小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

ばかりやから

2015年06月30日 06時47分24秒 | 日記
2012年9月19日(水)(4歳4か月)
 
 
 春奈を風呂に入れてやろうとしたら、今日は嫌がった。
 
 それでも浴室に連れて行ってかけ湯を掛けてやろうと
した時に、
 
 「お父さん、ケガしたとこ押さえといて」
 
と、月曜日に転んでケガをした春奈の膝を僕の手で押さ
えているようリクエストしてきた。
 
 なるほど、お湯が傷口にしみるから入浴を嫌がった
のか。
 
 それを手で押さえてあげるのは別にかまわへんけど、
自分で押さえておいた方が早いような気がする。
 
 「まだ痛いのか?」
 
と、一応訊くと、
 
 「きのうのきのうコケたばかりやからな」
 
 ばかり、ときたか。
 
 まだ「おととい」という言葉も出てこないのに、「ばかり」と
いう言葉が出てきたことが面白い。
 
 春奈は「痛くて当然」ということを僕に強調して伝えたくて
「ばかり」と言ったのだ。
 
 ただ単純に「痛い」と答えるだけじゃなく、「~だから当然
痛い」という答え方をするようになった。
 
 こういう、ふとしたことの中に言葉の成長を垣間見ることが
できる。

405 もうひとつの香久山伝承

2015年06月29日 01時12分00秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生405 ―もうひとつの香久山伝承―
 
 
大彦命(オオビコノミコト)について、『古事記』は8代孝元天皇と内色許売命(ウツシシ
コメノミコト)との間に生まれた御子として、
 
大毘古命(オオビコノミコト)
少名日子建猪心命(スクナヒコタケイココロノミコト)
若倭根子日子大毘毘命(ワカヤマトネコヒコオオビビノミコト=開化天皇)
 
の3名を記します。
 これに対して『日本書紀』では、孝元天皇とウツシコメとの間に生まれた御子たちは、
 
第一子を大彦命(オオビコノミコト)
 第二子を稚日本根子彦大日日天皇(ワカヤマトネコヒコオオビビ天皇=開化天皇)
 第三子を倭迹迹姫命(ヤマトトトヒメノミコト)
 
と、します。
 『古事記』と『日本書紀』はともに大毘古(大彦)と開化天皇を、孝元天皇とウツシシ
コメの子としながらもその兄弟(妹)については異なる記載をしています。
 『日本書紀』が伝える倭迹迹姫命とは、大物主の妻となった倭迹迹日百襲姫命(ヤマ
トトトヒモモソヒメ)と同一人物であろうと言われています。
 なお、モモソヒメについては、『古事記』も『日本書紀』もともに、7代孝霊天皇の皇女
とし、同母弟にヒコイサセリビコノミコト(『古事記』は比古伊佐勢理毘古命、『日本書紀』は
彦五十狭芹彦命)がいる、とします。
 ヤマトトヒメとモモソヒメが同一人物ということは、つまり7代天皇の皇女とする伝承と
8代天皇の皇女とする伝承の2通りがあったためであろう、と言われています。
 
 大毘古とモモソヒメに関しては次のような伝承があります。
 10代崇神天皇の時代、大毘古が将軍として高志に向かう時、山城の幣羅坂(へらさか)
にて、腰裳を着て歌を歌う少女に出会います。その歌の内容が、
 
 ミマキイリヒコはや ミマキイリヒコはや 己が緒を 盗み殺せむと 後つ戸よ い行き違ひ 
 前つ戸よ い行き違ひ うかがわく 知らせにと ミマキイリヒコはや
(ミマキリヒコよ ミマキイリヒコよ あなたの命を奪おうと 宮の前の戸から 宮の後ろの戸
から うかがっている者がいることも知らないで ミマキイリヒコよ。※ミマキイリヒコは崇神
天皇の名)
 
 これを耳にした大毘古は天皇の元に戻り、このことを報告しました。
 それを聞いた天皇は、
 「私が思うに、山城にいるタケハニヤスビコ王(大毘古の異母兄弟)が反乱を企てている
お告げであろう。伯父上(大毘古のこと)は兵を率いて討ってください」
と、副将に日子国夫玖命(ヒコクニブクノミコト)を付けて、建波邇夜須毘古命(タケハニヤス
ビコノミコト)を討たせた、といいます。
 
 上記の内容は『古事記』に書かれているものですが、『日本書紀』も同じ内容の記事を
載せるとともに、『古事記』には記されていない部分をも載せています。
 その部分とは、大彦(大毘古)の報告に続いてモモソヒメが天皇に、
 「タケハニヤスビコ王の妻の吾田媛(アタヒメ)が天の香久山の土を取ってそれを布にくるみ、
『これは倭国の物代』と呪言を唱えた、と聞きました。これは謀反のしるしでしょう」
と、告げたというものです。
 
 吾田媛が天の香久山の土を取る話は、『日本書紀』の「神武紀」にあるシイネツヒコとオト
ウカシが香久山の土を取る話、『住吉大社神代記』の古海人老父(こあまのおきな)為賀
𥿻悉利祝(いかしりのはふり)が香久山の土を取る話と同じものでしょう。
 阿閉臣の始祖である大毘古もまた、香久山の土を取る伝承に関わっているのです。

4歳児が悩むこと

2015年06月27日 03時33分42秒 | 日記
2012年9月17日(月)(4歳4か月)
 
 
 今日もいつものように春奈を風呂に入れてやる。
 
 かけ湯をしてやる時に、春奈が、
 
 「足かけんといてな(足にはお湯をかけないで)」
 
と、言った。
 
 見ると左の膝の下あたりにすり傷ができていた。
 
 「お湯が傷にしみるのか。それなら手で押さえとき」
 
 そう言うと素直にそれに従いながら、
 
 「保育所で、どうしたん?って訊かれたらどうしょう?」
 
と、言う。
 
 そんなん気にしてんのか?
 
 「すりむいた、言うたらええやん」
 
 そう僕が答えると、ああ、そうか、といった表情を見せた。
 
 それを見て、今度は僕の方が、ああ、そうか、と思った。
 
 最初、僕は春奈が保育所のお友だちに傷のことを触れ
られるのがイヤで「どうしよう?」と言ったのかと思ったの
だけど、傷のことを訊かれたらどう説明しよう?という意味
だったのだね。
 
 そんなもの、僕が答えたように「すりむいた」と言えばいい
だけの話なのだけど、4歳児はどう説明すべきかいろいろ
悩むようだ。
 
 でも、これって言葉で説明しようとするからこその悩み
なんだよな。
 
 やっぱり人間は言葉としようとする本能が誰にでも備わって
いる。
 
 大人には気づくことができないそんなことも幼児はあら
ためて気づかせてくれる。

404 阿麻氐留神社の神と高御産霊神

2015年06月26日 02時08分55秒 | 大国主の誕生

大国主の誕生404 ―阿麻氐留神社の神と高御産霊神―

 

 対馬の太陽信仰についてもこれまでに何度か採り上げたことがあります。

 最近では対馬の天道信仰を採り上げました。
 対馬の天道信仰における天童法師は、太陽の御子神です。天童法師の母は日光が下腹部を
射したことで懐妊し、天童法師を産んだといい、これがアカルヒメの伝承と重なります。
 
 それから、阿麻氐留神社(あまてる神社)です。
 『大同類聚方』に「対馬国下県郡阿麻氐留神社の宮人箘田連(竹田連)重宗の家伝流所方」と
あるように、竹田連は対馬の阿麻氐留神社に関係していたようです。
 
 阿麻氐留神社の祭神は天日神命(アメノヒミタマノミコト)とされていますが、社名から推測する
には、本来の祭神は天照神(アマテル神)であろうと思われます。
 天照神は伊勢の天照大御神ではなく、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊、つまりホアカリのこと
と考えられています。
 
 この阿麻氐留神社は対馬国下県郡の式内社です。
 『延喜式』に記載されている対馬国下県郡の式内社を見ると、高御魂神社(たかみむすひの
神社)と和多都美神社(名神大社)、和多都美神社(小社)があります。
 ちなみに対馬国上県郡にも和多都美神社(わたつみ神社)と和多都美御子神社があり、
上県郡ではこの両社のみが名神大社なのです。
 
 竹田川辺連が祭祀する大和国十市郡の竹田神社はホアカリの御子神である天香久山命を
祀っていますが、古記録には祭神は天火明命(アメノホアカリノミコト)とあります。
 もっとも天香久山命は天火明命の御子神なので同じ系統の神を祀っていることになります。
 そして高御産霊神を祀る目原坐高御魂神社が十市郡に鎮座します。
 
 このように、対馬に阿麻氐留神社と高御魂神社があり、大和の十市郡に竹田神社と目原坐
高御魂神社があるのです、
 
 さらに、京都府城陽市の水度神社では高御産霊神と少童豊玉姫命(ワダツミトヨタマヒメノ
ミコト)を祀ります。
 しかも、「山城国風土記逸文」に記された水度神社の祭神の名は天照高弥牟須比命(アマ
テラスタカミムスビノミコト)となっているから、この神もアマテル神かもしれないと考えられるの
です。
 
 対馬と大和、南山城は地理的に離れた場所にありますが、この組み合わせが決して偶然
とは思えないのが『日本書紀』にある阿閉臣事代(あへのおみことしろ)の神託です。
 顕宗天皇3年の春に、任那に赴いていた阿閉臣事代に月神から、
 「わが祖高皇産霊(タカミムスヒ)は天地を造りし功績を持つ。それゆえに吾を祀れ」
と、神託があり、さらに夏には、今度は日神が事代に神託をして、
 「磐余の田をわが祖高皇産霊に献上せよ」
と、告げたものです。
 
 この神託は大和に報告され、結果、月神の神託に対しては山城の葛野郡歌荒樔田(うたあら
すだ)に月神を祀る社を築いて壱岐縣主(いきのあがたぬし)の先祖押見宿禰(オシミノスクネ)に
祭祀を行わせ、日神の神託に対しては、要求どおりに磐余の田を十四町献上し、対馬下縣直
(つしまのしもつあがたのあたい)に日神を祀らせた、と『日本書紀』は記します。
 
 阿閉臣事代に神託をした月神は、祭祀氏族が壱岐縣主であることから、壱岐の式内社で
明神大社の月読神社の神であったと考えられます。
 一方、日神は、祭祀氏族が対馬下縣直であることから、対馬国下縣郡の阿麻氐留神社(あま
てる神社)の神だと考えられます。
 しかし、そうだとするなら、阿麻氐留神社の祭神はすなわち高御産霊神の子孫だということに
なるのです。
 それならば、天火明命、天香久山命と高御産霊神の組み合わせや水度神社の高御産霊神が
天照神となっていることも納得がいきます。
 
 そして、神託を下されたのが阿閉臣であることにも見逃すことはできません。
 『日本書紀』によれば、阿閉臣は大彦命の子孫となっているのです。

おねえちゃんを援護

2015年06月24日 00時52分06秒 | 日記
2012年9月16日(日)(4歳4か月)
 
 
 海外では日本の文房具は評価が高いらしい。
 
 日本人にはそれが今ひとつピンと来ないけど、
日本製のペンはとても書きやすいそうで、しかも
種類がメチャクチャ多い。
 
 クリップや消しゴムでも種類が豊富でかわいい
ものがたくさんある。
 
 わが家のゆうきとりえも文房具好きである。
 
 今日もゆうきが
 
 「新しい文房具買ってもいい?」
 
と、みんたに許可を求める。
 
 「まだ使えるのがいっぱいあるんやろ?」
 
と、みんたがたしなめるように言うと、横から春奈が
言った。
 
 「ゆうきが自分のお金で買う言うてんやったら
別にええやん」
 
 そこで援護を入れる?
 
 それよりも春奈がそんな言い方をしたことに、
「おっ?」と思った。
 
 これって、僕がみんたに子供たちの味方をして
やる時の言い方と同じやん。
 
 春奈の、言葉のマネっこも、ずいぶんといろんな
分野に及んできているようだ。