小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

やってもうたなあ

2014年05月31日 01時02分58秒 | 日記
2011年7月23日(土)(3歳3か月)


 春奈が自分のバッグから絵本を取り出して、

 「郵便です」

と、言って僕に渡すので、受け取ると、こう言った。

 「ハンコおして次に回してください

 それ回覧板やん。いろいろ観察してるねえ。



2011年7月24日(日)(3歳3か月)


 みんたがボルシチを作った。

 ゆうきがこの夏にロシアへホームステイに行くから、その準備の一環
として、ロシア料理を作ろうということになったらしい。

 それで、ご近所さんにもボルシチを配ったというはなしになり、りえが、

 「お母さん、おばちゃんみたいやな」

と、言うと、ゆうきが、冷めた口調で、

 「おばちゃんみたい、って、おばちゃんやん。もう××歳なんやから」

 「うっわ~言うてもうたー。それ言ったらアカンやろー」

 ふたりのやり取りをケラケラ笑いながら聞いていた春奈が僕の方を振り
返って、

 「ゆうき、やってもうたなあ」

と、言った。

 やってもうたなあ、って・・・3歳児が言うと何か変な感じがする。

 それにしても、「やっちゃった」系の言葉を覚えていたとは思わなんだ。

 春奈もホントにいろんな言葉を吸収しているな。

ホームシックは心配無用ってか?

2014年05月30日 00時25分02秒 | 日記
2011年7月22日(金)(3歳3か月)


 いきなり春奈が、

 「おじいちゃんとこにホームステイした」

と、言いだした。

 それ去年の話やん。

 ゆうきとりえと春奈の3人で僕の実家にお泊まりしたことを
指して言っている。

 どうやら、その経験があるから、今度の韓国ホームステイも
大丈夫と言いたいようだ。

 初めての海外ホームステイと言ってもママが一緒だから、何も
心配しなくていいと思うけど・・・お姉ちゃんが国際交流に行く
にあたって、ヒッポのファミリーのみんなから、ホームシックに
ならないか、だとか、ホストとどう関わったらいいと思う?など
と言われたりしているのを見て、春奈なりにいろいろ考えている
ようだ。

 ヒッポファミリークラブの国際ホームステイは、こんな風に
ヒッポの仲間と一緒に準備して行くので、それが良いところでも
あるのだけど。

 しかし、春奈も、お姉ちゃんが言われていることを自分に置き
換えているのだろう。

 ただし、置き換えることのできる環境がある、とも言える。

 これも環境の「豊かさ」ってやつだね。

これも自然に覚えたことなのか?

2014年05月29日 00時01分45秒 | 日記
2011年7月20日(水)(3歳3か月)


 晩ごはんを食べていると、春奈がコンビニの、ビニールの
空袋を僕に手渡して、

 「明日ゴミの日やから」

と、言った。

 いや、たしかに木曜日はゴミの日やけど・・・その袋はちが
うよ。

 一種のママゴトか?

 それから、ゴミ出しはお父さんの役目だと思ってるのか?

 別に、一家の大黒柱がそんなことできるか!などとはさすが
に思ってはいないけど、こんなことを幼い娘から言われると
なあ・・・何か複雑だ。

 ママゴトと言うより、みんたが、「明日はゴミの日」とか
言っているのを自然に覚えてマネッコしてるのか?

200 上毛野君と大物主

2014年05月28日 23時58分23秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生200 ―上毛野君と大物主―


 上毛野君は、三輪山の大物主と結びつきます。
 もっとも、大物主を出雲系の神と言ってよいのか、という問題はありますが。

 大物主は三輪君が祭祀を司り、また太氏も大物主の祭祀に関係しているとみら
れるので、明らかに大和の神でありながら、『日本書紀』には大国主の和魂と
書かれ、また出雲国造の神賀詞にも大国主の分身とされています。


 それで、上毛野君と大物主の関わりですが。
 上毛野君の始祖は崇神天皇の皇子豊木入日子命(トヨキイリヒコノミコト)
なのですが、『日本書紀』によると、崇神天皇は、この豊城命(トヨキノミコ
ト=豊木入日子命)と活目命(メノミコト)のどちらかを次の天皇にしたいと
考えていました。
 そこで、ふたりの皇子が身を清め祈祷をしてから眠りについて見た夢の内容
から次の天皇をどちらにするかを決定することにしました。
 兄のトヨキノミコトは、
 「御諸山(三輪山)に登り、東を向いて8度弄槍(ほこあげ)し、8度激刀
(たちかき)する夢を見ました」

と、言い、弟のイクメノミコトは、

 「御諸山に登り、四方に縄を張り、粟を食べる雀を追い払う夢を見ました」

と、言います。これを聞いて崇神天皇は、

 「兄は東国を治めよ。弟は次の天皇になれ」

と、告げます。

 御諸山は三輪山のことですから、大物主が次期天皇を決め、ふたりにそれぞれ
の夢を見せたわけなのです。

 また、『日本書紀』の舒明天皇9年の項にある、上毛野君形名の話も大物主
に関連するという志田諄一(『古代氏族の性格と伝承』)の考察もあります。

 上毛野君形名の話とは、蝦夷討伐のために将軍として派遣された上毛野君形名
が、逆に敗れて砦に逃げ込んだ時に、形名の妻が女たちに弓の弦を鳴らさせたと
いうものです。

 蝦夷たちに砦を取り囲まれ、兵士たちもことごとく逃げてしまい、万策尽きた
形名が夜陰にまぎれて逃げようとした時に、妻が、
 「あなたのご先祖たちは、海原を渡り、万里を踏み越え武勇を後世に伝えて
まいりました。今あなたがそのご先祖の功績を貶めるようなまねをすれば、
きっと後の余の人たちから笑いものになるでしょう」
と、説き、酒を酌んで夫にそれを飲むよう強要すると、夫の剣を佩き、10の
弓を用意して、女たちに弦を鳴らさせた。
 それから形名が杖を手にして討ってでると、蝦夷たちはまだ兵士たちがいた
のだと思い、退却した。
 形名は四散した兵士たちを呼び集めると、再び蝦夷たちと戦いついに勝利した。

と、いう内容の記事ですが、『日本書紀』には、もうひとつ、これと似た話を載せ
ています。

 吉備臣尾代(おしろ)が500人の蝦夷を率いて行軍中に、雄略天皇が崩御し
ます。
 天皇崩御を知った蝦夷たちが軍を抜け出し周辺の郡を略奪して回ったので、尾代
はこの蝦夷たちを成敗するのですが、この時に、尾代が弓弦を鳴らしてから攻撃す
る場面が登場するのです。

 志田諄一は、『日本書紀』では大物主の妻となる夜麻登登母母曽毘売命(ヤマト
トモモソビメノミコト)と、『古事記』では吉備上つ道氏の始祖となっている大吉
備津日子命が、7代孝霊天皇と意富玖夜麻登邇阿礼比売命(オオヤマトクニアレヒ
メノミコト)との間に生まれた姉弟であることと、上毛野氏の始祖の夢占いが大物主
によって下されたことから、蝦夷討伐の際に弓の弦を鳴らす儀礼が大物主の霊力に
関係したものと考えるのです。

 たしかに、大物主や三輪山は、蝦夷の討伐や服従に関係した伝承を持っています
が、これについてはまた別の機会に。

 ただ、トヨキノミコトと大物主の関連は以上のように見て取ることができるわけ
なのですが、上毛野には大国主の信仰も残されているのです。

ひとり、ふたり、やろ

2014年05月28日 00時00分23秒 | 日記
2011年7月19日(火)(3歳3か月)


 この夏、ゆうきとりえは、ヒッポファミリークラブの
海外ホームステイプログラムで、ゆうきはロシアへ、
りえは台湾へホームステイに行く。

 ふたりがホームステイに出かけてしまうと、わが家は、
僕とみんたと春奈の3人家族かあ、と思っていたら、想像
もしてみなかった事態になった。

 なんと、みんたも春奈を連れて韓国にホームステイに
行くことになった。

 そんな訳で春奈もパスポートを取得した。

 「しかし春奈は3歳にしてパスポートを所有か。生意気な」

と、思わず呟いてしまった。

 僕がパスポートのことを口にしたものだから、春奈が
パスポートを受理した時のことを話し始めた。

 「(職員さんが)3ビキおってんな。男の人が2ヒキで
女の人が1ピキ」

 匹って言うな。匹って。

 だけど、「1ぴき2ひき3ぴき」の言い方は完璧に言えて
いる。

 この点だけはちょっと感心した。

 春奈も最近は以前のように動物の数え方を「1コ2コ」と
言わなくなったかわりに、人間のことまで「匹」と数えるよ
うになってしまった。