Tenkuu Cafe - a view from above

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春、列島を横断する (16) - 陸中海岸

2011-05-24 | 東北



侍は屋根のむこうに雪が舞うのを見た。舞う雪はあの谷戸のしらどりのように思えた。遠い国から谷戸に来て、また遠い国に去る渡り鳥。あまたの国、あまたの町を見た鳥。あれが彼だった。
そして今、彼はまだ知らぬ別の国に…..。

「ここからは……あの方がお供なされます」
突然、背後で与蔵の引きしぼるような声が聞こえた。
「ここからは……あの方が、お仕えなされます」
侍はたちどまり、ふりかえって大きくうなずいた。そして黒光りするつめたい廊下を、彼の旅の終りに向かって進んでいった。
(遠藤周作著『侍』より)






藩主伊達政宗は、帰国後の支倉常長から7年間の海外経験の報告を受け、その後幕府に報告書を提出したが、幕府の厳しい禁教政策のもと、常長が持ち帰った品々は、キリシタンに関わるものとして藩に没収され、決して表へ出ないように厳重に保管されていた。
時が移り、1873(明治6)年、岩倉具視を団長とする明治政府遣欧米使節団が、訪問先のイタリアの書庫で常長の花押と手紙を発見し、政宗と常長の偉業に驚嘆し、帰国後、明治天皇に奏上し広く国内においても知られるようになった。

この時、岩倉具視が著した「特命全権大使米欧回覧実記」には、「支倉常長は、伊達政宗の家臣として堂々と使節としての役割を果たし、厚く処遇された。(略)伊達政宗がどのような目的で支倉常長を使節として派遣し、スペイン・イタリアとの交流を求めたかの理由は定かでない。ここで見聞きしたことを記録し、歴史家の考えに判断を委ねたい。」と記録されている。

常長ら一行が持ち帰った「慶長遣欧使節関係資料」は、現在、仙台市博物館に所蔵されており、ローマ市から常長が受け取った「ローマ市公民権証書」や常長の肖像画、ロザリオの聖母像など47点がある。日本初の日欧外交使節資料として高く評価されており、2001(平成13)年、歴史資料としては初の国宝に指定された。



そして、このほど、2011年5月11日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産に推薦されることが決まった。2013年の国際諮問委員会で最終選考される。

2年後の2013年は使節が日本を出発して、ちょうど400年目に当たる。



記憶遺産は、ユネスコが世界の史料遺産を保存しようと1992年から取り組み始めた。これまでに「アンネの日記」やフランスの人権宣言など193件が登録されている。日本からの推薦は今回が初めて。