小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

人物関係がわかっているらしい

2013年01月31日 01時11分24秒 | 日記
2010年4月22日(木)(2歳0か月)


 仕事が長引いたので今日は(も?)和泉中央のファミ
リーは欠席。

 家に帰ると、家族はもうファミリーから帰って来てい
た。

 ふと春奈を見ると、僕が見たことのないピン止めを髪
にしている。

 「そんなん持ってたんか?」

と、訊くと、春奈が、

 「じゅうべえ、ももちゃんのおーおちゃんにもらった」

と、答えた。

 おーおちゃん、ってもしかして「りょうこちゃん」の
こと?

 すると、やっぱり、みんたが、

 「それ、りょうこちゃんにもらってんなー」

と、春奈に話しかけていた。

 りょうこちゃん、というのは、フェロウのモモちゃんと
そのエスポーソ(スペイン語でだんなさんのこと)十兵衛
の娘さんである。

 それにしても、「十兵衛、モモちゃんのりょうこちゃん」
という言い方が興味を引いた。

 人物関係をしっかり把握しているのだな、春奈は。

92 雷神と土の器

2013年01月31日 01時06分07秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生92 ―雷神と土の器―


 オオナムチは大国主と同神とされるようになるわけですが、たしか
にオオナムチには地主神としての性格がみられます。
 このオオナムチが、製鉄に関わる氏族たちの伝承が多く伝える『播
磨国風土記』の中に、土の入った袋を担ぐ神として描かれているのは
どういう意味を持つのでしょうか。

 これには、その土地の土を所有していることで土地の主を意味する
のだ、という説があります。
 「崇神紀」のアタヒメが香久山の土を取って、「これは倭の国の物
代」と、呪言をおこなったのも、大和の地を夫のタケハニヤスビコの
ものにするためのものと解釈する説があり、この2つは同じ考え方で
しょう。

 しかし、それだけでしょうか。
 『常陸国風土記』の那賀郡の項にはそのカギとなるかもしれない
伝承が記されています。

 製鉄に関わる人々は雷神も祭祀していたと見られているのですが、
雷神と土の関連を考える上でも興味深いものです。

 ヌカビコとヌカビメという兄妹がいた。
 夜になると、正体を語ることなくヌカビメを訪ねる男がいた。つい
には夫婦となりヌカビメは一夜で懐妊した。
 やがて臨月が来てヌカビメは小さな蛇を生んだ。蛇は、昼間はもの
言わず夜になると母と語りあった。
 兄のナカビコと兄妹の母は、この子の父親はきっと神にちがいない、
と思い、祭祀用の器に蛇を入れ、祭壇も設けた。
 しかし、蛇はどんどん大きくなっていき、ついにはその体を納める
器が亡くなってしまった。
 ヌカビメは蛇に、
 「あなたはきっと神の子にちがいありません。ですが、わが家の
財力ではあなたを養うことができません。あなたは父のもとに行きな
さい」
と、言えば、蛇も涙をぬぐって言った。
 「母さまがそのようにおっしゃるならば従いましょう。ですが、ひ
とつお願いがございます。身一人では心細いのでどうか童子を1名、
従者につけていただけませんか?」
 ヌカビメが答えた。
 「この家にいるのはお前のおばあさまと伯父さまだけしかいないこ
とは知っているでしょう?従者となる者はおりませんし、召し抱える
財力もありませんよ」
 蛇はこのことを恨み、それっきり何も言わなくなった。
 そして、いよいよ旅立ちの時に、怒りがおさまらず、雷で伯父の
ヌカビコを殺し、それから天に昇ろうとした。
 この行為にはヌカビメも驚き、瓫(ひらか)をわが子に向けてぶつ
けると、蛇は天に昇る力を失い、そのまま晡時臥山の峯にとどまった。
 盛し瓫と甕は今も片岡の村にある。
 その子孫は社を建てて祭祀をおこない、代々これを絶やしてはいな
い。

 この蛇は明らかに雷神でしょう。
 瓫を投げつけられて天に昇ることができなくなったことから、瓫な
どの土で作った器が雷神の力を消滅させるものだとする考えがありま
す。
 ですが、むしろ土の器は雷神を従えるための物であったとも考えら
れるのです。
 雷神を滅ぼすためではなく、服従させその力を借りることが目的
だったとも考えられるわけです。

 それから、神がヌカビメのもとに、正体を明かさないまま通うとこ
ろや、神の怒りで人が死ぬところは、『日本書紀』のモモソヒメの伝
承に共通しています。

ヤマトトトトビモモソヒメは、オオモノヌシの妻となった。しかしな
がら神は昼間には姿を見せず、夜になるとモモソヒメのもとにやって
来た。
 ある時、モモソヒメが言った。
 「あなたは昼間にはいらっしゃらないので、そのお顔をみることが
できません。どうか今夜はここにお泊まりくださいませ。そうして朝
が来て明るくなった時に、そのうるわしいお姿をお見せください」
 それに対し、神は、
 「そなたの言うことももっともだ。それならば吾は明日の朝、そな
たの櫛笥(くしげ=櫛を入れておく箱のこと)の中に入っていよう。
ただし、私の姿を見ても決して驚いてはいけないよ」
と、答えた。
 モモソヒメは妙に思いながらも朝を待ち、櫛笥を開けてみると、1匹
のきれいな蛇がいた。モモソヒメが驚いて悲鳴を上げると、蛇は人の
姿に変わり、そして妻に向かって、
 「約束にたがえて驚いてしまったね。そなたは吾に恥をかかせた。
だから吾もそなたに恥を与えよう」
と、言うと、空に翔けあがり、御諸山に帰っていった。
 モモソヒメは神が去っていくのを仰ぎ見ながら、過ちを悔い、その場
にへたり込んだが、その時に箸で下腹部を突いてしまい亡くなってし
まった。
 モモソヒメの亡骸は、大市に葬られた。人々はその墓を箸墓と呼ぶ。
この墓は、昼間は人が作り、夜は神が作った。

 この神は三輪山のオオモノヌシとされていますが、このオオモノヌシ
を祭祀する大神神社では、祭祀に用いる器に陶邑の陶器が使用されて
いました。

 『日本書紀』の「雄略紀」には、雄略天皇が小子部栖軽(ちいさこべ
のすがる)に「御諸岳」の神を捕らえるよう命じる話が載っていますが、
この時に栖軽が捕らえてきた御諸岳の神は大蛇の姿をしていて目は
輝き、体から雷光を放っていた、と書かれています。
 まさに蛇紙であり雷神であったわけです。


・・・つづく

数の順番がおかしいのはなぜ?

2013年01月30日 01時44分18秒 | 日記
2010年4月21日(水)(2歳0か月)


 入浴中は、肩までおゆにつかって、20数える、ということ
を春奈にはさせている。

 もっとも数を数えるのは僕の役目だ。

 最近、春奈も声を出して数えるようになった。

 ただ、

 「いーち、はーち、さーん、しー」

と、いつも2が8になってしまう。

 それで、今日ふと思ったのだけど、春奈の中で、1と7が
ごっちゃになっているのではないか?
 それで「7、8」という風になるのでは?

 7は標準語では「しち」だけど、僕は根っからの大阪人なの
で当然ながら「ひち」と言う。

 大阪では今でも「ひち」と表記している質屋さんがある。

 「しち」より「ひち」の方が「いち」に近いような気がする。

 それで春奈が混ぜてしまうんじゃなかろうか?

 ちなみに僕は、台湾語の1と7(どちらも「チッ」。発音が
ちょっと違う)の区別がつかない。


 さて、その風呂上り。

 みんたが、座りこんでいるりえに、蹴つまずいた。それで、

 「ごめんなー」

と、みんたが謝ると、春奈が、

 「いいよー」

と、りえの代わりに答えていた。

 自分も関わっていないと気が済まないのか?

2歳になると悪くなると言うけども

2013年01月29日 01時20分55秒 | 日記
2010年4月20日(火)(2歳0か月)


 赤ん坊も成長して2歳にもなると悪くなるという。

 お母さんたちの間では「魔の2歳」なんて言葉も
あるらしい。

 春奈も2歳。女の子だから男の子みたいに行動で
悪さすることは少ないけど、言葉がたつだけに、言動
が悪くなってきているかもしれない。

 さて、今日は毎週火曜日の北野田ファミリー。

 ファミリー中、春奈が甘えて僕の左足に抱きついて
きた。

 それを見たゆうきがふざけて僕の右足に抱きついて
きて、

 「ゆうきのパパ」

と、春奈に向かって言った。

 春奈も負けていない。

 「はるなのパパ」

と、言い返すものだから、ゆうきが面白がって、

 「ゆうきのパパ」

と、また言うと、

 「うるたい(うるさい)!!」

と、春奈が吠えた。

 全然負けてない。

 けど・・・

 やっぱり2歳になって少し悪くなった。


 その夜は春奈がなかなか寝ようとしない。

 ふとんの上を転がったり、寝っころがったまま歌を歌っ
たり。

 それで僕が、

 「春奈ねんねしいや」

と、言うと、

 「今ねんねしてる」

 ・・・口ごたえか?

 ホンマに悪くなったな。

 あと、現在進行形なんかで口ごたえするなよ。

91 ハニヤスビコとオオナムチ

2013年01月29日 01時15分05秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生91 ―ハニヤスビコとオオナムチ―


 それから製鉄と土の関連として、天の香久山の伝承があります。
 香久山は「香山」とも表記され、これが「かぐやま」で「香」は「鉱」と
同じなのですが、香久山が神話化されて天の石屋戸のエピソードに登場しま
す。

 『日本書紀』では、八十建(やそたける。八十梟帥と表記)を討伐しよう
とした神武天皇の夢の中に天つ神が現れて、
 「天の香久山の社の土を取りて天の平瓫(あめのひらか)80枚を作り、
同時に厳瓫(いつくへ=神酒を入れる瓶)を神に供えよ。その上で厳呪詛
(いつのかしり=呪術のひとつ)を行えば敵はおのずから伏する」
と、お告げをくだし、同時に、神武天皇に帰順したオトウカシも
 「天の香久山の社の土で天の平瓫を作り神々にお供えすれば必ず敵を打ち
破ることができることでしょう」
と、夢のお告げと同じことを進言したので、天皇は、これは間違いない、オ
トウカシとサオネツヒコ(倭国魂神を祭祀する大倭氏の始祖)のふたりに香
久山の土を採りに行かせます。

 また、10代崇神天皇の時代におけるタケハニヤスビコの反乱の時には、
タケハニヤスビコの妻吾田媛(アタヒメ)が、香久山の土を取って、
 「これは倭の国の物代(ものしろ)」
と、呪言をした、とあります。
 鉄のイメージを持つ香久山には、同時に土の儀礼が伝えられているのです。
 この反乱を鎮定したのが丸邇臣(わにのおみ)の祖ヒククニブクなのです
が、ヒコクニブクは敵地である南山城に向かう途中で、忌瓦(いわいべ)を
据える儀式をおこなっています。
 この丸邇氏も製鉄に関わっていたとする説があるのですが、ここでも土器
を用いた儀礼の伝承が残されているわけなのです。

 ところで、タケハニヤスビコという名前ですが、これと似た名前の神が
『古事記』に登場するのです。
 
 イザナミはこの火の神カグツチを生んだ時にお股を焼かれてしまい、それ
が原因で病に臥せってしまいました。
 イザナミがお腹の中のものを吐いてしまった、その中から、
 金山毘古神(カナヤマビコの神)と、
 金山毘売神(カナヤマビメの神)
の、2神が生まれました。
 また、大便からは、
 波邇夜毘古神(ハニヤスビコの神)と、
 波邇夜毘売神(ハニヤスビメの神)
の、2神が生まれました。

と、あり、ハニヤスビコの神なる神が登場します。土(はに)というから土
の神とされています。
 しかも、製鉄の神であるカナヤマビコ、カナヤマビメと同じく、カグツチ
誕生に関連して生まれる神です。
 カグツチは火の神であり、「カグ」は香久山の「香」に通じますが、土の
神と考えられているハニヤスビコとハニヤスビメが火神と関係しているのは
無視できません。

 大阪府堺市から和泉市にかけて広がる陶邑窯跡群。この陶邑で作られた陶
器が大和の大神神社の祭祀に用いられていたのですが、陶器は朝鮮半島から
伝わったものであり、陶邑の工人たちも渡来人ではなかったかと言われていま
す。
 ところが、この陶邑周辺からも銅鐸が出土しているのです。

 『播磨国風土記』にも、多くの伊和の大神やアシハラシコオとアメノヒボ
コの国占め争いに関する記事に混じるかのようにして、神前郡の項に次の
ような神話が記されています。

 埴岡(はにおか)の里。土は下の下なり。埴岡の地名の由来は、昔、大汝
命(オオナムチノミコト)と小比古尼命(スクナヒコネノミコト)が、
 「土の入った荷を担いで遠くまで行くのと、大便をガマンして遠くまで行く
のと、どちらが可能か」
と、言い争って、
 「それでは、吾は大便をガマンして行こう」
と、オオナムチが言った。
 「それでは、吾は土の入った荷をかついで行こう」
とスクナヒコネが言った。
 こうして2神は争って歩き始めたが、数日後、オオナムチは、
 「もうこれ以上はムリだ」
と、言ってしゃがみこみ大便をした。
 それを見てスクナヒコネは笑い、
 「吾ももうムリだ」
と、言って土の入った荷をこの岡の上に投げ捨てた。
 それが埴岡の地名の由来である。
 また、大便をした時に、便が小竹に弾かれて衣に付いた。それで波自賀
(はじか)の岡という。
 この時の大便と土は石となって今も残っている。
 また、いわく。応神天皇がこの地を訪れた時、宮をこの岡に作り、
 「ここの土は埴として用いることができるだけだ(農業には向いていない)」
と、おっしゃられたのが埴岡の地名の由来と言う。


・・・つづく