小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

繰り返すということ

2019年02月03日 01時38分26秒 | ヒッポファミリークラブ
 これまでにも何度か書いたけども、ヒッポファミリークラブでは「言葉を歌う」と
いうことをしている。これは、ヒッポのオリジナルストーリーCDの中のどこかの場面を
言うことなのだけども、「言う」ではなく「歌う」とヒッポでは表現する。
 それは、その場面の言葉を暗唱するのではなく鼻歌で歌を歌う感覚で口にするからだ。
 だから完璧に言える必要はない。それよりもその言葉の持つ独特のリズムをつかむ
ことの方がより大事と考える。ちゃんと言えなくても、何度も繰り返してやっている
うちに自然とCDソックリに言えるようになるし、知らないうちにその言葉の意味も
わかってくるようになる。

 この繰り返し言う、ということは学校の英語教育でも同じことが言えるだろう。
 英語の教科書を繰り返し声に出して読む、あるいは教科書の文章を繰り返しノートに
書き写す、など。

 これの何が大事なのかと言うと、言葉は先に意味や使い方を覚えるものではないからだ。

 たとえば、英語ならば、「ニューヨークにある店」と言う時は「in New York」
だけども、「角にある店」と言う時には「on the corner」になる。
 このinとonの使い分けについては「街の中にある店」、「道路の上にある店」という
解釈で理解し覚えようとする人もいるようだけども、これはあくまでも日本語に置き
換えた理解の仕方であって、英語と日本語ではいろいろ異なる点が多い。
 だから、繰り返して口に出してみたり書き写すことが効果的になる。
 繰り返すことで、inとonを間違えることがなくなるからだ。inでなくてはしっくり
こない、反対にonでなくてはしっくりこない、というようになる。

 日本語だって同じようなことが言える。
 「犬と散歩に行く」
と、言う時と、
 「犬を散歩につれていく」
と、言う時。
 この「犬と」と「犬を」の違いを考える人がいるだろうか?少なくとも日本に生まれて
日本語で生活している人は絶対に間違えない。
 だけど、そのような人の中でこの違いを学んでから話している、なんて人はまずいない。
 同時に、ここは「と」を使うべきか「を」を使うべきか、なんて頭で考えてから話す
人もまたいない。
 いつの間にか、知らないうちに、自然に使い分けができるようになっていたはず。

 日本語の環境の中で生まれ、日本語で生活してきた人は、それこそ数えきれないほど
今までに日本語を口にしてきた。そう、繰り返し、繰り返し、日本語を話してきたので
ある。
 その結果、「と」を「を」を間違えることはない。

 繰り返すことが大事と言うのはこのためなのである。

家族と一緒に

2018年04月01日 02時21分37秒 | ヒッポファミリークラブ
10月8日2013年10月8日(火)(5歳6か月)


 少しだけ、うちの家族がやっているヒッポのことを話して
みたい。

 ヒッポファミリークラブという活動は、「ファミリークラブ」と
いうだけあって家族のみんなで一緒にできる。

 (もちろん、ひとりだけで入会することも可能である。かく言う
僕も独身時代にひとりでヒッポに入会している。)

 家族と一緒に活動する。
 これは、他の英会話教室などと大きく違う部分でもある。

 ふつう、英会話教室は子供だけで参加して、親は参加できない。
すると、家族と体験を共有できない。些細なことだと思う人も
いるかもしれない。でも、体験を共有するということは言葉の
習得には大きな比重を占めることでもあるのだ。

 ただ子供は・・・まあその子にもよるのだろうけど、思春期に
なると親と一緒に活動することを嫌がるようにもなる。

 うちの場合、上のふたご、ゆうきとりえのふたりが思春期&
反抗期の入口にいる。

 家族で参加する、ファミリーと呼ばれる活動の場よりも、毎月1回、
関西本部で行われる中高大生だけで活動する場の方がより楽しいと
思えるそうだ。

 「けど、あらためて考えてみたら何でやろな?(ファミリー
クラブと言っても)ひとりでヒッポに入会することかもできるやん?
ヒッポはファミリーで言葉を育てるわけやから、ひとりでファミリーに
参加しても言葉は育つわけやし。家族みんなで参加する本当の意味って
何やろね」

と、今日のファミリーでりえが言った。

 なかなか鋭い指摘だ、と思いつつ、

 「たしかにファミリーで言葉を育てるわけやけど」

と、僕が言う。

 「家族を越えてファミリーはないよ」

 すると、横で聞いていたゆうきが、

 「なに名言っぽく言うてんねん」

と、ツッコミを入れてきた。

 しかし、そんなわが家の子供たちも、反抗期に入りつつあるとは
言えこうやって家族と一緒にヒッポの活動に参加している。

 これは、別に僕が強制したわけでも、まして「洗脳」したわけでも
ない。

 子供たちが自分自身で発見したことだ

 やっぱり教わるより自分で見つける事って大事やな。

りえ、アメリカに出発

2017年02月03日 01時29分56秒 | ヒッポファミリークラブ
2013年7月27日(土)(5歳3か月)
 
 りえが1か月のアメリカホームステイに出発した。
 
 成田発の飛行機なので、新幹線で東京に行く。
 
 新大阪駅で見送った後、僕たちは家に帰る。
 
 早くも寂しい。
 
 逆ホームシックだ。
 
 ところが、家族の他のみんなは淡々としたものだ。
 
 この辺りが男と女の違いってやつか?
 
 母親は娘に早く嫁いでほしいと願うのに父親は心の
どこかで、娘にいつまでも家にいてほしい、と願うという
からな。
 
 結婚式でも泣くのは父親の方と相場が決まっている。
 
 僕の場合、娘が嫁ぐのはまだ先のことだと思っている
から今はまだピンと来ないけど。
 
 でも、りえが1か月間いないというだけで、すでに寂しい。
 
 りえも、ゆうきも、小学5年生の夏休みにそれぞれ台湾と
ロシアにホームステイに行ったけど、その時は寂しくは
感じなかったな。
 
 なぜなら、同じ時期にみんたが春奈をつれて韓国に
ホームステイに行ってしまったものだから、ひとりぼっちの
生活に直面してセンチな気分になる余裕なんてなかった。
 
 ヒッポの仲間からは、
 
 「トランスナショナルな離散家族」
 
って、言われたっけな。
 
 まあ、せっかくアメリカ人家族のところに1か月間も
ホームステイするのだから、何物に得難い体験をして
きてもらいたいものだ。

スザンヌさん講演会

2014年08月10日 00時49分39秒 | ヒッポファミリークラブ
2011年10月20日(木)(3歳6か月)


 そして、今日は言語学者スザンヌ教授の講演会。

 ヒッポファミリークラブ主催の講演会サービス精神なのか、スザンヌ
さんの講演はヒッポを持ち上げてくれた内容だった。

 ヒッポのやり方、つまり自然習得について、「言葉を習得するならヒッポ
のこのやり方がいい」と、言ってくれた。

 だけど、この時僕がスザンヌさんの講演を聴きながら考えたのは、自分
はこれまで講演会などで、「言葉の習得にはヒッポのやり方が一番です」
みたいなスタンスで外部の人に接していなかったか?という自問。

 「一番です」と言い切るからには、その理由を誰にでもわかる理論で
説明できなくてはいけない。

 単純に、自分自身が体験した限りでは一番自分に合っていた、なんての
は理論じゃない。


 で、スザンヌさんが言ってくれた「言葉を習得するならヒッポのこの
やり方がいい」と、いう言葉だ。

 はたしてヒッポは、本当に言葉の習得方法の完成形なのか?

 スザンヌさんはさらに、

 「もしも私が外国語の習得の実践の場を作るならヒッポと同じものを作る
でしょう」とも言ってくれたけど、言葉の習得に最適なのはあくまでも自然
習得であって、ヒッポが最適と言うのは違うのではないか?

 と言っても、別にヒッポに対して疑問を持っているわけではないんだけど。


 そうではなく、ヒッポが1番と思ってしまうと、それ以外の意見や考えに関心
を示せなくなってしまうぞ、と考えたわけだ。

 それに、ヒッポが一番なんて思うと、それは「驕り」につながるしねぇ。

 驕ってしまうと他のものが見えなくなるよな、と。

 もっと、言語学など、ヒッポ以外の世界を知ることも大切だ。

 たしかに、言葉の習得には、自然習得というやり方が一番だとは思う。

 しかし、ヒッポはその自然習得のひとつにすぎないんじゃないかな。


 そういう意味では、今回のスザンヌさんやチョムスキーのようにヒッポ以外
の言語学者の講演を聞くことはすごく意義があると思った。

 ヒッポファミリークラブという枠の中だけで自然習得を考えていてはダメだ
と思うから。


 江戸時代、日本は鎖国していた。

 すべてが日本という枠の中だけで国内が成立していた時代である。

 文化や科学も発展したし、何よりも平和な時代だった。

 ところが、1603年の江戸幕府成立からちょうど250周年の1853年にペリー
がやって来て、日本は国外のことを知ることになる。

 結果どうなったか?

 それまで250年続いてきた江戸時代はペリー来航からわずか15年で明治維新
を迎えている。

 外の世界を知ることは大事なことだと思う。

スザンヌさん講演会に向けて

2014年08月09日 01時37分17秒 | ヒッポファミリークラブ
2011年10月17日(月)(3歳6か月)


 今日はヒッポファミリークラブ関西の社会人WS(ワークショップ)。
 今年は社会人WSで、チョムスキー教授、スザンヌ教授をやってきた。
 やってきたけど、どのように取り組んでいけばいいか、誰もわからない
ままに、それでも前にむかって進んできたような気がする。

 チョムスキーもスザンヌさんも言語学者で、ヒッポの人ではない。
 そこをヒッポの社会人WSがどう取り組んでいけばいいか?
 ここが皆わかんなかったのだ。

 こう言っては何だけど、ヒッポの人たちには、ヒッポが他の外語教室や
外語教材などとは別物、と言う人が多い。
 英会話教室などが英語だけをやっているのに対してヒッポファミリーク
ラブは多言語をしている。それに多くの外語教室や外語教材が、「勉強」
なのに対してヒッポファミリークラブが「自然習得」にこだわっているか
らなのだけど、あからさまに「ヒッポはそれらとは違うんだ」と区別した
がる人が多い。
 そのために、教育の専門家や言語学者の言うことに、それこそ重箱の隅
を突っつくように、「ここが違うんだよなあ。そうじゃないんだよなあ」と、
「違い」にばかり目が行く人が多い、そんな傾向があることは正直否めない。

 そんなわけだから、ヒッポの人ではないスザンヌさんの講演会をどう作っ
ていけばいいか戸惑う人が多いのかもしれない。
立場は違えど「言葉について」をしているところは一緒。根っこはつながっ
ているはず、とは思うけど、
「ヒッポと同じ部分を見つける、ということをしてもダメ」
と、いう意見もあって、僕もそれが一理あるな、と思っうけど、じゃあどう
取り組んでいけばええのん?と思ったり。

先日、たまたま、スザンヌさんの講演会の直前に読んだ南部陽一郎先生の本
の中で、物理学はいろんな分野に分かれていて、研究者は自分が扱っているの
と違う分野の物理学に対してあまり興味を示さない、もっと乗ってくればいい
のに、みたいなことが書かれているのを見つけた時に、
「そうか。まずは興味を持つことが大事なんや」
と、思った。そう、まずは興味を持つこと。そこが原点だし、そこから始めな
いと楽しめないよな。

 さあ。今週の木曜日が講演会本番だ。