大国主の誕生624 ―物部氏と出雲 その12―
ただし、刈羽井については京田辺市大住の他にも綴喜郡井手町とする説もあります。
その大住の東、井手町の北に位置するのが旧青谷村(現在の京都府城陽市)です。
以前にも青谷村に関する谷川健一(『青銅の神の足跡』)の見解を紹介したことが
あります。青谷村は現在では城陽市に含まれて今では存在しておりませんが、かつての
青谷村が存在していたところには今も市辺という地名が残されているのです。谷川健一は、
これは市辺之忍歯王(イチノベノオシハ王)から来たものであり、また大柴という地名も
あり、これは忍歯からきたものだと考察しています。
さらには、青谷村という地名についても、市辺之忍歯王の妹、忍海飯豊青尊に由来
するかもしれない、と推測しています。
青尊は一名を青海皇女といいましたが、福井県大飯郡高浜町青と地新潟県加茂市に
青海神社(あおみ神社)が鎮座します。
ふたつの青海神社と青尊の関連については、以前に採り上げたところでもあり、また
今回の主題とは直接の関係がないため割愛させていただきますが、新潟県の青海神社が
加茂市に鎮座していること、神社の周辺の地名が加茂であり、これは鴨縣主に関連して
いるものとされています。
岐阜県美濃加茂市もそうでしたが、新潟県加茂市も鴨縣主と結びついているようです。
綴喜郡を含む南山城が、鴨縣主が平安京へと進出していくルート上にあることを考えると
単なる偶然とは思えないのです。
さて、阿曇氏ら海人を考察した時に、城陽市の水度神社(みと神社)と水主神社
(みずし神社)の関係について、を採り上げました。
水度神社の祭神は天照大御神と高御産霊神(タカミムスヒ神)、少童豊玉姫命(ワダツ
ミトヨタマヒメノミコト)の三神で、ただし天照大御神の祭祀は後世に追加されたもので
元々は高御産霊神と豊玉姫命の二神であったらしい、とその時にも紹介しましたが、
しかしながら、なぜ豊玉姫が祀られているのか、という理由については深く考察しない
ままでした。
それが、服(はた)から見ると、そのつながりがおぼろげながらも現れてくるのです。
三重県松阪市には神服織機殿神社(かんはとりはたどの神社)と神麻績服殿神社(かん
おみはたどの神社)が鎮座します。
この両社は皇大神宮(伊勢神宮の内宮)の所管社で、現在も続く伊勢神宮の神御衣祭
(かんみそさい)に関わります。
神御衣祭とはと、毎年5月と10月に、内宮の御正宮と荒祭宮に和妙(にぎたえ=絹織物)と
荒妙(あらたえ=麻織物)の2種類の神御衣を奉る祭礼のことで、御衣祭(おんぞさい)
とも呼ばれているものです。
うち、和妙は神服織機殿神社に、荒妙は神麻績服殿神社に奉織されます。
『倭姫命世記』には、
「麻績の郷と名づくるは、郡の北に神あり。この神、大神の宮に荒妙の衣を奉る。
神麻績の氏人等、この村に別れおりき。よりて名となす」
と、あり、荒妙の衣に従事する人々は麻績の郷に居住していたというのです。
さて、製鉄に関するところで何度となく採り上げたように、伊勢国は物部目大連らに
よる朝日郎討伐や天日別命による伊勢津彦討伐の伝承があり、「青」に関連する青墓や
青谷村、青海神社のつながりなど、非常に重要と思われるキーワードが多く存在するの
です。
天日別命(アメノヒワケノミコト)は、阿波の忌部氏の祖、天日鷲命(アメノヒワシノ
ミコト)とその名が似ていることから同神ではないか、ともいわれています。
忌部氏は伊勢国にもおり、伊勢の忌部氏の本貫は伊勢国員部郡(いんべ郡)とされて
います。
一方、阿波忌部氏の本貫は阿波国麻植郡といわれています。これは旧の麻植郡である
吉野川市に天日鷲命を祀る忌部神社と、その父神の天村雲神(アメノムラクモ神)と
伊自波夜比売(イジハヤヒメ。伊志波夜比売とも)を祀る天村雲神社が鎮座するからです。
ちなみに忌部神社は『延喜式』に載る式内社忌部神社に、天村雲神社は天村雲神衣自波
夜比売神社の論社です。
そして、麻植郡と同じ阿波国の名方郡に、豊玉比売の名を冠した天石門別豊玉比売神社と
和多津美豊玉比売神社が鎮座するのです。大和岩雄(『神社と古代民間祭祀』)によれば、
この両社のうち天石門別豊玉比売神社は忌部氏に関わる神社であるといいます。
ここで思い出していただきたいのが、豊玉比売の名を冠した式内社が阿波国にあるこの
ふたつの神社だけであり、豊玉比売の妹、玉依比売(タマヨリヒメ)の名を冠した式内社が
長野県長野市の玉依比売命神社だけであること。それから、豊玉比売と玉依比売の姉妹神は
綿津見神の娘なのですが、綿津見神の女婿である建御名方神の名を冠した神社が阿波国
名方郡の多祁御奈刀弥神社(たけみなとみ神社)と長野市の建御名方富命彦神別神社(たけ
みなかたとみのみことひこかみわけ神社)、それから飯山市の建御名方富命彦神別神社で
あること。すなわち、どちらも阿波と信濃のみ存在するということなのです。
そして、建御名方神信仰の総本家が諏訪大社も信濃に鎮座しています。
阿波と信濃を繋ぐものは、海人や製鉄にたずさわる人々ですが、ただ、なぜ阿波忌部氏が
豊玉比売の祭祀に関係しているのか、ということについては追及してこないままでした。
しかし、ここに物部氏を加えるとどうなるでしょう。
先述の、イカガシコオを祀った伊加加志神社は忌部神社と同じ阿波国麻植郡に鎮座するの
です。
海人や製鉄の人々と伊勢国が大きく関わっており、忌部氏も伊勢に関わっている。そして、
物部氏もまた伊勢に進出していった。さらには鴨氏の存在。
いろいろなことが物部氏と重なり、そしてつながっていくのです。
とは、言えまだまだたくさんの謎は残っています。
そのひとつが、なぜこれほどにまで出雲系の神々との結びつきが強いのか。というものが
あります。
これは、海人系氏族が出雲系の神々の信仰と結びついていたからだけではないように思え
ます。
ただし、刈羽井については京田辺市大住の他にも綴喜郡井手町とする説もあります。
その大住の東、井手町の北に位置するのが旧青谷村(現在の京都府城陽市)です。
以前にも青谷村に関する谷川健一(『青銅の神の足跡』)の見解を紹介したことが
あります。青谷村は現在では城陽市に含まれて今では存在しておりませんが、かつての
青谷村が存在していたところには今も市辺という地名が残されているのです。谷川健一は、
これは市辺之忍歯王(イチノベノオシハ王)から来たものであり、また大柴という地名も
あり、これは忍歯からきたものだと考察しています。
さらには、青谷村という地名についても、市辺之忍歯王の妹、忍海飯豊青尊に由来
するかもしれない、と推測しています。
青尊は一名を青海皇女といいましたが、福井県大飯郡高浜町青と地新潟県加茂市に
青海神社(あおみ神社)が鎮座します。
ふたつの青海神社と青尊の関連については、以前に採り上げたところでもあり、また
今回の主題とは直接の関係がないため割愛させていただきますが、新潟県の青海神社が
加茂市に鎮座していること、神社の周辺の地名が加茂であり、これは鴨縣主に関連して
いるものとされています。
岐阜県美濃加茂市もそうでしたが、新潟県加茂市も鴨縣主と結びついているようです。
綴喜郡を含む南山城が、鴨縣主が平安京へと進出していくルート上にあることを考えると
単なる偶然とは思えないのです。
さて、阿曇氏ら海人を考察した時に、城陽市の水度神社(みと神社)と水主神社
(みずし神社)の関係について、を採り上げました。
水度神社の祭神は天照大御神と高御産霊神(タカミムスヒ神)、少童豊玉姫命(ワダツ
ミトヨタマヒメノミコト)の三神で、ただし天照大御神の祭祀は後世に追加されたもので
元々は高御産霊神と豊玉姫命の二神であったらしい、とその時にも紹介しましたが、
しかしながら、なぜ豊玉姫が祀られているのか、という理由については深く考察しない
ままでした。
それが、服(はた)から見ると、そのつながりがおぼろげながらも現れてくるのです。
三重県松阪市には神服織機殿神社(かんはとりはたどの神社)と神麻績服殿神社(かん
おみはたどの神社)が鎮座します。
この両社は皇大神宮(伊勢神宮の内宮)の所管社で、現在も続く伊勢神宮の神御衣祭
(かんみそさい)に関わります。
神御衣祭とはと、毎年5月と10月に、内宮の御正宮と荒祭宮に和妙(にぎたえ=絹織物)と
荒妙(あらたえ=麻織物)の2種類の神御衣を奉る祭礼のことで、御衣祭(おんぞさい)
とも呼ばれているものです。
うち、和妙は神服織機殿神社に、荒妙は神麻績服殿神社に奉織されます。
『倭姫命世記』には、
「麻績の郷と名づくるは、郡の北に神あり。この神、大神の宮に荒妙の衣を奉る。
神麻績の氏人等、この村に別れおりき。よりて名となす」
と、あり、荒妙の衣に従事する人々は麻績の郷に居住していたというのです。
さて、製鉄に関するところで何度となく採り上げたように、伊勢国は物部目大連らに
よる朝日郎討伐や天日別命による伊勢津彦討伐の伝承があり、「青」に関連する青墓や
青谷村、青海神社のつながりなど、非常に重要と思われるキーワードが多く存在するの
です。
天日別命(アメノヒワケノミコト)は、阿波の忌部氏の祖、天日鷲命(アメノヒワシノ
ミコト)とその名が似ていることから同神ではないか、ともいわれています。
忌部氏は伊勢国にもおり、伊勢の忌部氏の本貫は伊勢国員部郡(いんべ郡)とされて
います。
一方、阿波忌部氏の本貫は阿波国麻植郡といわれています。これは旧の麻植郡である
吉野川市に天日鷲命を祀る忌部神社と、その父神の天村雲神(アメノムラクモ神)と
伊自波夜比売(イジハヤヒメ。伊志波夜比売とも)を祀る天村雲神社が鎮座するからです。
ちなみに忌部神社は『延喜式』に載る式内社忌部神社に、天村雲神社は天村雲神衣自波
夜比売神社の論社です。
そして、麻植郡と同じ阿波国の名方郡に、豊玉比売の名を冠した天石門別豊玉比売神社と
和多津美豊玉比売神社が鎮座するのです。大和岩雄(『神社と古代民間祭祀』)によれば、
この両社のうち天石門別豊玉比売神社は忌部氏に関わる神社であるといいます。
ここで思い出していただきたいのが、豊玉比売の名を冠した式内社が阿波国にあるこの
ふたつの神社だけであり、豊玉比売の妹、玉依比売(タマヨリヒメ)の名を冠した式内社が
長野県長野市の玉依比売命神社だけであること。それから、豊玉比売と玉依比売の姉妹神は
綿津見神の娘なのですが、綿津見神の女婿である建御名方神の名を冠した神社が阿波国
名方郡の多祁御奈刀弥神社(たけみなとみ神社)と長野市の建御名方富命彦神別神社(たけ
みなかたとみのみことひこかみわけ神社)、それから飯山市の建御名方富命彦神別神社で
あること。すなわち、どちらも阿波と信濃のみ存在するということなのです。
そして、建御名方神信仰の総本家が諏訪大社も信濃に鎮座しています。
阿波と信濃を繋ぐものは、海人や製鉄にたずさわる人々ですが、ただ、なぜ阿波忌部氏が
豊玉比売の祭祀に関係しているのか、ということについては追及してこないままでした。
しかし、ここに物部氏を加えるとどうなるでしょう。
先述の、イカガシコオを祀った伊加加志神社は忌部神社と同じ阿波国麻植郡に鎮座するの
です。
海人や製鉄の人々と伊勢国が大きく関わっており、忌部氏も伊勢に関わっている。そして、
物部氏もまた伊勢に進出していった。さらには鴨氏の存在。
いろいろなことが物部氏と重なり、そしてつながっていくのです。
とは、言えまだまだたくさんの謎は残っています。
そのひとつが、なぜこれほどにまで出雲系の神々との結びつきが強いのか。というものが
あります。
これは、海人系氏族が出雲系の神々の信仰と結びついていたからだけではないように思え
ます。