日本初のジャンボ、B747-100型の1番機が羽田空港から飛び立ったのは、1970(昭和45)年、日本では大阪万博が開かれた。
「いざなぎ景気」がピークを迎えるなど、日本経済が最高潮に達した時代でもある。
庶民の夢だった海外旅行が一気に身近になった。大きくて、華やかで、夢がある“ジャンボ”は、大量生産、大量消費社会の象徴でもあった。
1970年のジャンボジェット導入を機に、JALは客室乗務員(スチュワーデス)の制服を一新する。
デザインは、世界の森英恵(ハナエモリ)。もちろん制服は、当時流行していたミニのワンピースである。(ミニスカートは1967年、イギリスのモデル、ツイッギーが来日しブームとなる)。
1970年8月、時を同じくして、テレビドラマ『アテンションプリーズ』が放送された。
日本航空の協力により制作された、航空業界が舞台のテレビドラマで、主演は紀比呂子。九州・佐賀出身の主人公が高校卒業後、スチュワーデス試験に合格して上京し、厳しい訓練を経て国際線スチュワーデスとして活躍するまでを描いた。
画面は、B747の客室最前(ノーズ)部、上級クラス(ファーストクラス、ビジネスクラス)席として使用された。ちょうどこの上に、コクピットがある。