小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

春奈の替え歌

2013年04月30日 01時16分07秒 | 日記
2010年7月13日(火)(2歳3か月)


 春奈を風呂に入れようとしたら、また裸ん坊
のまま逃げ回る。

 最近はいつもこれだ。

 いや、素直に浴室に直行する時もあるけど、服
を脱ぐ前と脱いだ後の2回、入浴を拒否して逃亡
する。

 本気で風呂をいやがっている、と言うよりは遊
びのようなものだ。

 だけど、つき合わされる方がたまったもんじゃ
ない。

 「春奈ー!逃げんな!おしりペンペンするぞ!」

と、僕が言うと、

 「おしりベーンペーンぺーン♪」

と歌いながら逃げ回る。

 その歌のメロディが、いきものがかりの『じょい
ふる』のサビの部分だ。

 替え歌だと!?

 そんなことができるようになったのか!

 替え歌はまずメロディをしっかり押さえていない
といけない。

 多言語も一緒で、中国語なら中国語の、フランス
語ならフランス語の、言葉のらしさ、節のようなも
のを押さえることは大事である。

 そこから始まり、次に自分自身の言葉をその言葉
のメロディに乗せる。

 日本人の英語がヘタクソと言われる理由は、英語
を喋っていても英語のメロディではないからだ。

 いや、今はそんなことは置いておいて・・・。

 春奈!早く風呂に入るぞ!


はじめ人間ギャートルズ

2013年04月29日 01時00分46秒 | 日記
2010年7月12日(月)(2歳3か月)


 浴室の中で春奈が足をすべらせて、転んだはずみ
に頭を湯船にぶつけた。

 もっとも湯船の外側はペコンペコンで頭をぶつけ
たところで痛くはないから、僕も何の心配もせずに、

 「頭ゴンしたな」

と、声をかけた。

 すると、春奈が、

 「はじめ人間ゴゴンゴーン♪」

と、『はじめ人間ギャートルズ』のオープニングを
歌い始めた。

 2008年生まれの春奈がどうして、『はじめ人間
ギャートルズ』のオープニングを知っているのかと
言うと、YOU TUBEでこれを見つけ、何度も
それを再生させていたからだ。
 
 よっぽど気に入ったらしい。

 ただ、それを今歌ったのは、「頭ゴンしたな」と
いう音からだということは間違いないだろうけど、
もしかすると、春奈は僕の言ったことを本気で、『は
じめ人間ギャートルズ』の話をしている、と受け止め
たのもしれない。

 と、言うのも、僕たち大人も、他の国の言葉で何か
言われた時に、まったく違う意味でとらえてしまう
ことがあるからだ。
 それでもって、
 
 「なんで今そんな話をしてんだ???」

と、思ったりする。

 春奈のような幼児も、それと同じことをしているの
かもしれない。

130 諏訪と龍田と風神と

2013年04月29日 00時55分07秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生130 ―諏訪と龍田と風神と―


 皇祖神である天照大御神とそれに仕える大物忌との関係、天照大御神
と大国主の関係、それに加えて、天皇の元で竈神とそれに仕える戸座の
関係。

 ここにも三所による天下安定の図式が描かれていたのです。

 一方、伊勢・出雲・石上の三神宮は、天照大御神・大国主・建御雷の、
国譲り神話に関わる神々を祀る、という関係性でした。
 伊勢神宮は天照大御神と大物忌(おおものいみ)との間に「天沢履」
の関係を作り、また大国主との間に「地天泰」の関係を作っていました。
また、天孫である天皇は、内裏において、竈神と戸座(へざ)との間に
「地山謙」の関係を作っていたのです。

 この2例の三所をつなぐものは、安曇氏に代表される海人系の氏族で
した。
 安曇氏はワタツミ系の神を斎く氏族でしたが、タケミナカタとも関係
を持っていました。

 しかしながら、『古事記』においては、タケミナカタが国譲りの場面
で重要な役割をはたしたり(『日本書紀』には登場しない)、不自然な
形で大国主の子とされていたり(『古事記』の国譲りの場面で大国主が
「わが子」と言っていながら、大国主の系譜の中にタケミナカタを含め
ていない)するのはどういう理由なのでしょうか。

 それは、タケミナカタが風神の性格を持つ神だったからだと考えられ
ます。
 『古事記』ではタケミナカタが風神であるとは何らふれられていませ
んが、古くから諏訪大社は風の神として信仰されてきたのです。
 『日本書紀』の持統天皇五年(691年)八月の記事には、

 「使者を遣わして、龍田風神、信濃の須波(すわ)、水内等の神を祭ら
しむ」

とありますが、龍田風神が奈良県生駒郡三郷町の龍田大社と考えて間違い
ないとして、須波は『延喜式』に見える諏訪郡の南方刀美神社、水内は健
御名方富命神別神社に比定されています。

 龍田大社が風神を祀ることは、『日本書紀』の天武天皇四年(675年)
四月の記事に、

 「小紫美濃王、小錦下佐伯連広足を遣わして風神を竜田の立野に祠らし
む」

と、あることからも明白ですが、この記事は同時に、天武四年に龍田大社
が創建されたことを物語っています。
 古い時代から民間で信仰されていたものではなく、新しく祀られたもの
だったわけです。

 では、なぜ新しく風神を祀ることになったのか、これについては、当の
龍田大社の龍田風神祭の祝詞にある通りと見てよいでしょう。
 この祝詞の中で、作物の実らぬ年が続いたこと、そのことで皇御孫の命
(天皇)の夢の中に神が現れて、
 「天の下の民の作る物を、悪しき風、荒き水に相わせつつ、成したまわ
ず損なえるのは吾。吾の御名は、天御柱命(アメノミハシラノミコト)、
国御柱命(クニノミハシラノミコト)。
 吾が前に奉る御幣は、御服は明妙・照妙・和妙・荒妙、五色の物、楯・
戈・御馬に御鞍を具えて、品々の御幣備えて、吾が宮は朝日の日向う処、
夕日の日翳る処の、龍田の立野の小野に、吾が宮は定めまつりて、吾が前
を称辞まつらば、天の下の民の作る物は実らせよう」
と、告げた、とあります。
 農作物の不作が続いた後に、天皇の夢の中に龍田大社の祭神が現れて、
不作の原因は吾の祟りであり吾を祀ってくれたならば祟りは収まる、と
告げたため、ということです。

 しかし、風神を祀る地として竜田の立野が選ばれたのはどういう理由か
らなのでしょうか。

 天武天皇は『日本書紀』に、「天文・遁甲に能し」と記され、易につい
ても詳しい人物であったとされています。

 それならば易で読み解けば、なぜ竜田なのかの理由も見えてきます。
天武天皇の飛鳥浄御原の宮が置かれた飛鳥の地からみて竜田立野は西北の
地に位置します。つまり戌亥の方角です。反対に龍田の立野から見て飛鳥
は辰巳の方角になります。
 わかりやくイメージするには時計を思い浮かべていただければよいかと
思います。
 戌亥の方角とは時計の10と11の文字盤にあたる方角です。
 一方の辰巳の方角とは4と5の文字盤にあたる方角になるので、戌亥と
辰巳はちょうど対面の位置になるわけです。
 戌亥の方角は、先天易では「艮」ですが、後天易では「乾」となり、陰
陽五行では「金」です。
辰巳の方角は、先天易では「沢」ですが、後天易では「巽」となり、陰陽
五行では「木」になります。
そもそも風神は中国の風伯(風を司る神)を取り入れたものとされていま
すが、古代中国では風伯を丙戌(ひのえいぬ)の日に西北に祀ったといい
ます。陰陽五行では干支の丙戌は「火」になります。
 すると、それぞれ「金」、「木」、「火」になるわけですが、易の相剋
(ある元素が別の元素を打ち消していく様)は、「火剋金」、「金剋木」で
、金・木・火からなる相剋の理は、「火は金に勝ち、木となす相」になりま
す。

 飛鳥(金)から見て西北の竜田の立野(木)に風神が祀られたのも、「金
剋木」で、風神を鎮めるためだったと考えられるのです。


・・・つづく

汚い言葉も大切な言葉

2013年04月28日 01時51分12秒 | 日記
2010年7月11日(日)(2歳3か月)


 そろそろ風呂の時間だな、と思って、

 「春奈風呂入ろか」

と、声をかけると、

 「いやだね」

と、言ってスタコラ逃げて行った。

 何を反抗的な態度とってんねん、と
追いかけてつかまえた。

 しかし、今の言い方はゆうきソックリ
だった。

 いらんことほどお姉ちゃんのマネをして
いく。

 言葉を獲得することとは、人が使ってい
る言い方や言い回しをまねることでもある
のだけど、余計なものはマネしなくていい
んだよ。

 ただ、取捨選択といったことは赤ん坊や
幼児には無縁のものでもあるのだけどね。

 きれいな言葉も汚い言葉も全部取り込ん
でしまうのが赤ん坊や幼児であって、「こ
の言葉はよくないものだから取り入れない」
なんて選択はしない。
 いや、できないと言った方が正確かもし
れんけど。

 でも、前にヒッポの仲間が言っていたこ
となのだけど、

 「汚い言葉は取り込まないできれいな言葉
だけを取り込んじゃうと、道で寝てる犬に対
しても『そこをどいてください』って言っちゃ
うようになってしまうよ」

 たしかにその通りだな。

 汚い言葉も、大切な言葉ってところかな。

言葉の変化も使い分けてるね

2013年04月27日 00時14分13秒 | 日記
2010年7月10日(土)(2歳3か月)


 風呂で洗髪した後、髪をすすぐ時に、いつも春奈は
半泣きになっていた。

 顔が濡れることを極端に嫌がるからだ。

 でも最近は泣かないようになった。成長したな。

 ただ、いつも、「がんばったな」と褒めてやりはする。
春奈の方からもまた、

 「がんばったな」

と、僕に同意を求めてくる。

 さて、今日、一緒に入浴したりえが自分の頭をすすい
でいると、横から春奈が、

 「がんばれー」

と、声援を送っていた。

 いや、それお前やろ。お前ががんばれ。りえ姉ちゃんは
髪をすすぐの平気なんやし。

 でも、今の春奈の言葉、相手に言う時の言い方を知って
いる。

 先日は「みんながんばってる」と、客観的な言い方もし
ていた。

 「がんばった」
 「がんばれ」
 「がんばってる」

 言葉の変化を少しずつ覚えてきているようだ。

 言葉の成長の方は結構なスピードで育っているなあ。