東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花
あるじなしとて 春な忘れそ
菅原道真は、幼い頃から頭脳明晰、若くして文章博士となり、宇多天皇に重用され右大臣にまで登り詰めた。しかし、901年(昌泰4)、醍醐天皇のとき、左大臣藤原時平の讒言と謀略により失脚、、九州の大宰府に大宰権帥として左遷させられる。
いよいよ都を離れる時、幼い頃より親しんできた庭の梅の木に想いを残し、道真公が詠んだのが上の歌である。
主人を失った梅の木は、道真公を慕うあまり、あとを追うように大宰府へ一夜にして飛来したという。
これが有名な「飛梅伝説」である。
この飛梅は、もともと道真公の配所であった榎社にあったが、太宰府天満宮の造営後、本殿、向かって右前に移され、今でも、他の梅に先がけて白い花を咲かせる。