小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

伊勢神宮その1

2013年12月30日 15時54分23秒 | パワースポット
パワースポット編 ―伊勢神宮その1 内宮へ―


 前回の最後に書いたようなわけで、7月14日に、あらためて伊勢
神宮に行ってまいりました。

 今回は西名阪道経由で伊勢自動車を利用して伊勢神宮へ。

 GWの時と違って伊勢神宮だけが目的だから外宮と内宮の両方を
お詣りすることにした。

 外宮に到着したのはAM9時。式内遷宮の年で参拝者が多い伊勢
神宮だけどこの時間だと待つことなしに駐車場に入れた。


 宮中から笠縫邑に遷された天照大御神は、次に、京都府宮津市に
ある籠神社(この神社)に遷された。そして、その後に倭姫命(ヤマト
ヒメノミコト)によって伊勢神宮に遷されたわけだけど、『日本書紀』
の垂仁天皇25年3月の記事には次のようにある。
 「倭姫命、大神を鎮め坐すところを求め莵田の篠幡にいたる。さら
に近江国に入り、東の美濃を廻って伊勢国にいたる。
 時に天照大神、倭姫命に、
 『この神風の伊勢国は、常世の波の重波よせる国なり。傍国(かた
くに)のうまし国なり。この国におらんと欲う(おもう)』
と、申された」
 これが内宮の成立である。

 では外宮は?
 籠神社は天照大御神が鎮座していたけど、社伝などでは、元は豊受
大神が鎮座していたとされている。
 天火明命(アメノホアカリノミコト)が豊受大神を祀る場所として
ふさわしい場所だと言ってこの地に豊受大神を招いたのが、現在の
「籠神社奥宮」真名井神社だという。
 なお、「摂津国風土記逸文」には、稲椋山(所在不明)にいた豊宇
可乃売神(トヨウカノメ神)が、丹波の真奈井に遷った、と記されて
いる。

 伊勢神宮外宮の社伝『止由来宮儀式帳』には、雄略天皇の夢枕に天
照大御神が現れて、
 「丹波国の比沼の真奈井にいる等由気大神(豊受大神)を近くに呼
び寄せてほしい」
と、告げたので、籠神社より伊勢神宮の外宮に遷したのだ、とある。
 これが外宮の成立である。

 では、お詣りに出発、と思ったら雨が降り始めた。
 春奈もレインコートを着る。




 それでは、気を取り直してお詣りに行く。



 雨はすぐに上がったけど、徐々に人が増え始めた。本殿でお詣りを
済ませ、別宮の多賀宮に向かうと、長い行列ができていた。
 警備員の人が、「参拝には40分待ちになっておりまーす」
と、呼びかけている。

 遊園地のアトラクションじゃあるまいし、そんなに並ばにゃいかん
のかよ、と、いうことで諦めて内宮に向かうことにした。

 やっぱり今年は式内遷宮の年だけあって参拝者が多い。

 式内遷宮は神の坐す社の恒久を意味するとも言われている。

 鉄筋コンクリートの社殿を築けば20年と言わずもっと長持ちする
し、いや、これまで通りの木造建築でも20年以上はもつのに必ず
20年で新しい社殿を建て替える。
 これが「恒久」なのである。あるいは「永遠」。
 日本と言う国には四季がある。春夏秋冬の移り変わりが常にあるけ
ど、これは毎年毎年繰り返される。それは変わることなく繰り返され
る。これぞ「恒久」なのだ。

 日本はまた稲作の国でもある。
 稲作に携わる人々はまさしく春夏秋冬の中に暮らしている。稲作も
また四季の移ろいの中で行われ毎年毎年同じことが繰り返される。
 伊勢神宮は20年のサイクルでこの恒久を古代より具現しているのだ。


 そうそう、せんぐう館にも入ってきました。
 こどもたちにもわかりやすくて親切な内容。

 ↓ せんぐう館の入館券ならぬ入館証



 ところで、この写真は参道途中にあった池。
 せんぐう館のところの池と違ってこちらの池は古くからある雰囲気。



 ところが、ここで大間違いをしていたのだけどこの時は気づいていな
かったことがある。
 伊勢神宮のパワースポットのひとつ河原祓所に行っていなかったのだ。

 これは外宮にあるのだが、僕はてっきり内宮にあるとばかり思い込ん
でいたのである。
 そんな理由で河原祓所は見逃してしまった・・・。

 さて、外宮の駐車場を出ると、反対に駐車場に入ろうとする車が列を
なして順番待ちをしていた。
 そして、内宮へと続く道路もまた大渋滞である。
 内宮の駐車場にたどり着くのに45分も要してしまった。

 内宮参りの前に氷赤福を食することにした。
 おはらい町とおかげ横丁が交わるところに赤福本店と赤福別店舗が道
を挟んで建っている。店内に入るのに行列があり、店内に入っても、注
文してから氷赤福が運ばれるまで30分待ちという繁盛ぶりだ。

 って言うより人が多すぎ。



 そうして、いよいよ内宮へ。

(つづく)