小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

パンツトレーニングをはじめよう

2013年12月23日 11時31分21秒 | 日記
2011年3月2日(水)(2歳11か月)


 今月で春奈も3歳になる。そろそろオムツも取ら
ないと、最近みんたとよく話をする。

 パンツトレーニングは何歳から始めたらよい、と
かいうことは別段気にしていない。

 僕もみんたも子供の成長にマニュアルを重視する
タイプではないからだ。

 ただ、そろそろ始めてもよい頃だろう。

 乳児の頃は布のおしめを使っていたけど、大きく
なってくるとおむつカバーのサイズが合わなくなっ
て今では紙おむつばかりだ。地球に優しくない。

 「お姉ちゃんなんやったらトイレ行くようにせん
と」

と、みんたが春奈に言うと、

 「いいんだよ」

 「あかんよ」

と、みんたが言うと、春奈が吼えた。

 「あかんとちゃうわっ!」

 えらそう、と言うより、言い方がきつい。

 どうも近頃口調が・・・そういう時期なのか?


193 土師氏と鶏の伝承

2013年12月23日 11時06分52秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生193 ―土師氏と鶏の伝承―


 ちょっと個人的な理由でお休みしていたこのコーナーですが、
また再開しようと思います。
 ぜひお付き合いいただけたなら嬉しいかぎりです。

 さて、前回は稲羽のしろうさぎの伝承に太陽信仰の形跡が見
られることと、土師氏の関係を取り上げましたが、その続きか
ら再開したいと思います。

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 土師氏と太陽信仰を結びつける要素がもう一つあります。
 土師氏は、皇族の喪葬にたずさわり、埴輪の制作をおこなっ
ていましたが、埴輪の種類のひとつに鶏型埴輪があります。
 これは前方後円墳の初期から終末期まで使用されていました。

 ここで、見過ごしてはならないのが、なぜ鶏をかたどった埴
輪が常時使用されていたのか、ということです。

 これについて、手掛かりとなるのは、『日本書紀』に、鶏が、
常世の長泣鳥と書かれていることです。
 天照大御神が天の石戸に隠れた時に、思兼神が常世の長泣鳥
を集めて泣かせた、と『日本書紀』にはあります。

 これが鶏型埴輪を通して、土師氏と太陽信仰を結びつける証
ではいかと考えられるのです。

 また、伊勢神宮の式内遷宮の、御霊代が出御する時に、神官
が鶏鳴を行うのも、天の石戸の故事から来ているといわれてい
ます。


 土師氏と鶏の関連については、谷川健一の「鶏型土器について
(前健/白川静ほか『古代日本人の信仰と祭祀』に収載)に詳し
く紹介されています。

 「鶏型土器について」によれば、今ではほとんどの地域では失
くなっているものの、かつて全国各地には、水死者の骸を探索す
る時に鶏をつれて出る、という風習があったといいます。

 また、野見宿禰が亡くなった地、と『播磨国風土記』が伝える
兵庫県たつの市には、土師の地名があり、ここには鶏塚という古
墳が存在し、別名が出雲墓という、とあります。言うまでもなく、
出雲とは、野見宿禰が出雲の人いうことろから来ているものと考
えられます。

 土師氏と鶏の関連を伝えるエピソードとして、他にも菅原道真
の伝承があります。

 土師氏が後に四支族に分かれ、そのひとつに菅原氏があること
は前にもお話ししましたが、菅原道真はこの菅原氏のひとりです。

 さて、菅原氏の拠点に比定される土地のひとつに旧道明寺村
(現在の大阪府藤井寺市道明寺)があることも前にお話ししたこ
とですが、この道明寺村に伝わる話として、道真が筑紫に左遷さ
れる時に、この道明寺村に住む伯母を訪ねて泊まっていきました
が、鶏がときを間違えて早く鳴いたので、

 「鳴けばこそ別れも憂けれ鶏(とり)の音の聞こえぬ里の暁も
がな」

という歌を残して不満足な別れをした、というものがあります。

 そして、この故事にのっとって、道明寺村の人たちは鶏を嫌い、
鶏を飼わなくなった、といいます。


 これと同じ話が、出雲の美保関にもあるのです。

 美保関といえば、『古事記』の国譲り神話で、事代主が、美穂
津媛のもとに通ったとき、鶏がときを間違えて早く鳴いたため、
事代主はあわてて船に乗り、しかもその際に櫂を岸辺に置き忘れ
たので、やむを得ず手で水を掻いでると、ワニザメに手を咬まれ
てしまった、というものがあるのです。

 そして、美穂関でも、この故事により鶏を飼わないし卵も食べ
ない、と言います。


 これと同じような風習が埼玉県にも存在します。

 埼玉県深谷市にある鷲宮神社の氏子は鶏を食べない、と言いま
す。

 同じく埼玉県の久喜市にも鷲宮神社があり、こちらでは、戦前
まで鶏を奉納する習慣があったといいます。

 このふたつの鷲宮神社では、一方では鶏を食べず、もう一方で
は鶏を奉納するという違いはありますが、どちらも鶏が関連して
いる点では共通しています。

 鷲宮の鷲は、土師(はじ)が訛ったものと考えられ、鶏にまつ
わる風習が存在するのも土師氏が関係していたものと考えられる
のです。

 ―以上のことが、谷川健一が「鶏型土器について」にて述べて
いることなのですが、実際に久喜市の鷲宮神社は別名を「土師宮
(はにしのみや)」というそうです。


(つづく)