子供や好きな人に対して、そこに愛情があると思っていて、自分は相手のためにやっているんだと思っているのに実はそうじゃないのでは、と考えてしまう時がある。そこに愛があると思っている人に対して見返りを求めてはいけない、無償の愛でなければそれは本当の愛ではない、と言われるが、このことを考え始めるとに出口が無く訳が分からなくなる。
無償の愛というのにいちばん分かりやすいのは子供に対しての愛情かもしれない。自分は子供達に対して生まれてきてから今まで、全て子供のためと思ってやってきたけれど、果たして本当に子供のためなんであろうか、と疑問に思うときもある。子供に対しては当たり前だけれど幸せになってほしい、健康でいてほしい、自立して充実した人生を送ってほしい、と思って育ててきたが、それって結局自分がちゃんとこの子を育てたんだ、と自己満足したいだけなんじゃないだろうか、とふと思ったりするのだ。
それに、愛情というのは注ぐほうはそれは愛と思ってしていても受け取る側はそうは思わない場合もある。もちろん、別に恩着せがましくそれが愛と思ってくれなくても別にいいから、溢れるように愛情を注いであげればいいのだろうけれど。でも愛と気づかないのは意味があるのだろうかとも思ってしまう。
この問題は難しすぎて短くまとめられないし頭がこんがらがる。
無償の愛というのにいちばん分かりやすいのは子供に対しての愛情かもしれない。自分は子供達に対して生まれてきてから今まで、全て子供のためと思ってやってきたけれど、果たして本当に子供のためなんであろうか、と疑問に思うときもある。子供に対しては当たり前だけれど幸せになってほしい、健康でいてほしい、自立して充実した人生を送ってほしい、と思って育ててきたが、それって結局自分がちゃんとこの子を育てたんだ、と自己満足したいだけなんじゃないだろうか、とふと思ったりするのだ。
それに、愛情というのは注ぐほうはそれは愛と思ってしていても受け取る側はそうは思わない場合もある。もちろん、別に恩着せがましくそれが愛と思ってくれなくても別にいいから、溢れるように愛情を注いであげればいいのだろうけれど。でも愛と気づかないのは意味があるのだろうかとも思ってしまう。
この問題は難しすぎて短くまとめられないし頭がこんがらがる。