大国主の誕生497 ―難波王自害の背景⑧―
それは、備前国赤坂郡(現在の岡山県赤磐市)に鎮座する備前国一宮の石上布都魂神社
(いそのかみふつみたま神社)です。
祭神はスサノオですが、本来の祭神はスサノオがヤマタノオロチを斬った剣であり、その剣の
名が布都御魂だと伝えられています。
大和の石上神宮も布都御魂を祭神としますが、こちらの布都御魂はタケミカヅチの分身とも
言える剣のことです。
しかし、伝承では吉備の石上布都魂神社の布都御魂は大和の石上神宮に遷されたとあり
ますし、『日本書紀』の一書には、
「オロチを斬った剣は、名付けて蛇の麁正(オロチノアラマサ)という。今は石上にある」
と、記し、別の一書では、
「オロチを斬った剣は、今は吉備の神部の許にあり」
と、記されており、スサノオがヤマタノオロチを斬った剣が、石上神社にあるという伝承と吉備に
あるという、それぞれの伝承を載せているのです。
言うまでもないことですが、『日本書紀』の一書にある吉備の神部は、旧赤坂郡の石上布都魂
神社(いそのかみふつみたま神社)に比定されています。
それで、ここに和邇氏が関係するというのは、赤坂の地名が和爾坐赤坂比古神社の赤坂比古
命に通じるからです。しかも、石上神宮の祭祀族である物部首が春日氏の一族で、和邇氏と
春日氏の結びつきを考えた時に赤坂の一致は偶然で片づけるわけにはいかなくなるわけです。
ともかく、スサノオがヤマタノオロチを斬った剣が吉備の石上布都魂神社に納められ、そして、
スサノオがヤマタノオロチの尾から取り出した草薙剣は尾張氏が祭祀する熱田神宮の御神体と
なります。
大和の石上神宮の布都御魂は前述のようにタケミカヅチの分身とも言える剣ですが、これは
タケミカヅチが自分の代わりとして布都御魂の剣を高倉下(タカクラジ)に降下し、タカクラジから
神武天皇に献上されたものです。
『先代旧辞本紀』は高倉下を尾張氏の祖天香語山命のこととしているから、布都御魂は尾張
とも関わりを持つことになります。
そして、春日氏や小野氏、柿本氏、市井氏らもまた尾張と関係を有します。
それと言うのも、これらの氏族の始祖である天押帯日子命は、孝昭天皇の御子と『古事記』は
伝えますが、天押帯日子命の生母について『古事記』は、尾張連の始祖奥津余曽(オキツヨソ)の
妹、余曽多本毘売(ヨソタホビメ)と記すのです。
一方、『日本書紀』では世襲足媛(ヨソタラシヒメ)となっており、「尾張連の遠祖瀛津世襲(オキ
ツヨソ)の妹なり」と記します。
『先代旧辞本紀』も、瀛津世襲命の妹世襲足姫命、またの名を日置日女命と記しています。
尾張氏が、スサノオがヤマタノオロチの尾から取り出した草薙剣を熱田神宮に納めるのは、この
剣がスサノオから天照大御神に献上された後、斎宮のヤマトヒメからヤマトタケルに授けられ、
それをヤマトタケルが尾張氏のミヤズヒメに預けたからなのですが、ヤマトタケルの系譜を見ると、
奇しくもここに登場する氏族たちが絡んでいるのです。