の勢いが強すぎて同じところに祀ら
れておられなくなったのであろう」と、なった。
 それで天照大御神を大和の笠縫邑(かさぬいむら)に移して豊鍬
入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)に祀らせ、倭大国魂神を渟
名城入姫命(ヌナキイリヒメノミコト)に祀らせることにした。

 神のパワーがぶつかり合って世が乱れた、と解釈されたわけだ。

 しかし渟名城入姫命は、髪が抜け落ち、体が痩せ衰え、祭祀を
行うことができなくなってしまった、と『日本書紀』にある。
 神のパワーはそれほどまでにすさまじい。

 そんなわけで今回は熊野那智大社だけで家に帰る。

熊野那智大社その1

2013年12月28日 14時39分32秒 | パワースポット
パワースポット編 ―熊野那智大社その1―



 まもなく2013年も終わりですね。
 今年は、うちの家族はパワースポットと呼ばれるところに行く
機会が多かったです。

 それらをこの年の瀬に振り返ってみました。
 まずは熊野那智大社から。
 これは5月5日に行ってきたものです。
 
****************************

 前からみんたが伊勢神宮にお参りに行きたいと言っていたの
で、家族みんなで行くことにした。

 せっかくなので、早朝に出発して紀伊半島を一周するという
プランを決行。

 GW中とは言え早朝に出発しただけあってスイスイと串本まで
やって来ました。
 橋杭岩で休憩。ただ今の時刻はAM8時。



 解説があって、それによると、弘法大師が串本から沖合の島
まで橋をかけようとして造りかけたものだという伝説があるら
しい。
 しかし実際には、岩の柔らかい泥岩部が波で侵食され、硬い
石英斑岩が杭状に残されたものなんだそうだ。

↓ 干潮時には歩いて行くことができる。



 橋杭岩を発ち、熊野那智大社に。


 山の途中におみやげ店やお食事処が集中しているエリアがある
のでそこまでは車で行く。ここには駐車場が多い。
 ここからは徒歩で登る。なお、車でその上まで行くことも可能だ
けど、高齢者や足の不自由な人のために上の駐車場は譲って徒歩で
行くのがよいでしょう。

 熊野那智大社は青岸渡寺と隣り合わせにある。青岸渡寺は西国
巡礼第一番札所でもある。

 映画やマンガなどにもなった山田風太郎の『魔界転生』。その
原作では、この石段で柳生十兵衛と田宮坊太郎が闘った。
 けっこうキツイ。
 石段の途中に「パワースポット」と書かかれた横断幕があった。



 熊野那智大社の鳥居をくぐってすぐのところに多富気王子がある。
ここも九十九王子のひとつ。
 王子とは、京都から皇族や貴族たちが熊野詣でに向かう時に、そ
の道中にある、儀礼をおこなう場所のこと。
 ちなみにうちの家族がいつも参加しているヒッポの和泉府中ファ
ミリーの会場のすぐ近くにも井ノ口王子がある。
   

 九十九と言っても99カ所あるわけじゃなくて、数が多い、と
いう意味のもの。「八百万の神々」というのといっしょ。
 実際、王子と認定されているものは99じゃなくて101ある。
 この多富気王子神社はその101番目の王子。すなわち熊野詣
での参拝路にある最後の王子なのだ。
 ただし、元々は別の場所にあって、後世にこの地に遷されたそ
うだ。今は熊野那智大社の摂社のひとつ「兒宮」となっている。

(つづく)