小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

姉の姿に感銘した?

2014年12月30日 01時42分33秒 | 日記
2012年5月26日(土)(4歳1か月)


 今日はゆうきとりえの小学校の運動会。

 堺市の小学校では、運動会は5月の最終土曜日か6月最初の
土曜日のどちらかで行われる。

 昔は秋だった。

 だけど、最近、夏は猛暑で運動会の練習が行われる9月は
残暑が厳しい。

 それで、熱中症の心配があるために5月末か6月頭に行われ
るようになったそうだ。

 ただ、この時期は暑くて保護者は大変だ。孫の頑張る姿を
見に来たおじいちゃん、おばあちゃん達のことも心配になる。

 ゆうきとりえは6年生だから、今年が最後の運動会になる。

 毎年、雨などで中止になると翌日の日曜日に行われる。もしも
日曜日もまた中止なら平日に行われる。
 実は去年がそのパターンで平日に行われたから僕は観に行っ
ていない。

 6年生の演目と言えば、何と言っても組体操だ。

 毎年、6年生を孫に持つおばあちゃんがこの組体操を見て
泣いている光景を目にする。

 ゆうきもりえも背が高いので土台の役である。

 組体操が終わった後、他の子たちが、騎馬戦の馬を作り、
土台役の子を乗せて保護者席の前を行進していく。


 運動会が終わり、家に帰った後、春奈が僕に、

 「ゆうきとりえ、他の子に乗せてもらってたな」

と、言った。

 演目よりそっちの方がインパクトあったのかよ?

 もしかすると、土台役の子に対するねぎらいと感謝の意味を
込めた馬だった、ということが春奈にも感じられたのかもしれ
ない、

 そうして、馬に乗せてもらっていたお姉ちゃんたちの姿を
見て何かを感じていたのだろうか。


 ところで話は変わるけど、以前、ヒッポファミリークラブの
仲間が、ホームステイ受け入れ中の韓国のゲストを運動会に
つれていったところ、騎馬戦を観て、その韓国人のゲストが、

 「日本人ってすごいですね。もし韓国でこんなのしたら
ケンカになりますよ」

と、言ったそうだ。

 まあ、良きにつれ悪しきにつれエキサイトしやすい民族性だから
ねえ。

 演目は騎馬戦でもガチで「戦」になったらシャレならんわな。

346 ふたつの日下

2014年12月30日 01時38分29秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生346 ―ふたつの日下―


 春日についても語りたいことが山ほどありますが、話がさらに膨らんでしまうので
ここまでにとどめておきたいと思います。
 このように、堺市の日下と東大阪市の日下は関係があるようです。

 そして、若日下部王も日下と関わります。
 『古事記』には、雄略天皇が皇后若日下部王のところを訪ねる場面が登場しますが、
ここでは、はっきりと、

 「初め大后、日下に坐しし時に」

と、記しており、若日下部王が日下にいたことが分かるのです。
 この日下は東大阪市の日下であるとする説が大勢のようですが、堺市の日下である
可能性も捨てきれません。
 『古事記』にある上の一文は、雄略天皇が日下にいる若日下部王を訪ねようと生駒山
の南方にある直越(ただごえ)道を通っていた時に、山上から見た志幾大県主(しきの
おおあがたぬし)の家が天皇の宮に似せて造られていることに怒るというエピソードの
中に登場します。
 ただし、河内国の志紀大県主(志幾大県主)の拠点は志紀郡(現在の大阪府藤井寺市
を中心とした地域)ですので、生駒山からはっきりと志幾大県主の邸宅が見えたのかと
いう疑問があり、そうすると、日下は堺市の日下の可能性も考えられるのです。
 すると、この場合、天皇が志幾大県主の邸宅を目にしたのは志紀郡に入ってからか、
もしくはその近くまで来た時ということになります。
 志紀郡から大鳥郡の日下に向かうと仮定すれば、こちらの方が生駒山の上から見た、
というよりは理にかなっているように思えますが。
 ちなみに、藤井寺市の旧道明寺村は昔の交通の要所でもありましたが、現在ここには
近鉄土師ノ里駅があります。
 志幾大県主の祭祀する志紀県主神社が鎮座する藤井寺市惣社もこのすぐ近くで、土師ノ
里駅にそばには雄略天皇の父、允恭天皇の陵墓とされる市野山古墳もあります。

 若日下部王の兄、大日下王は安康天皇に殺されてしまいます。それは、安康天皇が根臣
を使者に送って、大日下王に若日下王(若日下部王)を大長谷皇子(後の雄略天皇)の妻
にしたいと伝えたところ、大日下王は快諾したにもかかわらず、その時に大日下王の献上
した宝物を根臣が着服し、天皇に、
 「大日下王は、命を受けずに、『妹を同族の妃などにはやらぬ』とおっしゃり、刀の柄
に手をかけてお怒りになられました」
と、嘘の報告をしたことで、天皇は怒り、大日下王を殺してしまったのです。
 この事件から時が流れて、雄略天皇14年に、事件の真相が発覚します。
根臣は日根に逃げると、そこに稲城を築いて籠城しましたが雄略天皇の送った兵によって
滅ぼされてしまいます。

 根臣が討たれた後、一族を2つに分けられ、一方を大草香部民(おおくさかべのたみ)
として皇后に与えられ、もう一方を負嚢者(ふくろかつぎびと)にして茅渟県主に与えら
れた、と『日本書紀』は伝えます。
 根臣の子、小根使主は許されましたが、人に、
 「天皇の城は堅固にあらず。わが父の城は堅固なり」
と、語ったのが天皇の知るところとなり、家臣に根使主の邸宅を見に行かせたところ、本当に
立派過ぎる邸宅であったために、結局処刑されてしまいました。
 『日本書紀』は、この後、根使主(根臣)の本宗は坂本臣となった、と伝えます。

 この伝承は、一方で和泉国の日下と若日下部王の関連も考えさせるものでもあるのです。
 なぜならば、根臣が逃げ込んだ日根は和泉国日根郡(現在の大阪府南部)のことであり、
日下のある大鳥郡の南に位置するからです。本拠が近いからこそ根臣が使者に選ばれたとも
推測できるのです。

 ただ、若日下部王がいたとされる日下が東大阪市の日下であれ、堺市の日下であれ、両者
にはつながりがあるのは確かなようです。
 それというのも、堺市の日部神社の祭神が、神武天皇、彦坐王、道臣命からです。
 『延喜式』によれば、当社の祭神は一座となっているので、当初は日部氏の祖彦坐王(日子
坐王)のみを祀っていたと考えられます。それが、神武天皇と、神武東征で活躍した道臣命も
祭神に加えられたのは、神武天皇の軍が日下に上陸したという『古事記』と『日本書紀』の
伝承によるものと考えられるからです。

 ですが、神武天皇はともかく道臣命も祭神に加えられた理由は何なのでしょうか。
 『日本書紀』には、道臣命ははじめ日臣命といった、とあります。
 神武天皇が大和に進軍する時に、天照大御神は八咫烏(ヤタノカラス。ヤタガラスとも)に
道案内をさせます。この時、日臣命は先頭に立って、八咫烏が飛んでいく後を追い、道なき道
を進んで道案内の役目を務めたので、神武天皇から道臣命の名を頂戴したのです。
 道臣命の元の名が日臣命と「日」が含まれていること、太陽神である天照大御神が送った
八咫烏が示す道を先導したこと、これらのことから日下の地で祀られるようになったのでは
ないでしょうか。

 ところで、この日下に葛城氏が関係しているようなのです。

会いたい人がいる

2014年12月29日 01時02分18秒 | 日記
2012年5月22日(火)(4歳1か月)


 春奈を風呂に入れている時に、

 「交流どこ行こかなあ」

と、言いだした。

 ヒッポファミリークラブでは、小学5年生になると、夏休みに、
韓国、ロシア、台湾に、ひとりで行くホームステイプログラムが
ある。

 ゆうきはロシアへ、りえは台湾にホームステイに行った。

 春奈も小学5年生になるとホームステイに行くつもりでいる。

 そして、その時にはどこに行こうかと迷っているようだ。

 「台湾もいいけど虫、多いからな」

と、言う。

 まあ、春奈は虫がキライやからねえ。

 「韓国もいいけどな。辛いの食べれないし」

 韓国料理は辛い物ばかりじゃないけど。それに小学5年生に
なった頃には今より辛い物が食べられるようになってるかもしれ
ないよ?

 「はる、これまで台湾かロシアのどちらかに行く、と言うてた
やん。韓国も考えてるのか?」

と、僕が訊くと、

 「ひーちゃんの家に行きたい」

 ひーちゃんと言うのは、去年にみんたと一緒に家族交流でホーム
ステイした韓国のホストのことだ。

 もっとも、ひーちゃんは独身だから青少年交流のホストはムリだよ。

 青少年交流のホストは基本、子供のいる家庭だから。

 春奈にとって韓国は行ってみたい国ではなく、会いたい人のいる国
なんだな。

 メキシコのエクトールを受け入れした後に、春奈が、「メキシコに
行きたい」と言い出したけど、その時も、

 「エクちゃんの家にステイする」

と、言っていた。

 春奈の歳で、会いたい人が世界中にいるというのもうらやましい話だ、
と思う。

多言語は源を知ること

2014年12月28日 02時43分51秒 | 多言語
2012年5月20日(日)(4歳1か月)


 たまには少し真面目なことも語ってみたい。

 これからの時代、日本企業であっても、海外にも拠点を持つ企業は、
社内では英語を用いるようになっていく、最近よく聞く。

 海外で展開していくために、海外の社員がほしいし、外国人の社員に
活躍してもらうためには社内の言葉を英語で統一した方が効率がいい、
ということらしい。

 そんなもんかねえ、と、正直思う。

 日本人社員が日本語ではなく英語を話す。ドイツ人社員や中国人社員
も英語を話す。

 社員すべての言語が英語ひとつならコミュニケーションが滞ることも
なくなる、という考え方だ。

 しかし、言葉を統一することが便利につながる、という考え方は怖い。

 これからのグローバル化の時代、世界中の人がみんな英語で会話すれば
コミュニケーションがスムーズになる、という考えることと同じことだか
らだ。

 よく、相手の国の文化や風習を知り尊重しよう、と言う人がいて、これ
は僕も賛成なのだけど、言葉が英語で統一されるとそうはいかない。

 なぜなら、言葉は、「時間」を超えられるものだからだ。

 人間以外の生き物のコミュニケーションは「現在」のことしか伝える
ことができない。

 過去の話は伝えることができないし、未来のこと、たとえば「もうすぐ
嵐がくる」などは伝えることができない。

 その点、人間の言葉は、過去のことや未来のことを伝えることができる
ものなのである。

 人間は過去のことを文字という言葉を視覚化したもので知ることができる。

 日本人ならば、『古事記』や『万葉集』などから、古代から綿々と続く
日本人の心のありようを知ることができるのだ。

 だけども、もし日本人が日本語を捨てて英語だけを話すようになれば、
『古事記』や『万葉集』を読むことができなくなってしまうのである。

 日本人が自分たちの文化や精神の源を知ることができなくなってしまう
わけだ。


 多言語が話せるということは、相手の国の文化や思想を理解する上で
とても役立つものなのである。

歌のルール

2014年12月26日 01時58分49秒 | 日記
2012年5月19日(土)(4歳1か月)


 前にも書いたけど、この春から保育所に通うようになった
春奈は、保育所で習った歌を家でもよく歌う。

 あまりによく歌っているものだから僕の中にも刷り込まれて
しまっていて、今日も無意識にそんな歌のひとつを僕も口ずさ
んでいた。

 すると、春奈が、

 「おとうさん歌ったらアカン!」

と、怒った。

 「なんで?」

 「それ春奈の歌!」

 いや、お前の歌やなくて、みんなの歌やろ?

 そう言えば、大人でも、カラオケで自分の持ち歌を他の人が
歌うと、

 「それ私の歌!」

と、怒る人がたまにいる。

 それかて、お前の歌やなくてその歌を歌っているシンガーの
歌やろ、と思う。

 そもそも、他の人が歌ったかて別にええんちゃうん?

 思うに、そういう人は、1回誰かが歌った曲と同じ曲を歌っちゃ
ダメというルールがあるのだろう。

 僕なんかは、同じ曲が何回歌われてもいいじゃん、と思ってるが?

 その点、ヒッポのファミリーでは、マイクタイムで誰かが歌った
のと同じところを歌っても全然OKである。(ちなみに、ヒッポの
「歌う」は歌を歌うことではなくて、ストーリーCDにある場面を
マネっこして口に出すこと。つまりは物語を語ることなのだけども)

 変にルールを設定してそれに縛られてしまうのって無意味じゃない?