小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

口こわれた

2015年02月26日 01時34分57秒 | 日記
2012年7月16日(月・祝)(4歳3か月)


 今日はヒッポファミリークラブの、フェロウの
モモちゃん宅で持ち寄りパーティー。

 その持ち寄りバーティーからの帰りの車で春奈が
歌を歌いまくる。

 そして、ゴホンゴホンと咳をするので、

 「だいじょうぶ?」

と、みんたが訊くと、

 「口こわれた」

 それって、「のどが痛い」と言いたいのか?

 「口が壊れた」なんて、なんとも幼児が症状を
表現する言葉としてはうまく言い表しているような
気がするけども。

 こうやって幼児が言葉を作り出すのは、人間と
言葉の関係を知る上ですごく興味深いところでは
あると思う。

367 香坂王と忍熊王の反乱

2015年02月26日 01時32分07秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生367 ―香坂王と忍熊王の反乱―


 新羅から戻って来た神功皇后でしたが、日本では大きな問題が待ち
かまえていました。
 香坂王(カゴサカ王)と忍熊王(オシクマ王)の反乱です。

 14代仲哀天皇にはふたりの妻がいました。オキナガタラシヒメ
(神功皇后)と大中比売命(オオナカツヒメノミコト)です。
 『古事記』も『日本書紀』もともにオキナガタラシヒメのことを
「皇后」と記していますが、本当は大中比売の方が皇后だった可能性
が高いのです。
 なぜなら、仲哀天皇は景行天皇の孫ですが、大中比売も同じく景行
天皇の孫で、血筋で言えばオキナガタラシヒメよりもずっと天皇に近い
人物だからです。

 歴史というものは戦争の勝者によって作られる、というのは有名な
言葉ですが。冷静に考えれば、オキナガタラシヒメ側が正統である
香坂王兄弟を滅ぼして政権を簒奪したと見た方が自然に思われます。

 それはさておき、ここでは、『古事記』、『日本書紀』の記述に
従ってすすめていきたいと思います。

 その大中比売命の系譜ですが、父は景行天皇の皇子、大江王です。
 ところが大江王の母親については、前にも採り上げましたが、実に
おかしなことになっているのです。
 大兄王の母親とは迦具漏比売(カグロヒメ)という人物です。
 『古事記』はその系譜を記していますが、以下のような内容なのです。

 仲哀天皇はヤマトタケルと布多遅能伊理毘売命(フタヂノイリビメノ
ミコト)との間に生まれていますが他にも異母兄弟たちがいました。
 その中で、弟橘比売命(オトタチバナヒメノミコト)が生んだ若建王
(ワカタケルノミコ)と名前がわからない「ある后」が生んだ息長田別王
(オキナガタワケノミコ)がいます。
 若建王は、異母兄弟である息長田別王の孫娘、飯野真黒比売命(イイノ
ノマグロヒメノミコト)と妻にして須売伊呂大中日子王(スメイロオオナ
カツヒコノミコ)が生まれます。
 この王、須売伊呂大中日子王の娘が迦具漏比売(カグロヒメ)なのです。
 そして、この迦具漏比売が景行天皇の妃となって間に生まれたのが大江王
で、その娘が大中比売命というわけです。

 つまり、ヤマトタケルの曾孫息長田別王の系譜で見れば6代目です)が、
ヤマトタケルの父景行天皇の妻になっているということなのです。
 実に不思議な系譜ですが、『古事記』の応神天皇の后妃の項と混乱がある
ようです。
 それと言うのも、応神天皇の妃のひとりにも迦具漏比売という女性がいる
こと、それに妃のひとり息長真若中比売(オキナガマワカノナカツヒメ)が
杙俣長日子王(クイマタナガヒコノミコ)の娘とあることです。
 前出の、若建王が異母兄弟である息長田別王の孫娘、飯野真黒比売命
(イイノノマグロヒメノミコト)と妻にして須売伊呂大中日子王(スメイロ
オオナカツヒコノミコ)が生まれた、というところで省略しましたが、息長
田別王の子で、飯野真黒比売命の父である人物の名前が杙俣長日子王なの
です。

 それでは系譜について語るのはこの辺りに留めておいて、帰国後の神功
皇后の物語に移ります。

 九州の筑紫に戻った神功皇后はこの地で仲哀天皇の忘れ形見を産みます。
それが品陀和気命(ホムタワケノミコト)、後の応神天皇です。
 実は、この皇子の兄として品夜和気命(ホムヤワケノミコト)を産んで
いたことが『古事記』には記されているのですが、『日本書紀』では、この
皇子は、仲哀天皇と、大酒主(オオサカヌシ)の娘、弟媛(オトヒメ=この
人物は『古事記』には見えません)との間に生まれたことになっています。

 さて、ホムタワケを産んだ神功皇后は大和に向かいますが、大和では香坂王
と忍熊王の兄弟が皇位を奪うために待ち受けていたのでした。

最上級のお礼の言い方

2015年02月24日 00時33分14秒 | 日記
(きのうのつづき)


 さて、夕飯の時間。

 日曜日ということもあって家族そろっての夕飯だ。

 ただし、食べ終わるのはバラバラ。

 とりわけ春奈は遅い。まだ小さいからね。

 ふと見ると、春奈のカップの中が空っぽだったので、

 「はる、水おかわり入れたるわ」

と、僕がカップを取って湯冷ましを注いでやると、
春奈が言った。

 「ありがたいわあ。一番助かるわ」

 関西のおばあちゃんみたいなこと言うなや。

 なぜ素直に「ありがとう」と言わない。

 後で考えると、春奈は、よく年配の人がよく使う
このセリフを「最上級のお礼の言い方」だと思って
いるのかもしれない。

 もしくは「心からうれしく思っている気持ちを
伝える言い方」と思っているのかも。

 それと言うのも、年配の人と会う機会の多い春奈は、
自分が年配の人と交流している中で言葉の「軽い言い方」
や「丁寧な言い方」を見つけてはゲットしていっている
に違いないからだ。

366 神功皇后の伝承

2015年02月24日 00時30分08秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生366 ―神功皇后の伝承―


 『古事記』と『日本書紀』が伝えるところでは、天照大御神の分身(天照大御神の
荒魂と解釈してよいでしょう)の、「西にある国をそなたに与えよう」という神託を
仲哀天皇が信じなかったために、神は仲哀天皇に死を与えた、とあり、神功皇后は
熊曽(熊襲)を討った後、神の言う西の国へと向かいます。
 その西の国とは新羅です。

 『古事記』は、次のような内容のものを伝えます。

 皇后の軍勢が渡海すると、海の大小の魚たちがことごとく集まり、皇后の乗る船を
背負って渡った。
 さらに風が吹き。船は波のままに進んでいった。
 そして、その波がそのまま新羅に押し寄せて、国土の半分を浸してしまった。
 これに、新羅国王も大いに恐れ、
 「これからは、天皇にご命令のままに、馬飼としてお仕えいたします。毎年、貢物を
欠かすことなく仕え奉ります」
と、述べた。
 この件を以て、皇后は新羅国を御馬甘(馬飼)と定め、百済国を屯倉と定めた。
 そして、新羅の国主の門の前に御杖を突き立てて、墨江大神(住吉大神)の荒御魂を、
国を守る神として鎮め祭ると、帰国の途についた。

 『日本書紀』も同様の内容を載せていますが、こちらの方はかなり政治的な内容に
なっています。

 海の中の大魚がことごとく集まって船を背負った。同時に大風も起こり、船は舵で操作
する必要もなく波に乗って新羅に到達した。
 船を運んだ波はそのまま新羅に押し寄せ、国土の半分を浸してしまった。
 新羅の王は恐れおののき、群臣を集めて、
 「新羅の建国以来、海水が国にのぼってきたことなどなかった。もしや、天運つきて
国が海の飲み込まれるようなことはあるまいか」
と、言ったが、その言葉が終わらないうちに、日本の船団が海に満ちている光景があら
われ、日本軍のあげる鬨の声は新羅の国土に響き渡った。
 新羅の王は、
 「吾は聞いたことがある。東に日本という神国があると。また、日本には天皇という
聖王がいると。あれはその国の神兵にちがいあるまい。これは敵うはずもない」
と、言って、降伏した。
 そして、皇后の前にやって来て、
 「これからは日本に従い、飼部となります。また毎年貢物を献上いたします」
と、述べた。
 ある者が、
 「新羅の王を処刑すべきです」
と、進言したが、皇后は、
 「すでに財宝を有するこの国を得ました。この上は、自ら降伏を申し出たものを殺す
こともないでしょう」
と、許され、飼部とされた。
 皇后は新羅の財宝を収めた倉を接収すると、王の門の前に矛を突き立てて新羅の臣従の
証とした。
 ここに新羅王ハサムキムは、皇子のミシコチと官僚のハトリカンキのふたりを人質と
して日本に送ることにした。
 高句麗と百済の王は、新羅が日本に降ったと聞き、密かに日本の軍勢を探らせたが、
その結果、とても勝ち目はないと悟り、みずから皇后を訪ねて、
 「これよりは絶えることなく貢物を捧げます」
と、申し出た。
 皇后は高句麗と百済に屯倉を設けて新羅より帰還した。

 ちなみに『日本書紀』では「日本」と書いて「やまと」と読みます。
 『古事記』に比べて『日本書紀』の方はかなり軍事行動の性格も強く、『古事記』が新羅
だけしか登場しないのに対して『日本書紀』の方は百済や高句麗までも日本に服従した、と
しています。
 戦前や戦中は、この『日本書紀』の内容が「三韓征伐」として教科書にも載っていたよう
です。

 ですが、本来の伝承は『古事記』のように、大いに説話性に富んだものだったように思わ
れます。
 そして、大小の魚たちが集まって船を背負ったとか、波が国土の半分にまで押し寄せた、
など、この神功皇后の伝承は、元は海人たちが伝えていたもの物語を大和政権が政治的に
取り入れたものと考えられるのです。
 住吉神も、本来は海人たちが信仰していた神だったのでしょう。祭祀氏族の津守氏はアメノ
ホアカリ系の氏族ですが、同族には海人系の氏族が多いのです。

春奈のジュース屋さん

2015年02月22日 01時15分36秒 | 日記
2012年7月15日(日)(4歳3か月)


 春奈のお店屋さんごっこにつき合わされることに
なった。

 「コーラ屋さんですよー」

と、春奈。
 ジュース屋さんって言いたいのか?

昔に読んだJOJOの第2部でコーラ売りが登場してた
けど。

 あれは第二次大戦前夜のニューヨークの話で、現在
じゃコーラ売りなんておらんのと違うか?

 春奈が僕に言う、

 「ファンタ大盛り飲める人ー」

 大盛りって食べものとちゃうんやから・・・。

 「じゃあ、ファンタください」

と、僕が返してやると、

 「はい、ファンタ満タンですよー」

 ガソリンの給油か。

 かまわず春奈が続ける。

 「お金ください」

 「え?」

 「ジュース買ってくれ、って言うてんやん」

 「あ、そうか。じゃあ、ファンタ下さい」

 「レシートください」

 「それは春奈があげるんやん」

 なんで客が店員にレシート渡すねん。

 どうも、春奈はよくわかっていないようだ。

 ただ、おおまかにはわかっている。

 やっぱり幼児は何でもおおまかに理解できて
いるだけでOKなのだ。

 だいたい、で理解しただけで、もうマネっこ
をして遊ぶ。

 システムや作業の流れを完璧に理解してから、
ごっこをして遊ぼうなんて考える幼児はいない
はずだ。

 こういうスタンスが言葉の成長にもあらわれる。