小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

熊野那智大社その2

2013年12月28日 15時09分24秒 | パワースポット
パワースポット編 ―熊野那智大社その2―


 なお、熊野那智大社の祭神は熊野夫須美神(クマノムスビノミ
コト)という。熊野那智大社によると、この神は伊邪那岐命(イ
ザナキノミコト)のことだとある。
 なぜ伊邪那岐と熊野夫須美が同神なのかよくわからないけど、
『出雲国風土記』の意宇郡の条には、伊邪那岐の御子として熊野
加武呂命(クマノカムロノミコト)という神が見えるので、熊野
の神と伊邪那岐との間には何からの関係があるのかもしれない。

 また、天照大御神の御子、熊野久須毘命(クマノクスビノミコ
ト)だとする説もある。
 まあ、たしかに名前は似ている。
 この神は、『古事記』によれば、スサノオノミコトが天の安河
で、天照大御神の髪の髪飾りの珠をもらい、これも口に含んで噛
み砕き、そして、それをふっと吹いた時に、霧のようなその息吹
の中から生まれた神だという。
 けど、天照大御神の珠から生まれたので天照大御神の子だとい
うわけである。
 ところで、この時にスサノオがもらった珠は合計5つで、その
すべてから同じ方法で5柱の神々を生みだしている。
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノ
オシホミミノミコト)
 天之菩卑能命(アメノホヒノミコト)
 天津日子根命(アマツヒコネノミコト)
 活津日子根命(イクツヒコネノミコト)
そして、熊野久須毘命である。
 ちなみにアメノオシホミミは天孫降臨のホノニニギノミコトの
父である。
 また、アメノホヒは出雲国造らの始祖になっている。

 ただし、熊野那智大社の、本来の祭神はこの後に訪れる飛瀧
神社(ひろう神社)の「那智の滝」だった。
 このことは熊野那智大社が公式に認めている。
 つまりは、滝を神として祀っていたのである。


 全国的に知られている有名な神社でも、祭神が不明な場合が多い。
 公式に祭神としている神とは違う神を本来の祭神としている場合
が多々あるからだ。
 このことは、伊勢神宮や出雲大社などでも言える。
 じゃあ、どうして本当に祀っている神とは違う神を祭神として
公表しているかと言えば、神社では主祭神の他に摂社などでいろ
いろな神も祀っているけど、長い歴史の中で新しく取り入れた神
をいつしか主祭神としなければいけない事情になったりだとか、
あと政治的な事情でそうしなければいけなくなったりなどの理由
による。
 熊野那智大社みたいに、「本来の祭神はこの滝なんですよ」と
公表している神社は少ない。

 熊野那智大社と青岸渡寺を参拝して飛瀧神社に向かう。そのコー
スも世界遺産熊野古道の一部である。
 朝の9時だと言うのに参拝の人でいっぱいだ。



 飛瀧神社の祭神は大己貴神(オオナムチノミコト)になっている
けど、さっきも言ったとおり滝が御神体で、本殿も拝殿もない。

 この滝は通称那智の滝と呼ばれ(本当の名称は一の滝)、落差
133メートルで一段の滝としては日本一。
 水流は落下する途中で突き出た岩にぶつかって数条に分かれる
のだけど、それは白龍のように見える。
 眺めているだけで、心が清められ、活力をいただける気がする。
 まさしくパワースポットだ。



 日本では、滝はしばしば龍にたとえられる。
 そして、日本の神には、龍や蛇の姿を持つ神も少なくはない。
 出雲大社では、神は龍蛇の姿でやって来るという。
出雲大社の神在祭の一神事に、龍蛇を海上に迎える神事がある。
 毎年10月11日より15日までの間に、海上より白波の上を
藻に乗って錦紋小蛇(セグロウミヘビ)が杵築の海辺にやって来
る。これを出雲大社の祭事では龍蛇と呼ぶ。龍蛇が寄り来た時、
神官が潔斎して海辺に出て、玉藻をもって袖に承けると龍蛇はそ
の上に留まる。そして、それを六角の曲物に納め、標縄を張り、
神殿に納めるというものだ。


 下山して昼食を取ると、いよいよ伊勢神宮に出発。
 ところが、伊勢神宮に近づいたころに、みんたが発熱した。元
から調子が良くない、とは言っていたのだけど・・・。
 近くまで来ているとは言え、体調が悪い時に伊勢神宮に参拝す
べきじゃない。帰ることにした。

 伊勢神宮のような強力なパワースポットには体調の悪い時に訪
れてはいけない。
 例えるなら、太陽。人は日光を浴びないと体に良くないけど、
体調が悪い時に真夏の太陽の下にい続けたなら、熱中症にかかり
やすいし、死んでしまうことさえある。
 それと同じで、体調の悪い人が行けば、その強いパワーに元気
をもらうどころか逆に体が耐え切れずに悪化させてしまうことに
なりかねない。

 神のパワーのすごさを伝えるエピソードが『日本書紀』にある。

 崇神天皇5年に、疫病が流行し、多くの人が死んで国が乱れた、
という。
 崇神天皇たちがその原因を探ると・・・
 この時まで、天照大神と倭大国魂神は天皇の大殿にて祀られて
いたのだけども、「ともに神の勢いが強すぎて同じところに祀ら
れておられなくなったのであろう」と、なった。
 それで天照大御神を大和の笠縫邑(かさぬいむら)に移して豊鍬
入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)に祀らせ、倭大国魂神を渟
名城入姫命(ヌナキイリヒメノミコト)に祀らせることにした。

 神のパワーがぶつかり合って世が乱れた、と解釈されたわけだ。

 しかし渟名城入姫命は、髪が抜け落ち、体が痩せ衰え、祭祀を
行うことができなくなってしまった、と『日本書紀』にある。
 神のパワーはそれほどまでにすさまじい。

 そんなわけで今回は熊野那智大社だけで家に帰る。

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