大国主の誕生435 ―天照大神高座神社の謎③―
岩戸神社という社名は天の岩屋戸伝承を想像させます。
『古事記』は、天照大御神が天の岩屋戸に籠った時に、どうにかして天照大御神を
天の岩屋戸から出せないものか講じる神々の中に玉祖命(タマノヤノミコト)を登場
させています。
天照大神高座神社は高安山の中腹に鎮座しますが、高安山の麓には玉祖神社が
鎮座します。
玉祖神社の祭神は天明玉命ですが、この神は玉祖命の別名であるとされています。
そして、天照大神高座神社や玉祖神社と同じく大阪府八尾市にある恩地神社は
かつて天小屋根命を祭祀していたと伝えられ、天小屋根命も天の岩屋戸伝承に登場
する神であることは先にお話ししたとおりです。
また、『古事記』の天の岩屋戸伝承では、常夜の長泣鳥を鳴かせる場面が登場しま
すが、これは鶏のことです。
菅原道真が筑紫に左遷される時に、道明寺村に住む伯母を訪ねて泊まっていきま
したが、鶏が刻を間違えて早く鳴いたので、不満足な別れをして出立をしたという伝承
があります。
この故事にのっとって、道明寺村の人たちは鶏を嫌い、鶏を飼わなくなった、と伝えら
れていますが、この道明寺村は現在の藤井寺市に含まれており、天照大神高座神社の
ある八尾市に隣接しています。
天の岩屋戸伝承は、天照大御神の籠りである、とも言われています。
大和岩雄(『神社と古代王権祭祀』)も、天照大神高座神社の周辺の地形から、ここを
籠りの聖地であった、と推測をしています。
「身ごもる」という言葉がありますが、胎児は母親の体内に籠っているものです。
ただし、天の岩屋戸伝承にある「籠り」とは、「死と再生」を意味します。
つまりは冬至のことです。
一年でももっとも日照時間が短くなるのが冬至であり、それを境に今度は日照時間が
長くなっていきます。古代の人々は、冬至とは太陽が死に再生をすることだと考えて
いたのです。
天皇が即位する時に践祚大嘗祭が行われますが、その前日には新天皇による鎮魂祭が
行われていました。
『江家次第』や『儀式』の記載から、鎮魂祭では琴師が和琴を奏で、女官が御衣筥を
振動させる、ということが行われていたことがわかります。
この振動させる、というのは魂振(たまふり)の儀礼であろうと思われます。
鎮魂というのは、魂が体から離れて抜け出すのを防ぎ、体の中にしっかりと落ち着か
せる儀礼であり、魂振は、体の中の魂が勢いを失った状態から再び活発にさせる儀礼
である、と解釈されています。
同じように死と再生の儀礼が白山信仰です。
これも以前に採り上げたものなのですが、白山信仰では山に入った人が再び山から
戻ってくることを再生と見るようです。
柳田國男の「稲と産屋」(『海上の道』に所収)には、愛知県北設楽郡の山村で行われ
た「シラ山」という行事について記している部分があります。
これは旧暦の11月に、行われる霜月神楽(における行事で、幾多の木の枝やその他の
材料で大きな山を作り、その中を通り抜けるというものですが、「シラ山」では「胎内くぐり」
と呼び、行道をなし遂げることを「生まれ清まわり」と呼ぶ。と「稲と産屋」にあります。
白山信仰は朝鮮半島から伝わったものであるとされています。
天照大神高座神社の祭祀氏族である春日戸氏は渡来系であるといわれていますから、
死と再生の儀礼を行っていたとしても何の不思議もありません。
そして、冬至で見落としてはいけないことが2つあります。
1つは、冬至の時に、難波の坐摩神社(いかすり神社。ざま神社とも)がかつて鎮座して
いた地(現在大阪城のある場所)から臨む朝日が昇るのが高安山山頂であることです。
そしてもう1つは、新天皇が即位する時に、践祚大嘗祭の前日に魂振祭が、翌年(同年に
行われた時もありますが)に八十島祭が行われていたということです。