大国主の誕生593 ―大国主に秘められた製鉄の性格 その14―
『海部氏勘注系図』によれば、天香語山命の御子神の天村雲神と丹波の伊加里姫命との
間に生まれた倭宿禰命という神が倭氏の祖とあります。
すると、倭宿禰命は椎根津彦(シイネツヒコ)ということになり、同時に天香語山命の孫と
いうことになるわけですが、ただ、このことは『古事記』にも『日本書紀』にも記されていない
ので信憑性に欠ける、と言わなくてはなりません。
もっとも、『海部氏勘注系図』は日本海側の丹後国の籠神社に伝わるものであり、後述
する青海神社も日本海側ですので、中央にて編纂された『古事記』、『日本書紀』とはまた
異なる伝承が存在していた可能性も残されます。
一方で、『先代旧辞本紀』は、天村雲命の御子神を、天忍人命、天忍男命、忍日女命の、
二男一女としています。
二男のうち、兄の天忍人命は異母妹の角屋姫をまたの名を葛木の出石姫を娶って二男が
生まれました、とありますが、気になるのは葛木の出石姫です。おそらくは大和国葛城の
女神なのでしょうが、出石という名は但馬国の出石を連想させるものです。
ちなみに但馬国出石郡(現在の豊岡市)の伊福部神社では天香山命が祭神として祀られ
ています。
それから、弟の天忍男命は葛木の国つ神、剣根命の娘、賀奈良知姫を娶って二男一女が
生まれました、とあります。
剣根命は、『日本書紀』にも登場し、神武天皇の大和平定に際しては、その活躍は何も
記されていないながら、シイネツヒコが倭国造に、剣根命が葛木国造になったと書かれて
います。
それから、オオタタネコの陶邑に比定される地には陶荒田神社が鎮座しますが、伝承では
オオタタネコが祭祀を司り、祭神もオオタタネコの先祖であったといわれています。
もっとも、現在の祭神は高魂命(高御産霊命=タカミムスヒノミコト)、剣根命、八重事代主命、
菅原道真で、うち菅原道真に関しては平安以降に祀られるようになったことは明らかですが、
タカミムスヒが祀られるようになったのは、この地にいた荒田直がタカミムスヒを始祖として
いたためと考えられます。
ただ、ここに剣根命も加えられているところが興味を惹きます。
椎根津彦と剣根命の国造を賜った、となると、弟猾(オトウカシ)についても採り上げない
わけにはいきません。
椎根津彦と剣根命がそれぞれ倭国造と葛木国造を賜った時に、オトウカシも猛田邑(たけだ
むら)を与えられ猛田縣主となった、と『日本書紀』にあります。
その猛田縣(たけだのあがた)の比定地のひとつが奈良県橿原市竹田町なのですが、ここ
には竹田神社が鎮座します。
そして、その竹田神社の祭神が天香久山命なのです。
なお、祭祀氏族は竹田川辺連とされています。竹田川辺連は『新撰姓氏録』に、「火明命
五世の孫、建刀米命の後」とあり、天香語山命の直系ということになります。
このことが何を意味するのかということについてお話する前に、話をひとつ戻します。
丹後国の籠神社に伝わる『海部氏勘注系図』に、倭氏の祖、倭宿禰命が天香語山命の孫と
記されている件です。
『古事記』では、神武天皇がシイネツヒコ(『古事記』ではサオネツヒコ)と出会ったのでは
瀬戸内海となっています。その子孫の倭氏の拠点が大和国であり、その出張機関が淡路の
大和大国魂神社で、山陽側であるのに対し、籠神社は山陰の丹後国に鎮座します。
その理由については、倭氏と同族の青海氏の存在が考えられます。『新撰姓氏録』のよれば、
青海氏も倭氏と同じく椎根津彦を始祖としている氏族なのです。
ひとつ思い出していただきたいのですが、『古事記』には、日子坐王が丹波の玖賀耳之御笠
(クガミミノミカサ)を殺したことが記されていました。それで、玖賀耳之御笠は丹波のどの地方に
いたのでしょうか。
伝承によれば陸耳御笠という土蜘蛛が青葉山にいたといいます。この陸耳御笠が玖賀耳之
御笠のことだとするならば、その拠点は青葉山の麓あたりというところでしょうか。
青葉山は京都府舞鶴市と福井県大飯郡高浜町の境界に位置する山で若狭富士とも呼ばれる
愁眉な姿をしています。
ちなみに、日子坐王の妻のひとり息長水依比売(オキナガミズヨリヒメ)は滋賀県野洲市の
御上神社の祭神、天之御影神の娘なのですが、御上神社の御神体である三上山は近江富士と
呼ばれています。
さて、『延喜式』には若狭国に青海神社が記されていますが、これは福井県大飯郡高浜町の
青海神社に比定されていますが、その鎮座地は青といい、古くは青郷と呼ばれていました。
青郷の地名の由来は忍海飯豊青尊(オシヌミノイイドヨノアオノミコト)が御名代として賜った
ことから来ていると伝えられています。また、青葉山を真向かいに臨む地に禊池と称される
遺構があり(現在は水が枯れている状態)、この池で青尊が禊をしたという伝承も残されています。
また、青海神社と青葉山を結ぶ線上にて、石剣と石戈が頂上に向けて埋葬されているのが
発見されています。
しかし、青海神社は青尊だけでなく青海氏に関係していたのではないでしょうか。
それと言うのも、この青海神社の祭神は椎根津彦命なのです。
実は、新潟県加茂市にも青海神社(あおみ神社)が存在します。こちらの祭神も椎根津彦と、
それから大国魂神命なのですが、やはり大国主の荒魂(あらみたま)と伝えられており、大和の
狭井神社において倭大国魂神が大国主の荒魂とされていることと一致します。
つまり、倭氏や青海氏の関連が考えられるわけです。
そして、青海神社が鎮座する大飯郡高浜町には式内社の香山神社が鎮座し、祭神は天香山命
なのです。
こうして見てみると、日本海側には記紀に記されていない倭氏の始祖伝承が存在していたと
思えてきます。