小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

⑫天語歌と万葉歌

2012年09月30日 20時59分50秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生⑫ ―天語歌と万葉歌―


 忌部氏は阿波の他にも、伊勢にも出雲にもいました。

 京都府宮津市にある籠神社(この神社、こもり神社とも)は、「元伊勢」と
呼ばれ、祭神がヒコホアカリノミコト(彦火明命)とされていますが、本来の主
祭神については諸説ありよくわかっていないものの、残されている社伝によれば、
この神社の祀部は海部氏であったあります。

 『先代旧辞本紀』では、ホアカリの子がアメノカゴヤマノミコト(天香語山命)
で、その子がアメノムラクモノミコト(天村雲命)とあり、その子孫が尾張氏に
なっていますが、

 阿波の忌部氏の拠点であった阿波国麻植郡には、式内社として、アメノヒワシノ
ミコト(天日鷲命)を祀る忌部神社(現・吉野川市山川町)と、アメノムラクモ
とイジハヤヒメノミコト(伊自波夜比売)を祀る天村雲伊自波夜比売神社(同じ
く吉野川市山川町)があります。(注:徳島県には忌部神社がいくつか存在し、
式内社忌部神社がどれに該当するかについても諸説あります)


 折口信夫も土橋寛もともにハセツカイを杖部(はせつかべ。丈部とも)と呼ば
れる部民とする解釈を示していますが、井上辰夫もまた、ハセツカイを後の杖部
のこととし、出雲には、神門郡滑狭郷、出雲郡の建部郷、出雲郷、漆沼郷に丈部
がおり、とくに漆沼郷には丈部臣忍麻呂、丈部臣金麻呂と、臣姓をもった、杖部
(丈部)を統括した者と思われる名前がみえることから、八千矛の神の天語歌に
出雲も関わっていたとしています。

 その上で、『新撰姓氏録』に天語連と阿波(現在の徳島県)の忌部氏がともに
アメノヒワシノミコト(天日鷲命)の子孫とあることから、この阿波の忌部氏の
影響の可能性を指摘しています。
 また、伊勢の渡会氏もアメノヒワケノミコト(天日別命)を先祖に戴いていて、
アメノヒワシとアメノヒワケは同じ神だといわれています。

 そうすると、八千矛の神の伝承には、阿波忌部氏、伊勢渡会氏、丹後海部氏が
関係していることになります。それに、尾張氏も関係している可能性すらあるわ
けです。

 阿波忌部氏は大嘗祭の時に供物を献上する役を担っており、スセリビメが最後
に酒を献じる場面に共通する性質を持っているのです。
 酒を献じるという行為は、服属儀礼であり、皇族への饗宴の儀礼でもあるのです。


 『万葉集』巻16-3807に、葛城王が陸奥に遣わされた時に、国司のもてなしが
不十分で王は不機嫌になったところを、以前に采女をしていた女性が、左手に杯
を持ち右手に水を持って、

 安積山 影さえ見ゆる 山の井の 浅き心を わが思わなくに

と、詠んだので、王も機嫌を直し、酒を楽しんだ、とあります。
 天語の、伊勢国の三重の采女が酒を献上する場面で語られていることもこれに
関係していることなのでしょう。

 ところで、『万葉集』の巻16の采女の歌ですが、これにも杖部が関わっていたと
したらどうでしょう?
 『続日本紀』の神護景雲3年の記事に、

 陸奥国白河郷の人外正七位上丈部子老、賀美郡の人丈部国益、標葉郡正六位上
丈部賀例努等十人に阿倍陸奥臣の姓を賜うのと、安積郡の人外従七位下丈部直継
足には阿倍安積臣、信夫郡の人外正六位上丈部大庭等には阿倍信夫臣、柴田郡の
人外正六位上丈部嶋足には阿倍柴田臣、会津郡の人外正八位下丈部庭虫等二人に
は阿倍会津臣、磐城郡の人外正六位上丈部山際には於保磐城臣の姓を賜う

と、あり、陸奥国に丈部がおり、その中の安積郡にも丈部の直継足という人物が
いたことがわかります。


 しかし、身分の低い丈部が唱和していたと考えられる天語歌が『古事記』に取
り上げられたのはどうしてなのかとなると、大嘗祭で寿ぎや服属儀礼の由来譚を
宮廷で語る語部が伝えたものと、考えるのが自然で、天語歌に采女が関係してい
ることも併せ考えたなら、ここに物部氏の存在も無視するわけにはいきません。

 『古事記』の神武記には、ニギハヤヒの子ウマシマジノミコトを、「物部連、
穂積臣、婇臣の祖なり」と、記していますが、だとすれば采女を統括する婇臣
と物部氏は同族ということになるわけです。


・・・つづく

今日は少しお上品に

2012年09月30日 20時52分21秒 | 日記
 あちゃ~、である。

 ブログをアップしていく順番を間違えました。
 2009年の10月27日の分の次が11月に飛んでました。
 修正しないと。

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2009年10月28日(水)


 さて、今日も春奈を風呂に入れましょうか。

 「春奈、風呂入ろうか」

と、声をかけると、

 「はい」

 どないしたん?ずいぶん礼儀正しいやん。

 春奈を湯船に入れ、

 「肩までお湯につかろか」

と、言うと、

 「はい」

 まただ。なぜ急にお上品に?と、不思議に思ったけ
ど、よくよく考えりゃあ、不思議でも何でもない。

 春奈にとっては、大人の使う言葉だとか子どもの使う
言葉だとか、あと、敬語もタメ口も、男言葉も女言葉も
ない。

 あるのは人間の言葉だけなのだから。

 こんな時にこの言葉を使うんだ、と思ったものは何でも
口にするだけ。

 幼児が喋る言葉を「それ変」とか思うのは大人の無意味
な観念なんだろうな。

声をかけてくれるのはいいけど

2012年09月29日 01時54分17秒 | 日記
2009年11月9日(月)(1歳7か月) 


 家に帰ってくつろいでいると、春奈が、

 「パパ、あんなあ」

と、僕に話しかけてきた。

 おう、呼びかけができるようになったのか、と感心しつつ、
一体何を言おうとしてるのかな?と待ってみると、そのま
ま向こうに行ってしまった。

 呼びかけだけかいっ!

 声をかけてくれるのはいいけど、そのまま放置かい。

 いや、待てよ。今のは本当に呼びかけ?

 それとも「あんなあ」という音をゲットしたから言っ
てみただけ?

 どっちかはよくわからないけど、でも、どちらにしても
呼びかけの言葉をゲットしたことには違いはないやん。

 これまで挨拶の言葉はどんどんとゲットして口に出して
きた春奈だけど、呼びかけの言葉もゲットして口に出すよ
うになってきた、というわけかな?

⑪八千矛の神の天語歌

2012年09月29日 01時48分06秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生⑪ ―八千矛の神の天語歌―


 物部氏と娞氏の名前が出たところで、八千矛の神のお話をしましょう。

 記紀では、大国主の別名のひとつに、八千矛の神の名前を挙げています。


 オオクニヌシ=オオナムチと言えば恋多き神様なのですが、『出雲国風土記』に
もそれらのエピソードが語れております。

 嶋根郡美保の郷に、天の下造りしし大神が、高志の国に坐す神オキツクシイノミ
コト(意支都久辰為命)の御子ヘツクシイノミコト(俾都久辰為命)の御子ヌナガ
ワヒメノミコト(奴名宜波比売命)を妻問いして生まれたミホススミノミコト(御
穂須須美命)が坐すので美保という、という記事があります。

 出雲郡の宇賀の郷には、天の下造らしし大神の命がカミムスビの神の御子アヤト
ヒエノミコト(綾門日女命)を妻問した時、女神はそれを受けずに隠れてしまった
ので、大神が伺い求婚したのがこの地である、ゆえに宇賀という、という伝承を載
せています。

 神門郡の朝山の郷では、カミムスビの御子マタマツクタマノムラヒメノミコト
(真玉著玉之邑日女命)を天の下造らしし大神オオナモチノミコト(大穴持命)が
毎朝妻問したので朝山という、という伝承を載せています。


 この中で、ヌナガワヒメへの妻問のエピソードが『古事記』にも載っているので
すが、歌物語として記されています。

 高志のヌナガワヒメのところに求婚に来た八千矛の神は次のような歌を贈ります。

 八千矛神さまは、八島の国の中では(ふさわしい妻を手に入れることができず、
遠い遠い越の国に、賢い、美しい乙女がいるとお聞きになって、さっそうと求婚に
お出かけになり、太刀の緒もまだ解かず、襲もまだ脱がないでいると、その乙女の
寝ている部屋の板戸を、押したり引っぱったりして立っていらっしゃると、木の
茂った山ではもう鵺鳥がないてしまった。(さ野つ鳥)、雉も鳴き立てており、
(庭つ鳥)鶏も鳴いている。(せっかくたどりついたというのに)腹だたしくも鳴
く鳥どもめ。この鳥どもを、ぶったたいて(鳴くのを)止めさせてくれ。(いした
ふや)海人駈使が、事の語り言として、このことを申し上げまする。

 これに対して、ヌナガワヒメは次のような歌を返します。

 八千矛の神さまよ。私は(なよなよとした草のような)女の身でございますから、
私の心は浦渚の鳥のように、殿方を求めております。(でございますから)ただ今
はわがままを申しましょうとも、後はあなた様のお心に従いましょうほどに、恋い
死になぞなさりますな。青山に日が隠れて、夜になりましたら、出ていらっしゃい
ませ。その時は(朝日のように)にこにこと笑みこぼれておいでになって、私の
(栲綱のような)白い腕を、(沫雪のような)若々しい胸を、しっかりと抱擁して
手を貫き、玉のようなお手を巻きつけ、股を長々と伸ばしてお寝みになってよろ
しゅうございますから、今はむやみに恋いこがれなさいますな。八千矛の神さまよ。

さあ、このことを知った正妻のスセリビメの嫉妬と言ったらすさまじく、八千矛の
神は大和に逃げようとします。馬にまたがろうとしたところで、八千矛の神はスセ
リビメに向かって次のように歌います。

 (ぬばたまの)黒いお召し物を取りそろえて身につけ、(沖の鳥が胸を見るよう
に)着付けをながめてみると、袖の上げ下ろしも、これは似合わない。そこで(岸
に寄せた波が後ろに引くように)後ろにさっと脱ぎ捨てる。次に(カワセミのよう
に)青い色のお召し物を取りそろえて身につけ、(沖の鳥が胸を見るように)着付
けをながめてみると、袖の上げ下ろしも、やはり似合わない。そこでこの着物も後
ろへさっと脱ぎ捨てる。さて次には山の畑に種を撒いて栽培した藍蓼を臼で春き、
その染め草の汁で染めた衣を、よくよく取り装うて、(沖の鳥が胸を見るように)
着付けをながめてみると、袖の上げ下ろしも、これこそよく似合う。いとしいわが
妻よ。
(群鳥のように)あたしがおおぜいの家来といっしょに行ってしまったら、(誘わ
れてゆく鳥のように)私が誘われて行ってしまったら、あなたは泣いたりなんかし
ないと強がりを言っても、山本の一本薄のように、しょんぼりとうなだれて泣くこ
とでしょう。そして嘆きの息は、朝雨が霧となる時のように、深い霧となって立つ
ことでしょうよ。(若草の)いとしい妻よ。事の語り事として、このことを申し上
げまする。

 それに対してスセリビメは次の歌を返します。

 八千矛の神さまよ。わが国の主よ、あなたは男でいらっしゃいますから、漕ぎ廻
る島の岬々に、漕ぎ廻る磯の岬のどこかにでも、(若草のような)妻を置いてい
らっしゃるでしょうけど、私は女でございますから、あなたのほかには夫はありま
せん。あたな以外には男はございません。綾の帷帳のふくよかな下で、絹の夜具の
柔らかな下で、栲の夜具がさやさやと音をたてる下で、私の(沫雪のような)柔ら
かい胸を、私の(栲綱のような)白い腕を、しっかり抱きしめて手をさし貫き、玉
のようなお手を巻きつけて、股長にゆっくりとお寝みになさいませ。(どうぞ機嫌
を直して)この美酒をお召し上がりくださいませ。


 最後のスセリビメの歌ですが、最初の部分は「八千矛の神の命や 吾が大国主」
なのですが、土橋寛は、これを「八千矛の神さまよ。わが国の主よ」と、現代語に
訳しています。
 これについて、土橋寛は語釈で次のように書いています。

 「大国主」は、固有名詞の大国主命ではなく、普通名詞で、「大」は美称、「国
主」は国のあるじの意。(中略)「吾が大国主」は、私の仕える国の主よ、という
ほどの意。須勢理毘売は八千矛神を、夫というより以上に、主君という関係において
呼んでいるのである。


 と、すれば、この歌の本質は、王をたたえる歌が本来の姿だったということにな
ります。
 たしかに、この一連の歌物語は、そのようなものが『古事記』のオオクニヌシの
物語に組み込まれたものと、多くの研究者たちに解釈されています。

 問題点となるのは、最初の八千矛の神の歌にある「海人駈使が、事の語り言とし
て、このことを申し上げまする」という一文。
 そもそもこの歌は、最初八千矛の神を第三人称で客観的に叙述しながら、途中か
ら第一人称で語られる、という構成になっています。そうして最後に海人駈使(あ
まのはせつかい)がこの歌物語を語っております、というスタイルなっているわけ
です。

 3番目の歌も、やはり最後に、事の語り事として、このことを申し上げまする」
で締めくくられていて、第三者が語っているスタイルです。


 折口信夫は、海人駈使を、海部駈使丁(駈使丁は、官内の雑務に駆使される者の
こと)のことだとして、神祇官の配下の駈使丁として召された海部の民とします。
 海部駈使丁や卜部が行った壽(ことほ)ぎの護詞や占い、お祓いなどが次第に物
語化して「天語歌(あまがたりうた)」である、とする考えを唱えています。
 折口信夫は、海人を朝鮮半島などからやって来た渡来人だと考えており、日本に
定住の地を得ることができた後に、その海人部の上流子弟で神祇官に召されたもの
が海部駈使丁だとしています。

 土橋寛は、海人駈使を、「伊勢の小氏族天語連に隷属する海部で、宮廷に駈使丁
として貢進され、斎部氏(忌部氏)の配下に属して物語・歌謡の伝承・述作に任じ
たものと思われる」とし、八千矛の神の物語を作ったのもこの海人駈使とする説を
述べています。

 このように海人駈使についてはよくわからない部分が多いのですが、八千矛の神
の神語が、天語(あまがたり)と大いに関係しているとするのは大方の一致した考
えと言ってもよいでしょう。
 天語とは、『古事記』の雄略記に登場するエピソードのことで、伊勢国の三重の
采女が雄略天皇に大盃を捧げ奉った時に、その大盃に百枝槻の葉が落ちたことに気
付かないまま采女が差し出したため、天皇が激怒し、采女の首に刀を当て、今まさ
に切ろうとしたところ、采女が、

 「どうかお殺しになられますな。申し上げたいことがございます」
と、言って、それから、


 巻向の日代の宮は、朝日の照り輝く宮、夕日の光輝く宮でございます。竹の根が
いっぱい足り満ちている宮、木の根が一面に這いまわっているいる宮、多量の土を
築き固めた宮(真木栄く)檜の木の御殿でございます。その新嘗を召し上がる御殿
に生えている枝葉の茂った槻の木の枝は、上の枝は天を覆い、中の枝は東の国を覆
い、下の枝は田舎の国を覆うております。その上枝の先の葉は、中枝に落ち触れ、
中枝の先の葉は、下枝に落ち触れ、下枝の先の葉は、(蚕衣の)三重の乙女が捧げ
ていらっしゃるめでたい酒杯に、浮いた脂のように、落ち浸り、水をこおろこおろ
に(かき鳴らしてできた国土のように浮かんでおります)。これこそ、まことにめ
でたいことにございます。輝く日の御子さまよ。事の語り言として、このことを申
し上げます。

と、歌ったので、天皇はその罪を赦した、というものです。

 この歌の最後の部分は、八千矛の神が妻のスセリビメに歌った歌と同じです。
 元々この歌は内容から考えて『古事記』に書かれたエピソードと違い、天皇に捧
げる寿ぎの歌として存在していたものと思われるのですが、ここでは歌った采女が
伊勢国の三重の女性である、ということが重要になります。

・・・つづき

電話ごっこも進化中

2012年09月28日 01時55分44秒 | 日記
2009年11月1日(日)(1歳7か月)


 また春奈が僕の携帯を勝手に取って電話ごっこを始めた。

 携帯を耳に当てて、

 「パパ?うん、うん、わかった」

と、言っている。

 傍目にはまさに電話しているみたいに見えるけど、「わかった」と
言ったのは今回が初めてだ。

 これまでは、何やら話しているみたいで、実は喃語だった。傍で
聞いている分には意味のない言葉だった。いや、音声と言った方がいいか。

 ところで、「わかった」というのは、みんたのマネっこだ。

 よくみんたが僕と電話している時に、「わかった」と、言うけども、
春奈が口にした「わかった」は、みんたの「わかった」と音の波が一緒
だった。

 やっぱりマネッコをしてるんやね。

 それに、マネができる、ということは、それだけ周囲の人の話している
言葉をよく聞いているということでもあるよな。