大国主の誕生609 ―八千矛の神 その14―
三輪氏は大物主の子、あるいは子孫であるオオタタネコを始祖としますが、『古事記』と
『日本書紀』は鴨氏(鴨君)も同族だとしています。
三輪氏は大神神社の祭祀を行い、鴨氏は高鴨神社の祭祀を行いました。
その高鴨神社の祭神は阿遅志貴高日子根命(アヂシキタカヒコネノミコト)。これまでに
何度となく採り上げた、大国主のもの言わぬ御子神なのです。
『古事記』は、アヂシキタカヒコネを、大国主と多紀理毘売命(タキリビメノミコト)との間に
生まれた神としています。多紀理毘売命は福岡県の宗像神社の祭神、宗像三女神の一柱
です。
宗像大社は、沖津宮(おきつみや)、中津宮(なかつみや)、辺津宮(へつみや)から成り
ますが、沖津宮の祭神を宗像大社では、田心姫神(たごりひめ)としています。
田心姫神は多紀理毘売命と同神とされていますが、『古事記』にも
「多紀理毘売命、またの名を奥津島比売命は胸形(宗像)の奥津宮(沖津宮)に坐す」
と記されています。
しかし、注目すべきことは祭祀遺跡です。
奥津宮は沖ノ島にありますが、その沖ノ島に残る宗像大社沖津宮祭祀遺跡。
ここで発見されたものは、鳥文縁方格規矩鏡に硬玉製の勾玉、滑石製の勾玉、そして
碧玉製の勾玉に、それから、滑石製の臼玉でした。これらの出土品は4世紀後半と推測
されています。
そして、祭祀は岩の上で行ったと見られています。
同じように、三輪山麓の三輪馬場山ノ神祭祀遺跡からも、碧玉勾玉と滑石製の臼玉が
発見されています。この遺跡からは、他にも素文鏡、土製模造品、石製模造品などが発見
されていますが、磐座(いわくら)と目される巨石露頭の基部から大量の祭祀遺物が発見
されています。
また、これらの出土品は、やはり4世紀後半と見られるものでした。
そして出雲です。
出雲大社境内遺跡からも、祭祀の用いたと考えられる勾玉や臼玉が発見されており、
そしてこれらもまた4世紀後半のものと推測されているのですが、勾玉は松江市の花仙山産の
瑪瑙製。臼玉は滑石製でした。
このように、宗像大社の宗像大社沖津宮祭祀遺跡、三輪山の三輪馬場山ノ神祭祀遺跡、
出雲大社の出雲大社境内遺跡には共通するものがあるのです。
思えば、『日本書紀』に記された出雲振根の事件も、崇神天皇の使者がやって来た時に
振根が不在だったために、代わりに飯入根が神宝を差し出したことに始まりますが、振根の
不在の理由は宗像に出向いていたからでした。
さて、ここに阿曇氏が関係してくるのです。
沖ノ島は福岡県宗像市に属しますが、阿曇氏の本拠といわれる志賀島は福岡県福岡市に
属し、ともに福岡県の海上にあるのです。
志賀島は安曇氏の本拠と考えられている理由は、志賀島に式内社である志賀海神社
(しかうみ神社)があり、これが全国の綿津見神社、海神社の総本社を称していることが
挙げられます。
また、石川県羽咋市周辺には出雲系の神々を祀る神社が多く存在しますが、羽咋市の北に
位置するところには羽咋郡志賀町安津見があるのです。志賀町は志賀島に、安津見は阿曇に
通じることからも、志賀島が阿曇氏と深く結びつくと考えられ、つまりは志賀島が阿曇氏の
本拠である理由のひとつにも挙げられています。
それから、後世になりますが、『蒙古襲来絵詞』には、志賀海神社は志賀大明神と記載され
ています。
そして、この志賀大明神とは、『八幡愚童訓』が記すところでは安曇磯武良(あずみのいそたけら)の
ことだといいます。
伝承では、神功皇后が三韓に出兵する時に、対馬の琴崎(きんざき)の海辺で軍船の碇が
沈んで上がらなくなったのを、安曇磯武良が潜って引き上げたといいます。
一方、『日本書紀』には、神功皇后の新羅遠征に際して、磯鹿海人名草なる者が登場します。
日本古典文学大系『日本書紀』は、「磯鹿の海人、名は草」と読み下していますが、「磯鹿の海
人、名草」と、名草という名前の海人と解釈されること多く見られます。いずれにせよ、この人物が
磯鹿の海人と読み下すことは共通しており、磯鹿(しか)とは志賀島のことだと解釈されもします。
さて、志賀大明神とされる安曇磯武良は、志賀海神社だけでなく綿津見神社(わたつみ神社)
などでも祭神として祀られているのですが、安曇磯良(あずみのいそら)は安曇磯武良と同神だと
されています。
この安曇磯良を祀る神社のひとつが摂津国三島郡の磯良神社(現在の大阪府茨木市に鎮座)で、
ここでは磯良が磯良大神として祀られています。
礒良神社は別名を疣水神社(いぼみず神社)といい、やはり神功皇后にまつわる伝承が残されて
います。
神功皇后が三韓に出兵する時にこの神社から湧く「玉の井」で顔を洗うと、疣や吹き出物が
できて、醜く男のような顔になったが、無事に出兵を終えて再びここの玉の井で顔を洗うと元の
美しい顔に戻った、というものです。
なお、三島郡には日本三三島(3三島)の一社、三島鴨神社(現在の大阪府高槻市に鎮座)も存在し、
三島郡にも鴨氏がいたことをうかがわせます。
少々、志賀島と阿曇氏との関係に時間を取ってしまいましたが、実はここでお話ししたいのは
何も沖ノ島と志賀島、阿曇氏とは関連がある、というようなことではないのです。
もっとも重要なのは、沖ノ島と志賀島がともに福岡県の海にある、というところなのです。