小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

生成文法

2017年05月31日 01時21分15秒 | 日記
2013年9月3日(火)(5歳5か月)
 
 
 きのうの件だけども、日本語も英語も同じ「人間の言葉」、違いを
見つけるのではなく同じを認める、ということについて書いた。
 
 このことはこれまでにも何度か書いた。
 
 ただ、これは観念的なものでは決してなく、本当に日本語も英語も
同じ言語なのだ。
 
 そう、すべての言葉は同じ言語なのである。
 
 そして、人間は初めから言語を持って生まれてくるのだ。
 
 ノーム・チョムスキーが唱えた「生成文法」である。
 
 生成文法というのが、今言ったように、人間には生まれながらに
して持っている言語のことだ。
 
 もっと厳密に言えば、生成文法の正体は言語の原初の状態、
あるいは言語の設計図と言うべきもの。
 
 人間にはこれがあるから、母国語がマスターできるし、もし、
日常的に3、4つの元号が同時に話されている環境に生まれたの
ならそれだけの言語が話せるようになるというのだ。もちろん、
赤ちゃんの時だけでなく大人になってからでも他の言語が話せる
ようになる、という。
 
 実際、複数の言語が存在するインドやアフリカでは、大人に
なってからいくつも言葉が新しく話せるようになる。
 
 なぜなら、地球上に存在する言語のすべては生成文法から発展
したものであり、まったく別のところから誕生した言語などはただの
ひとつも存在しないからだ。
 
 つまり、日本語も英語もスワヒリ語も根本はすべて生成文法という
「言語の種」だということだ。
 
 事実、乳幼児は、牛乳とミルク、と同じものに2通りの名称が
あっても混乱することはない。日本語だとか英語だとか区別しない
乳幼児にとって牛乳もミルクも同じ「自分が使う言葉」なのであり、
英語も日本語も同じ言語ということになるわけだ。
 
 だから、多言語の習得も可能なのである。

593 大国主に秘められた製鉄の性格 その14

2017年05月28日 01時39分35秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生593 ―大国主に秘められた製鉄の性格 その14―
 
 
 『海部氏勘注系図』によれば、天香語山命の御子神の天村雲神と丹波の伊加里姫命との
間に生まれた倭宿禰命という神が倭氏の祖とあります。
 すると、倭宿禰命は椎根津彦(シイネツヒコ)ということになり、同時に天香語山命の孫と
いうことになるわけですが、ただ、このことは『古事記』にも『日本書紀』にも記されていない
ので信憑性に欠ける、と言わなくてはなりません。
 もっとも、『海部氏勘注系図』は日本海側の丹後国の籠神社に伝わるものであり、後述
する青海神社も日本海側ですので、中央にて編纂された『古事記』、『日本書紀』とはまた
異なる伝承が存在していた可能性も残されます。
 
 一方で、『先代旧辞本紀』は、天村雲命の御子神を、天忍人命、天忍男命、忍日女命の、
二男一女としています。
 二男のうち、兄の天忍人命は異母妹の角屋姫をまたの名を葛木の出石姫を娶って二男が
生まれました、とありますが、気になるのは葛木の出石姫です。おそらくは大和国葛城の
女神なのでしょうが、出石という名は但馬国の出石を連想させるものです。
 ちなみに但馬国出石郡(現在の豊岡市)の伊福部神社では天香山命が祭神として祀られ
ています。
 
 それから、弟の天忍男命は葛木の国つ神、剣根命の娘、賀奈良知姫を娶って二男一女が
生まれました、とあります。
 
 剣根命は、『日本書紀』にも登場し、神武天皇の大和平定に際しては、その活躍は何も
記されていないながら、シイネツヒコが倭国造に、剣根命が葛木国造になったと書かれて
います。
 それから、オオタタネコの陶邑に比定される地には陶荒田神社が鎮座しますが、伝承では
オオタタネコが祭祀を司り、祭神もオオタタネコの先祖であったといわれています。
 もっとも、現在の祭神は高魂命(高御産霊命=タカミムスヒノミコト)、剣根命、八重事代主命、
菅原道真で、うち菅原道真に関しては平安以降に祀られるようになったことは明らかですが、
タカミムスヒが祀られるようになったのは、この地にいた荒田直がタカミムスヒを始祖として
いたためと考えられます。
 ただ、ここに剣根命も加えられているところが興味を惹きます。
 
 椎根津彦と剣根命の国造を賜った、となると、弟猾(オトウカシ)についても採り上げない
わけにはいきません。
 椎根津彦と剣根命がそれぞれ倭国造と葛木国造を賜った時に、オトウカシも猛田邑(たけだ
むら)を与えられ猛田縣主となった、と『日本書紀』にあります。
 その猛田縣(たけだのあがた)の比定地のひとつが奈良県橿原市竹田町なのですが、ここ
には竹田神社が鎮座します。
 そして、その竹田神社の祭神が天香久山命なのです。
 なお、祭祀氏族は竹田川辺連とされています。竹田川辺連は『新撰姓氏録』に、「火明命
五世の孫、建刀米命の後」とあり、天香語山命の直系ということになります。
 
 このことが何を意味するのかということについてお話する前に、話をひとつ戻します。
 丹後国の籠神社に伝わる『海部氏勘注系図』に、倭氏の祖、倭宿禰命が天香語山命の孫と
記されている件です。
 『古事記』では、神武天皇がシイネツヒコ(『古事記』ではサオネツヒコ)と出会ったのでは
瀬戸内海となっています。その子孫の倭氏の拠点が大和国であり、その出張機関が淡路の
大和大国魂神社で、山陽側であるのに対し、籠神社は山陰の丹後国に鎮座します。
 その理由については、倭氏と同族の青海氏の存在が考えられます。『新撰姓氏録』のよれば、
青海氏も倭氏と同じく椎根津彦を始祖としている氏族なのです。
 
 ひとつ思い出していただきたいのですが、『古事記』には、日子坐王が丹波の玖賀耳之御笠
(クガミミノミカサ)を殺したことが記されていました。それで、玖賀耳之御笠は丹波のどの地方に
いたのでしょうか。
 伝承によれば陸耳御笠という土蜘蛛が青葉山にいたといいます。この陸耳御笠が玖賀耳之
御笠のことだとするならば、その拠点は青葉山の麓あたりというところでしょうか。
 青葉山は京都府舞鶴市と福井県大飯郡高浜町の境界に位置する山で若狭富士とも呼ばれる
愁眉な姿をしています。
 ちなみに、日子坐王の妻のひとり息長水依比売(オキナガミズヨリヒメ)は滋賀県野洲市の
御上神社の祭神、天之御影神の娘なのですが、御上神社の御神体である三上山は近江富士と
呼ばれています。
 
 さて、『延喜式』には若狭国に青海神社が記されていますが、これは福井県大飯郡高浜町の
青海神社に比定されていますが、その鎮座地は青といい、古くは青郷と呼ばれていました。
青郷の地名の由来は忍海飯豊青尊(オシヌミノイイドヨノアオノミコト)が御名代として賜った
ことから来ていると伝えられています。また、青葉山を真向かいに臨む地に禊池と称される
遺構があり(現在は水が枯れている状態)、この池で青尊が禊をしたという伝承も残されています。
 また、青海神社と青葉山を結ぶ線上にて、石剣と石戈が頂上に向けて埋葬されているのが
発見されています。
 
 しかし、青海神社は青尊だけでなく青海氏に関係していたのではないでしょうか。
 それと言うのも、この青海神社の祭神は椎根津彦命なのです。
 実は、新潟県加茂市にも青海神社(あおみ神社)が存在します。こちらの祭神も椎根津彦と、
それから大国魂神命なのですが、やはり大国主の荒魂(あらみたま)と伝えられており、大和の
狭井神社において倭大国魂神が大国主の荒魂とされていることと一致します。
 つまり、倭氏や青海氏の関連が考えられるわけです。
 
 そして、青海神社が鎮座する大飯郡高浜町には式内社の香山神社が鎮座し、祭神は天香山命
なのです。
 こうして見てみると、日本海側には記紀に記されていない倭氏の始祖伝承が存在していたと
思えてきます。

同じやん

2017年05月25日 01時40分38秒 | 日記
2013年9月2日(月)(5歳5か月)
 
 
 ゆうきとりえが雑談をしていると、ふたりより
8歳下の春奈もその間に入ろうとする。
 
 雑談のその内容がいつしかSMAPになった。
 
 ところで去年の春奈の通う保育所の運動会、
春奈たち当時の年中組さんたちの演目では
BGMに嵐の『HAPPINES』が使われていた。
 
 それで春奈はこの曲が大好きになった。
 
 そういうことがあったので、りえが、
 
 「春奈はSMAPよりも嵐の方が好きなんやろ?」
 
と、振ると、
 
 「同じやん」
 
 「同じちゃうでー」
 
と、ゆうきとりえが笑う。
 
 いや、春奈が言う「同じ」は「同じようなもの」と
いう意味だと思う。
 
 春奈は『HAPPINES』という曲が好きなだけで、
別に嵐のファンというわけではない。だからSMAPも
嵐も同じジャニーズのアイドルグループとして見て
いるのだろう。
 
 これまでにも何度か書いたけども、言葉をやる
上では、それぞれの言語の違いを見つけるよりも
同じを見つける方がいい。
 
 日本語と英語は違う、と決めつけるのではなく、
日本語も英語も同じ「人間の言葉」と捉える。
 
 初めから違うもの、として異質で捉えるのではない。
 
 同じものと認めてから初めてお互いの違いを見
つけるのであれば、異質ではない。
 
 言葉だろうがアイドルグループだろうが、何でも
そうなのである。

592 大国主に秘められた製鉄の性格 その13

2017年05月23日 01時28分09秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生592 ―大国主に秘められた製鉄の性格 その13―
 
 
 そして、三谷栄一は、倭氏は大神神社の祭祀氏族である三輪氏のもとで倭大国魂神の
祭祀を、一面では大己貴命荒魂神の祭祀に従事していたと説きます。
 その祭祀も、はじめ狭井神社で行われていたものが、いつの頃か現在の大和神社に
遷座したのだ、とします。
 その背景には、本来は狭義の大和(奈良県)の国魂、地霊であったものが、いつしか
広義の大和(日本)の国魂、地主神となったもの、と思われ、さらには、朝廷の占有の
権威と守護のため、各地に地霊として勧請していったのだと思われるのです。
 それが、吉野の大名持神社や丹生川上神社であり、淡路の大和大国魂神社だという
わけです。
 
 では、倭大国魂神がローカルな国魂、地霊から大神化していったのは具体的にいつ頃
なのでしょうか。
 三谷栄一は、狭井神社から大和神社への遷座を「いつの頃か」としていますが、その
一方で、この神の変化を、天武・持統朝の頃ではないかと考えています。
 
 奈良・平安時代において丹生川上神社には、祈雨神として奉幣使が派遣されていましたが、
こういった祭事は天武・持統朝には盛んに行われていたようなので、三谷栄一の考察には
傾聴の価値があるように思えます。
 
 『日本書紀』天武天皇四年(657年)の記事には、
 
 「小紫美濃王、小錦下佐伯連広足を遣わして、風神を竜田の立野に祠(まつ)らしむ」
 
とあり、『日本書紀』持統天皇五年(691年)の記事には、
 
 「使者を遣わして竜田風神、信濃の須波(諏訪)、水内等の神を祭らしむ」
 
とあることはすでに紹介したとおりです。
 この時代、現在では出雲系の神とされている神々の祭祀などが行われているので、こ
の頃に倭大国魂神が大国主と結びついた可能性は捨てきれません。
 それに、吉野の地は大海人皇子、すなわち後の天武天皇と讃良皇后、すなわち後の
持統天皇が隠遁していたところであり、壬申の乱もここから始まったという、天武・持統
両天皇にとっては特別な地でもあるのです。
 
 ところで、その壬申の乱では、「出雲臣と青の人々」のところで採り上げたように、製鉄に
関係すると思われる氏族たちが大海人皇子の側につきました。
 その点においては倭氏も製鉄と関係があるように思えるのです。
 実際、吉野郡には鉱山が多く存在しており、丹生川上神社や大名持神社が倭氏の祭祀
する神社であるとするなら、このことがここに創られた理由のひとつだと考えられます。
 
 倭氏の始祖、シイネツヒコがオトウカシとともに天の香久山の土を採取する伝承ですが、
天の香久山も製鉄と関係するのです。
 天の香久山と言えば、大和三山として知られる天の香久山を思い浮かべる人が多いかと
思いますが、天の岩屋戸伝承にも天の香久山が登場します。こちらは天上に存在する山の
ようですが、日本書紀では「天香山」と書かれ、古事記では「天金山」と書かれています。
 
 「香」は、日本語の音読みだと「コウ」で、鉱山の「鉱」もまた「コウ」です。『万葉集』の
巻1-13の、天智天皇作の歌では、香久山を「高山」と表記していますが、「高」も「コウ」です。
 だから、天金山の「金」は「鉄」であり、「鉱」でもあると考えられるわけです。『日本書紀』の
一書にも「天香山の金を採りて、以て日矛を作らしむ」とあり、天の香久山は鉱山を象徴する
ものであったと考えられるのです。
 
 しかし、「コウ」がなぜ「カグ」になるのか、と言うと、朝鮮語なのです。
 朝鮮半島の言葉では鉱山を「カグサン」といい、「香」という字も「カグ」といいます。
 朝鮮語で鉱山をさす「クヮグ・サン」の「グ」は、鼻音で、英語の「ing」の発音に近いといい
ます。「鉱(クヮグ)」の「グ」につく母音がAなら「カガ」、Uなら「カグ」、Оなら「カゴ」になり、
「鉱」も「香」も同音なのです。(大和岩雄『神社と古代王権祭祀』より参照)
 
 さて、天の岩屋戸伝承の他で天の香久山から思い出されるのは、『先代旧辞本紀』に
登場する天香語山命です。
 この神を祀る神社はいくつかありますが、それらでは、天香山命とされていることが多い
のです。
 天香語山命は、天火明命(『先代旧辞本紀』では天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊)の
御子神ですが、『古事記』や『日本書紀』に登場する高倉下(タカクラジ)のこととされています。
 高倉下は、熊野にて神武天皇に霊剣の布都御魂を献上し、そこから神武天皇は大和に
入るのです。
 その後、吉野でイヒカたちと出会い、続いて宇陀でエウカシを殺しオトウカシが服属するのです。
 
 その香語山命と倭氏について、『海部氏勘注系図』には興味深いことが書かれているのです。

言葉の前にくるもの

2017年05月21日 02時37分23秒 | 日記
2013年9月1日(日)(5歳5か月)
 
 
 合宿2日目は午前中いっぱいプログラムがあるのだけども、
僕たちは朝一番に合宿所を後にした。
 
 なぜなら、今日の午後から関西ヒッポの交流報告会がある
からだ。
 
 この夏に海外ホームステイに行ってきたこどもたちが体験を
報告してくれる会だ。
 
 りえがアメリカ交流に行ってきているから参加しないと、という
わけで合宿も惜しいけど関西に帰る。
 
 
 交流報告会も終わり、家に帰ってからの春奈はやたら饒舌
だった。
 
 広島合宿での体験を僕たち家族にいっぱい話す。
 
 合宿で知り合った同年代の子や小学生の子とこんなことをした、
あんなことを話した、など。
 
 今日の交流報告会の感想は何も言わない・・・。
 
 まあ、いいか。
 
 合宿が楽しかったのなら、それだけでも広島まで行った甲斐が
あったってものだろう。
 
 それに春奈の話は核心をついていると思う。
 
 僕たちは多言語活動、早い話しがいろんな国の言葉の習得を
やっているわけだけど、言葉というものは人とのコミュニケーションの
ために存在する。
 
 それなのに、日本の語学教育は、どちらかと言えば言葉の習得
のみの重点を置く。
 
 そこでは間違いは許されない。
 
 だけど、言い切ってしまうけど、間違った単語を口にしようが、
文法的におかしかろうが、相手と通じ合えばすべてOKなのだ。
 
 初めて会った人とでもその場で交流をする。
 
 これから始まり、その次になって言葉が登場する。
 
 「まあ、いいか」と言うのは、春奈がその部分を広島でやってきた
からだ。