小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

激おこプンプン丸

2017年08月21日 00時28分10秒 | 日記
2013年9月30日(日)(5歳6か月)
 
 
 家の中でりえと会話している時のこと。
 
 りえが、学校の友達のことを話し出した。
 
 「その子、すぐに『むかつく、むかつく』言うねん」
 
 それを聞いて、ふと、
 
 「最近、春奈キレやすくなったな」
 
と、僕がつぶやくと、
 
 「そう?なんで?」
 
 「春奈、近頃ちょっとしたことで、すぐに
『激おこプンプン丸』って言いよる」
 
 「それ、たぶん言いたいだけやで」
 
 あー、やっぱり。そうじゃないかなあ~、って思って
いたけど、りえからもそう言われると安心した。
 
 お姉ちゃんのゆうきとりえが、「激おこプンプン丸」っ
て使うから春奈もマネしたのだろうけど、やたらに
その言葉を使うからねえ。
 
 だけど、激おこプンプン丸って、元々は女子高校生の
間で使われていた言葉だったよね、たしか。
 
 それが、中学生のゆうきとりえも使っていて、その
影響で園児の春奈も使っている。
 
 言葉というものは世代を超えて広がっていくものだと
言えばそれまでなんだろうけど、園児までもがマネて、
それも面白半分で使うっていうのもなんだかなあ、と
思わなくもない。
 
 
 そんな春奈、今日で満5歳6か月。

 


607 八千矛の神 その12

2017年08月17日 02時32分25秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生607 ―八千矛の神 その12―
 
 
 ここで、前章の「大国主に秘められた製鉄の性格」の中で採り上げた天火明命と高皇産霊神
(タカミムスヒ神)の祭祀のつながりについて、今一度見てみたいと思います。
 
 京都府城陽市の、天火明命系の六人部氏(むとべ氏)が祭祀する水度神社(みと神社)と、
同じく天火明命系の水主氏な(みぬし氏、あるいは、もひとり氏とも)が祭祀する水主神社
(みずし神社)はともに夏至の日に、鴻巣山の山頂から昇る朝日を臨む地に鎮座しています。
 水度神社の祭神はすでにお話ししたように高皇産霊神と豊玉比売で、水主神社の祭神は
天火明命と天香語山命なのですが、『延喜式』に記された水主神社の祭神は天照御魂神(アマ
テルミタマの神)となっています。
 天火明命も太陽神と言われていますから、水主神社は太陽信仰の地であったことは間違い
ないように思われます。
 
 大和国十市郡に目を向けますと、こちらには、高皇産霊神と栲幡千々媛命(タクハタチヂヒメノ
ミコト)の父娘神を祭神とする目原坐高御魂神社と、天香山命を祭神とする竹田神社が鎮座
します。
 もっとも、竹田神社の祭神については、かつては天香山命の父神である天火明命であった
ともいわれ、しかも祭祀族はやはり天火明命系の竹田川辺氏です。
 
 実はこれと同じことが近畿から遠く離れた対馬にも見ることができるのです。
 対馬国下県郡には高御魂神社というタカミムスヒ(高御産霊)の名を冠した式内社があり、
天火明命を祀る阿麻氐留神社(あまてる神社)、それから豊玉比売が祭神と思われる和多都美
神社(所在地不明)が『延喜式』神名帳に見ることができます。
 ただし、阿麻氐留神社の祭神については、『先代旧辞本紀』に、「天日神命は対馬県主らの祖」と
あることから、この天日神命(アメノヒノカミノミコト)だとも言われています。
 ちなみに、天日神命とは天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(アマテルクニテルヒコアメノホアカリ
クシタマホノニニギノミコト)、すなわち天火明命が高天の原より地上に降りた時に従った三十二柱の
神々の一柱ですが、この神の名、そして社名のアマテルから、阿麻氐留神社は太陽神を祀って
いたとみられます。
 また、『日本書紀』顕宗天皇三年の記事にある、阿閉臣事代(あへのおみことしろ)に日神から、
 「磐余の田をわが祖、高皇産霊に献上せよ」
と、神託があったので磐余の田を十四町献上し、対馬下県直(つしまのしもつあがたのあたい)に
日神を祀らせた、という、日神はこの神であるとする説もあります。
 
 ただ、顕宗天皇三年の記事には見過ごしてはいけない2つのものがあります。
 1つ目は、日神が高皇産霊神の御子神、もしくはその子孫を称していること。2つ目には、対馬
下県直が祭祀していることからこの日神が対馬下県郡の神、おそらくは阿麻氐留神社の祭神で
あろうと思われるのですが、中央政権がこの神託を認め、大和の磐余(いわれ)の田を献上して
いることです。
 
 天火明命は、高皇産霊神の娘、栲幡千々媛命(タクハタチヂヒメノミコト)と天忍耳命との間に生まれ
た神なのですが、日神が高皇産霊神をわが祖と言うのは、日神と天火明命が同一化されたためなの
かもしれません。
 なおと、『大同類聚方』には、竹田連が対馬国下県郡の式内社の阿麻氐留神社)の宮人だと記されて
います。
 竹田連は、『新撰姓氏録』に、神魂命(カミムスヒノミコト)十三世の孫、八束脛命の子孫とあるので、
火明命五世の孫、建刀米命を始祖とする、大和国十市郡の竹田神社の竹田川辺連とは別系統に
なるのですが、竹田連も竹田川辺連もともに「たけだ薬」を扱うことが『大同類聚方』に記されている
のでつながりのある氏族どうしだったともかんがえられています。
 
 それはともかく、高皇産霊神、日神との組み合わせ、そしてそこに豊玉比売の祭祀がまるでセットの
ようになっているのが、大和、山城、そして対馬に見られるのです。
 この組み合わせに豊玉比売が加えられているのは、先にお話しした通り、この豊玉比売を天火明命系
氏族の斎く神とする説があるものの、やはり綿津見神の姫神である豊玉比売のことと思われるから、
阿曇氏や安曇犬養氏が関係していると考えるべきでしょう。
 
 しかし、この結びつきを考察する時に、外せないのが太氏の存在です。
 大和国十市郡において、竹田神社は太氏が祭祀する多神社の若宮であると伝えられ、目原坐高御
魂神社は多神社の外宮であると『多神宮注進状』にはあります。その目原坐高御魂神社は多神社の
祭祀氏族とされる島田臣は、『古事記』によれば神八井耳命の子孫で、太氏とは同族なのです。
 
 信濃の諏訪大社の祭祀にも太氏の同族が関係します。
 諏訪大社の下社の大祝は金刺氏ですが、金刺氏は太氏と同族なのです。
 一方、諏訪大社の上社の大祝は神氏(じん氏)です。神氏は『神氏系譜』によれば、建御名方富神
(タケミナカタ)直系の子孫なのですが、大神神社の祭祀氏族である三輪氏もまた神氏(みわ氏)とも
表記されることから、諏訪の神氏を三輪氏の同族とする説もあります。
 三輪氏は大物主の子孫であるオオタタネコを始祖とする氏族で、太氏もまた『古事記』によれば
大物主系の氏族です。三輪氏が祭祀する大神神社は言うまでもなく大物主を祭神とする神社です。
 
 そして、ここに諏訪大社が登場することにももちろん意味があります。

言い返せるということ

2017年08月14日 01時09分53秒 | 日記
2013年9月28日(金)(5歳5か月)
 
 
 みんたと春奈の寝室となっている和室はリビングの隣にある。
 
 寝床に就いたふたりだけど、僕がリビングにいると、ふたりの
話し声が聞こえてくる。
 
 僕が和室を戸を開けて、
 
 「いつまでもしゃべってないで早く寝えや」
 
と、声をかけると、春奈が言った。
 
 「お母さんとしゃべってたら止まらへん」
 
 人のせいにすんなよ。
 
 でも、お母さんもおしゃべり好きやなからなあ。
 
 その血を継いだか?
 
 ってか、今はそういう問題じゃない。早く寝ろ。
 
 でも、言い訳ができる、というのはそれだけ言葉が育っている
ということでもある。
 
 もし、あなたが外国の人から外国語で何か責められた時に、
その言葉で言い返すことができるだろうか?
 
 それができるのなら、それだけあなたがその言葉がたくさん
話せるということだ。
 
 日本語だって、語彙が少ない幼児には難しいことである。
 
 春奈ももう5歳だから、言い訳くらいはできるのだろうけど、
いつの間にかそれだけ言葉が育ったということでもある。
 
 おまけに「止まれへん」と自然に関西弁で返すあたり、自然に
言葉が育った証拠でもある。
 
 ちょっと極端な例になってしまうけど、勉強した言葉なら、こ
の場合の言い方も「私にとって話さないことはとても困難な
ことです」となってしまうからね。

606 八千矛の神 その11

2017年08月12日 01時55分26秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生606 ―八千矛の神 その11―
 
 
 さて、住吉大社の境内には摂社として大海神社が鎮座します。摂社とは言え、『延喜式』の
神名帳に記されている式内社です。
 大海神社は一般には「たいかい神社」と呼ばれていますが、正式な名称は「おおわたつみ
神社」だと言われており、祭神は豊玉彦命と豊玉姫命です。なお、この二神は父娘だとされて
います。
 『古事記』や『日本書紀』に登場する豊玉比売は綿津見神の娘なので、大海神社の豊玉姫は
別神とする説もあります。
 それと言うのも、住吉大社と大海神社の祭祀氏族が天火明命を祖とする津守氏で、祭祀
氏族が天火明命系であるなら豊玉比売とは無関係であるから、というのがその理由となります。
 
 しかし、京都府城陽市の水度神社(みと神社)では高御産霊神とともに少童豊玉姫命(ワダツミ
トヨタマヒメノミコト)を祀っていますが、祭祀氏族の六人部氏(むとべ氏)は天火明命系の氏族
なのです。
 なので、天火明命系の津守氏が祭祀族だからといって、大海神社の豊玉姫が綿津見神の娘
である豊玉比売とは別神という理由にはならないように思えます。
 むしろ、大海神社の祭祀氏族は阿曇氏(安曇氏)もしくは安曇犬養氏だったとする説もあるの
です。
 
 これまでに何度か紹介した、『日本三代実録』貞観六年八月八日の、
 
 「阿波国名方郡の人安曇部正六位上安曇部粟麻呂、部の字を去りて宿禰を賜う。自ら言う、
安曇百足の苗裔なり」
 
と、する記事には、名方郡の安曇部氏は安曇百足(あずみのももたり)の子孫を称していた
ことが記されています。
 この安曇百足は『播磨国風土記』揖保郡浦上の里の条に、
 
 「浦上と名づけられたのは、昔、安曇連百足らが、はじめ難波の浦上にいたものを、後に
この浦上に移って来た時に、元いた土地の名を付けたものである」
 
と、書かれており、これを信用するならば、阿曇氏の本宗である阿曇連が難波(なにわ)の地に
いたことになります。
 難波の浦上が現在のどの場所であるのかよくわかっていませんが、大阪市の東横堀川
沿いの旧地名に安曇江があり、それから、かつて難波に存在していたという安曇寺の所在地の
比定地のひとつが高麗橋です。
 東横堀川も高麗橋も大阪城の西側にあり、つまり、この周辺に阿曇氏がいたと推測される
わけです。
 
 もっとも、大和岩雄(『神社と古代民間祭祀』)などが指摘するように、『新撰姓氏録』には、
摂津に安曇連と安曇宿禰の名は見えず、代わりに安曇犬飼連が載っているので、難波に
いたのは阿曇氏ではなく安曇犬飼氏だった可能性もあります。
 安曇犬飼は、阿曇連ゆかりの穂高神社にも関係していた氏族で、このことは、中世の文献に
犬飼の名が見えるからなのですが、安曇犬養氏も阿曇氏と同じく綿津見系の氏族であり、
同族の関係にあるのです。
 このことから、大海神社の祭祀氏族は阿曇氏ではなく安曇犬養氏だったとする説がある
わけです。
 
 さて、上記の、京都府城陽市にある水度神社では、豊玉比売は少童(ワダツミ)豊玉姫命と
いう名になっていますが、「山城国風土記逸文」には、和多都弥豊玉比売命と表記されています。
 同じく上記の、阿波の安曇氏の拠点である阿波国名方郡には和多津美豊玉比売神社が
鎮座し、さらに『延喜式』神名帳には、対馬国上県郡と下県郡にそれぞれ和多都美神社が載せ
られ、ともに名神大社の号を与えられています。
 うち、下県郡の和多都美神社は、現在ではその所在地が不明となり、厳原八幡宮神社がこ
れに比定されているのですが、一方の、上県郡の和多都美神社では祭神として彦火々出見尊と
豊玉比売を祀っています。
 
 対馬より九州本土により近い、玄界灘に志賀島がありますが、この志賀島には式内社である
志賀海神社(しかうみ神社)が鎮座し、全国の綿津見神社、海神社の総本社を称しています。
 このことから、志賀島が阿曇氏の本拠だといわれているのですが、石川県には羽咋郡志賀町
安津見という地名が存在します。言うまでもなく、志賀町は志賀島に、安津見は阿曇に通じます。
 
 そして、その石川県羽咋郡志賀町安津見とは、石川県羽咋市の北に位置するのですが、
羽咋市は出雲系の神々を祀る神社が多くあります。
 たとえば、能登国一の宮気多大社(けた大社)はオオナムチによる大蛇退治の物語を伝えて
おり、周辺には大穴持像石神社(おおなもちかたいし神社)が鎮座します。
 また、スクナビコナを祀る宿那彦神像石神社(すくなひこのかみがたいし神社)があり、羽咋市の
隣の七尾市にはスサノオの妻クシナダヒメを祀る久志伊奈太伎比咩神社が鎮座します。
 これらのことから、阿曇氏ら海人氏族が出雲神話の神々の祭祀にも大きく関わっていることが
存在できるのです。

バースデイケーキ

2017年08月07日 00時14分15秒 | 日記
2013年9月25日(火)(5歳5か月)
 
 
 今日は僕の誕生日である。
 
 と、言っても普段と特に変わることもない日常である。
 
 毎週火曜日の、みんた主催のヒッポファミリーに家族と
参加して家に帰って晩ごはんを食べる。
 
 すると、春奈が訊いてきた。
 
 「お父さん誕生日やのにケーキないん?」
 
 いや、本人に訊いても知らんし。
 
 だって、こっちは用意してもらう方であって、自分で用意
するものじゃないと思うからね、バースデイケーキという
ものは。
 
 ただ、基本的にうちの家族の場合、みんたも、ゆうきと
りえも、自身の誕生日にバースデイケーキはいらないと
考えている主義だ。
 なんでか、と言うと、この3人は誕生日が夏であるため、
ケーキに載っているイチゴはおいしくない、と思っている
から。
 
 それがケーキはいらない、という理由なのだけど。
 
 面白いのは、家族の中4人が自分の誕生日にバース
デイケーキは不要、という主義なのに、春奈ひとりだけが、
誕生日と言えばケーキでしょ、と考えているところだ。
 
 それで、これの何が面白いのかと言うと・・・。
 
 誕生日にケーキというのは、たぶん、ヨーロッパが起源
だと思うけど、今では世界中に広がった風習である。
 
 このように、風習や文化、そして言葉は世界中に広がって
いくことが多々ある。
 バースデイケーキの他に何かひとつ例を挙げるなら、
信号機もそうだ。
 
 青が進めで赤が止まれ。
 
 だけど、青が進めで赤が止まれでなくてはいけない、と
いう決まりはないのに、その逆に赤が進めで青が止まれ
という信号機を使用している国はない。どこも青が進めで
赤が止まれ、なのである。
 
 言葉もこれと同じで、外来語の意味が本来の意味とは
少し違って取り入れられることはあっても、まったく違う
意味で伝わるということはない。
 
 しかし、これだって違う意味で取り込んではいけない、と
いうルールはないのである。
 
 なのに、そんな現象は起きない。本来の意味とほとんど
同じ意味の言葉として取り込まれる。
 
 考えてみれば実は不思議な現象なのである。
 
 なぜ違う意味で取り込まれないのか?
 
 それをみんなが不思議に思えないのは人間が当たり
前に「そのまんまの状態で取り込むことが自然にできる
から」なのだ。
 
 ちょうど春奈が、誕生日と言えばケーキ、というイメージを
自分の中に取り込んでいるように。
 
 言葉というものも、ごく自然に、無意識に取り込むことが
できるものなのである。