小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

ギとジの音

2015年12月31日 01時09分51秒 | 日記
2012年12月30日(日)(4歳9か月)
 
 
 子供たちがテレビを観ていて、そこに流れたBCMに
ついて、 
 
 「これ、前にも他の番組で使われてたな。何の曲
やったっけ?」
 
 「ほら、ドラマの『JIN-仁‐』のテーマ曲やん」
 
と、話していると、春奈が、
 
 「ぎん?」
 
 「ジン」
 
と、ゆうきとりえが答える。
 
 「ぎん?」
 
 春奈にはどうしても「ギン」と聞こえるようだ。
 
 英語でGIは「ギ」にも「ジ」にもなるのはそういうことか。
 
 非常に近い音なのだね。
 日本人にとっては「ギ」と「ジ」は似てはいても明確に
区別できる音だけども英語圏の人には同じような音
なのかもしれない。
 
 その反対もしかりで、英語圏の人なら「s」と「th」、
「r」と「l」は明らかに別の音らしいけど日本人の耳には
同じように聞こえる。
 
 そういう点においては、赤ん坊や幼児の耳は日本人
だとか英語圏の人だとか関係なしに、人間本来の耳
なのだろうな。
 
 ちなみに春奈、今日で満4歳9か月。

468 臣から連への時代⑥肥前国風土記の伝承

2015年12月29日 01時04分05秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生468 ―臣から連への時代⑥肥前国風土記の伝承―
 
 
 美具久留御魂神社は別名を和邇神社(わに神社)といいます。
 ワニと言えば、『日本書紀』には事代主が八尋熊鰐(やひろわに)に化けて玉櫛媛(ミゾクイ媛とも)の
もとに通ってヒメタタライスズヒメをもうけた伝承が載せられていますが、美具久留御魂神社のワニは
大蛇のことだそうです。
 
 そこであらためて大伴氏との関連を考えてみたくなります。と言うのも、『肥前国風土記』の松浦郡の
条に、大伴氏と大蛇が登場する弟日姫子(おとひめこ)の伝承が載るからです。
 それは次のような伝承です。
 
 鏡の渡
 昔、宣化天皇の時代に、大伴狭手彦連(おおとものさでひこのむらじ)を派遣して任那を鎮め、また
百済を救援した。(註:大伴狭手彦は大伴金村の子)
 狭手彦はこの勅命を受け朝鮮に渡るためこの村に来た際、篠原村の弟日姫子(おとひめこ)のもとを
訪れて妻にした。弟日姫子は日下部君らの祖である。
 別れる日、狭手彦は弟日姫子に鏡を贈った。
 弟日姫子が悲しみ、泣きながら栗川を渡った時に、もらった鏡の紐が切れて川に沈んでしまった。
 そのために鏡の渡と名付けられた。
 
 褶振の峯
 大伴狭手彦連が任那に向けて船で発った時、弟日姫子がここに登って褶(婦人の装身用の布帛)を
振った。それで褶振の峯と名付けられた。
 その弟日姫子であるが、狭手彦連と別れて五日が経った時、ひとりの男性が弟日姫子のもとを訪れ
るようになった。その者は毎晩訪ねてきて弟日姫子と寝て、夜明けとともに帰っていった。その姿や
顔立ちは狭手彦にそっくりであった。
 弟日姫子はその男性の正体を知りたいと思い、続麻(うみお)を用意すると、密かに男性の裾に麻糸を
かけた。
 男性が帰った後、麻糸を追っていくと褶振の峯にある沼にたどり着き、糸の先には蛇が眠っていた。
 その蛇とは、体は人間で沼の底に沈み、頭は蛇で沼の岸辺にあった。
 弟日姫子に気づいたのか蛇は人の姿に変わると、
 「篠原の 弟姫の子ぞ さ一夜も 率寝(いね)てむ時(しだ)や 家にくださむ」
 (篠原の村の弟姫よ、一夜でも共に寝た上で家に帰らせようぞ)
と、言った。
 弟日姫子の侍女は急いで弟日姫子の家族にこのことを報せた。家族は大勢の人をつれて峯まで登って
みたが、蛇と弟日姫子の姿はもうなかった。
 沼の底を覗いていると、人の遺骸があった。
 みんなは、あれは弟日姫子にちがいない、と言い、峯の南に墓を造った。
 
 このふたつの伝承にはいろいろ注目すべき点があります。
 まず、弟日姫子を通して大伴氏と大蛇が登場することは、大伴氏が美具久留御魂神社との関連を
うかがわせること。
 それに、弟日姫子が日下部氏の祖とあることです。
 これは、大阪府堺市西区の日部神社が大伴氏の始祖である道臣命を祀ることとの関連をにおわせ
ます。
 
 古代氏族に靭大伴部氏(ゆきのおおとべ氏)がいます。
 靭大伴部氏は大伴氏から派生したとも、大伴氏が管轄する靭負部から興ったとも言われています。
 『日本書紀』には天孫降臨に際して、大伴連の遠祖、天忍日命が天磐靭を背負った姿で登場するのも
大伴氏と靭負部との関係を示すものと考えられています。
 
 他にも、ヤマトタケルが大伴武日連に靭部を賜る話が『日本書紀』に登場します。
 靭負部は他にも白髪部靭負や刑部靭負、丹比靭負などがありますが、『豊後国風土記』の日田郡
靭編郷(ゆきあみの郷)の条には、日下部君らの祖、邑阿自(おおあし)が靭部として仕えたので、
邑阿自が住んだ村を靭負村というようになり、今は靭編郷というようになった、とあります。
 
 このことから、日下部氏(日下部君)も直接管轄する靭負部を持っていたと考えられるのですが、
直木孝次郎(『日本古代の氏族と天皇』)は、日下部靭部を管轄する日下部君、刑部靭負を管轄する
火葦北国造ら靭部や靭負部を管轄する氏族たちを指揮下に置いたのが大伴連だと考察しています。
 この考察は、大伴氏と日下部氏の関係についてのひとつの考察でもあると言えるでしょう。

マンガ『PLUTO』にみるマネっこ

2015年12月27日 01時52分20秒 | 日記
2012年12月27日(木)(4歳8か月)
 
 
 言葉はマネっこしてくことがいい、ということは何回となく書いた。
 
 赤ん坊の言葉だって、周りの人たちが口にしている言葉をマネっこ
することで育っていく、とも書いた。
 
 今回はちょっと違う視点からこのマネっこというものを見てみたい。
 
 浦沢直樹の作品で『PLUTO(プルートー)』というマンガがある。
 
 以前、ロボットは言葉を操るようにはならない、と書いたけど、この
マンガにはひとつの可能性が示されている。
 
 もちろんこの作品はフィクションだ。
 
 と、言うか手塚治虫の『鉄腕アトム』の1エピソード「地上最大の
ロボット」のリメイク作品である。
 
 単行本は全8巻。
 
 主人公は手塚治虫の原作版にも登場するロボットのゲジヒトで、
7巻と8巻はアトムが事実上の主人公になっている。
 
 アトムやゲジヒトらロボットは、感動もするし、愛情、悲しみ、憎悪、
羨望といった感情を持つ。アトムにいたっては味覚も持っている。
 
 ただ、これらは最初から供えられていたわけではなく、人間のマネを
しているうちに何となくわかるようになった、と本人たちは言う。
 
 先ほどの味覚についてもアトムがこう語るシーンがある。
 
 「マネをしているうちに、わかるような気がしてきたんです。おいしいって
ことが。人間の言う本当の感覚はわかりませんけど、何となく胸が」
 
 また、ゲジヒトの妻であるロボットのヘレナと、アトムの生みの親天馬
博士の会話のシーンではこのようなやり取りがなされる。
 
 「処理しきれないんです。膨大な悲しみの量を・・・」
 
 「泣いてごらん、そんな時、人間は泣くんだ。最初は真似事でもいい。
真似でもそのうち本物になる。私のように、本当に泣けるようになる」
 
 浦沢直樹は本当にそう考えているのかどうかはわからないけども、
本質を見ていると思う。
 
 現実の世界でも機械は学習能力を持つものがあるから、高度化して
いくとマネから本物に進化していく可能性は否定できないだろう。
 
 マネっことは大事なことなのだ。
 
  浦沢直樹『PLUTO』小学館刊

467 臣から連への時代⑤天忍日命の神話

2015年12月25日 01時25分26秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生467 ―臣から連への時代⑤天忍日命の神話―
 
 
 次に大伴氏の遠祖である天忍日命(アメノオシヒノミコト)という神について紹介したい
と思います。
 天忍日命、もしくは天押日命とも表記されるこの神は、古事記』の中では、天津久米命
(アマツクメノミコト)とともに、天孫降臨で日向に降り立つホノニニギの先導をする役目を
担っています。
 『新撰姓氏録』には、天忍日命は高皇産霊神の五世の孫となっており、『古語拾遺』では
高皇産霊神の子となっています。
 いずれにせよ高皇産霊神の系譜になるわけですが、これは物部氏の始祖と共通して
いることでもあるのです。
 と言うのも物部氏の始祖ニギハヤヒは『先代旧辞本紀』では、天照國照彦天火明櫛玉
饒速日尊と、天火明命と同神になっているのですが、天火明命は高皇産霊神の孫でも
あるからです。
 『古事記』には、天照大御神の御子神の天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)と高木神
(高皇産霊神)の娘、万幡豊秋津師比売命(ヨロズハタトヨアキシヒメノミコト)との間に生ま
れたのが天火明命と番能邇邇芸命(ホノニニギノミコト)とあります。
 万幡豊秋津師比売命は『日本書紀』では拷幡千千姫(タクハタチヂヒメ)とありますが、
『古語拾遺』には、高皇産霊神の御子神として、拷幡千千姫命と天忍日命の名があります。
 
 このように、物部氏の始祖は高皇産霊神の孫であり、大伴氏の始祖は高皇産霊神の子
である、ということになるのです。
 しかも、物部氏の始祖も大伴氏の始祖も、そして中臣氏の始祖である天兒屋命もホノニ
ニギの降臨に際してこれに従って地上に降りてきているのです。
 言うまでもなくホノニニギの子孫が皇族であるわけですから、物部氏、大伴氏、中臣氏が
天皇にそばに従うという形が神話の中に組み込まれていることになるのです。
 さらに言えば、大伴氏の場合は始祖にあたる天忍日命は皇族の祖であるホノニニギの
叔父にあたり、大伴氏は特に天皇に近い氏族と言えるのです。
 
 いずれにせよ、このようなことが顕宗天皇の時代に、日神と月神がそれぞれ高皇産霊神の
祭祀を要求する神託をしたことにつながっているのではないでしょうか。
 
 神託と言えば、美具久留御魂神社も神託に関係します。
 美具久留御魂神社の社伝によると、この神社の由来は氷香刀辺(ひかとべ)の子の神託を
うけて崇神天皇が活目命(後の垂仁天皇)を遣わして美具久留御魂の名を贈り祀らせたもの、
となっているのです。
 
 氷香刀辺の子への神託は『日本書紀』にも記されています。
 出雲振根が崇神天皇の派遣した軍に討伐された後、出雲臣たちは出雲大神を祭祀する
ことをやめてしまいました。
 そんな期間がしばらく続いた頃、丹波の氷上郡の人で氷香刀辺が、活目命(イクメノミに、
次のような訴えをしたのです。
 「私には子がおり、まだこどもなのですが、それがこのようなことを言い出したのです。
 
「玉藻鎮石 出雲人の祭る 真種の甘美鏡 押し羽振る 甘美御神 底宝御宝主 山河の
水泳る(みくくる)御魂 静かかる甘美御神 底宝御宝主 」
 
 活目命は父の崇神天皇にこのことを報告し、天皇は出雲の大神の祭祀を復活させるよう
勅命を出したのでした。
 ちなみに上記の神託の中に「水くくる御魂」という一文がありますが、これが美具久留御魂
神社の社名の由来だとされています。

手がカサカサに?

2015年12月24日 00時38分27秒 | 日記
2012年12月26日(水)(4歳8か月)
 
 
 今日は春奈の保育園で大掃除があったそうだ。
 
 それで春奈が、
 
 「水洗いしたからな。ハンドクリーム塗ってへん
から手がカサカサ」
 
 いや、全然カサカサになってないけど。
 
 水洗いしたら手がカサカサになるとか、ハンド
クリーム塗らなきゃ、とかそういう情報をどこで
仕入れる?
 
 そもそも手がカサカサになるとはどういう状態
なのかを知っているのかね?
 
 もっとも、春奈は乾燥肌の肌質なので冬は某社の
うるおい成分たっぷりのボディソープを使っている。
 
 ちなみに僕は石鹸派なので、体を洗う時も洗顔も
洗髪も石鹸である。
 
 風呂で体を洗った後、そのまま春奈も洗おうと
したら全力で拒否される。
 
 石鹸じゃなくてボディソープを使え、と言うのである。
 
 ただ、春奈自身がその製品の効果をどこまで確信
しているかは大いに疑問だ。
 
 みんたから、あんたはこれを使った方がいい、と言わ
れたのを無条件に信じているきらいがある。
 
 春奈、もしかして、けっこう影響を受けやすいタイプか?