「藤兵衛、この景色を見ろ」
「へい」
藤兵衛はつまらなそうにまわりをみた。
「気のない顔だなあ」
「藤兵衛、一向に驚かぬな」
「見なれておりますんで」
「若いころ、はじめてみたときはおどろいたろう。 それともあまり驚かなんだか」
「へい」 藤兵衛は、にが笑いしている。
「だからお前は盗賊になったんだ。血の気の熱いころにこの風景をみて感じぬ人間は、どれほど才があっても、ろくなやつにはなるまい。そこが真人間と泥棒の違いだなあ」
「おっしゃいますねぇ。それなら旦那は、この眺望をみて、なにをお思いになりました」
「日本一の男になりたいと思った」
(竜馬は江戸へ向かって寝待ちの藤兵衛と旅をする。そして、生まれてはじめて富士山を見たときの一節
- 司馬遼太郎著『竜馬がゆく』より )